2時間6分45秒。
初マラソンの日本最高記録を
西山和弥が大阪マラソン(2月26日)で。
ニューイヤー駅伝で優勝3回、準優勝3回の
強豪トヨタ自動車所属の西山は、
大学1年の箱根一区で戸塚中継所にトップで襷。
翌年も一区。連続の区間賞。
中大中山とのデッドヒートを一秒差で勝利。
まさに鉄紺魂「その一秒を削り出せ」を体現。
大きな期待を担ったが、3年次は一区14位、
最終学年は復路の七区にまわり区間12位と
本来の力を出せずに東洋大学を卒業していた。
東洋在学中の柏優吾も好走。
昨夏の北海道マラソンで日本人トップの2位となり、
パリ五輪MGCの出場権を獲得した四年生は、
西山とは逆に箱根に縁のなかった遅咲き。
今年の1月2日、四区13位が最初で最後の箱根路。
42.195kmにおける日本学生歴代2位を手土産に
柏はコニカミノルタへ。
同社には1年先輩の宮下隼人が所属。
東洋の前主将も、大阪マラソンを走った。
五区山登りで活躍した宮下の初マラソンは、
しかし、アクシデントに見舞われた。
10km付近の給水所でドリンクを取り損ねた
海外選手が逆走し衝突。
流血しながらの完走となった。
それでも13分台で47位は魂の走り。
キャプテンといえば、東京五輪マラソン代表の
服部勇馬(東洋大~トヨタ自動車)。
一歳違いの弟・弾馬(東洋大~トーエネック~
NTT西日本)とともに鉄紺黄金期を築いた29歳。
常にトップクラスで勝負してきたが無念の34位。
悲喜こもごもの大阪マラソン。
西山に遅れること43秒。
10位フィニッシュの定方俊樹(三菱重工)は、
故障がちで東洋大時代は一年出雲、三年箱根、
三大駅伝で襷をかけたのは二度だけ。
同期の設楽兄弟の陰に隠れた存在だったが、
長崎に帰郷後は着実に結果を残し、
このレースでも国内招待選手のなか
一番の持ちタイムで臨んでいた。
・・・結果的に東洋勢を全員紹介しちゃった。
思うのは人生山あり谷あり。
しかも、この日のレースは終わったけれど、
それぞれの闘いは続くということ。
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