M男は、昭和30年代、高校卒業と同時に故郷の北陸の山村を離れてしまったが、10指に余る父親の親戚筋が有って、すでに、帰る家が無くなってはいるものの、冠婚葬祭等で、時々、帰郷している。
子供の頃、可愛がってもらった叔父さん、叔母さん等も、ほとんどが亡くなり、代が変わってしまっているが、未だに、親しくしていただき、それなりに歓待してもらっているのである。
葬式や法要、結婚披露宴等も、最近は、ほとんど、セレモニーホール等で行われるようになったが 当時は、夫々、自宅で行うのが当たり前だった。
その数日前から、親戚や近所隣りの女衆が、その家の台所に参集し、料理いっさいを準備するという、大変なイベントだった。
子供達も、大勢集まって、遠巻きにその光景を眺め、はしゃいだりしたものだ。
当時、M男の遠い親戚筋に、Yさんという、かなり年輩のオジサンがいた。大変、明るく、ひょうきん者で、子供達にも、人気が有った人だが、冠婚葬祭の宴席になると、必ず、場を盛り上げようとするサービス精神旺盛で、時には、「どじょうすくい」を、披露するオジサンだった。
宴の途中、その家の台所を覗いて、女衆に、「ちょっと、ザル、貸してくんない」と、声を掛けると、「おおー!、始まるぞ!」という、雰囲気になるのだった。
宴席に付いていない女衆や子供達も、座敷や茶の間に集まってきて、笑い転げたものだ。
自分で歌いながら踊るもので、もしかしたら、正調ではなく、自己流、即興的な「どじょうすくい」だったのかも知れない。
M男が、結婚した年、当時まだ有った実家に、親戚筋に集まってもらい披露宴をした際にも、やっぱり 盛り上げてくれたのが、Yオジサンだった。
そのYオジサンのどしょうすくいの写真が、古いアルバムの貼って有る。
子供の頃は、単に、「Yオジサンのどじょうすくい」とだけ記憶したものだったが、後年になり、それが、島根県の民謡「安来節」に合わせた芸であることを知って、目から鱗・・・となったものだった。
その元気印のYオジサンが、自宅の風呂場で突然死した知らせが届いたのも、もう30年以上前のことになる。
「安来節」(どじょうすくい・男踊り) (YouTubeから共有)