中町通り、「はかり資料館前バス停」で 「松本周遊バスタウンスニーカー」東コースに乗車、
次に下車したのは 「旧松本高校バス停」です。
バス乗車中に 雨脚が強くなり 下車したときは土砂降り、
急いで 大きなヒマラヤ杉に包まれた旧制松本高校の敷地内に有る 「旧制高等学校記念館」に 飛び込みました。
明治以降 多くの人材を輩出した旧制松本高校の教育と精神を伝える 全国初のバンカラ風記念館なのだそうです。
「バンカラ風」・・・・に 懐かしさを感じ、入館見学する予定でしたが 雨がひどくなり 先を急ぐ関係で パス。
雨宿り、ひととき・・・、
「旧制松本高校校舎」
一部が保存されており 重要文化財にも指定されています。
内部の一部を 見学することが出来ます。雨の中 写真撮影ままならず・・・、
(ネットから借用) (ネットから借用)
政官界、法曹界、経済界、学術文化分野等に 多くの人材を輩出してきた校舎です。
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旧制高等学校 (概略)
高等学校令(1894年~1918年)に基づいて設置され 1950年まで存在した高等教育機関。
中でも 明治期に創設され、ナンバー・スクールと呼ばれる、第一高等学校(一高、後の東京大学)、第二高等学校(二高、後の東北大学)、第三高等学校(三高、後の京都大学)、第四高等学校(四高、後の金沢大学)、第五高等学校(五高、後の熊本大学)、第六高等学校(六高、後の岡山大学)、第七高等学校(七高、後の鹿児島大学)、第八高等学校(八高、後の名古屋大学)等が有名である。
第六高等学校設立以降は 全国各地の誘致運動が盛んになり 第六高等学校も 岡山と広島がその座を争い岡山に決まった。
第七高等学校設立の場合は 松本に内定していたが 諸般の事情により 急遽 鹿児島に決まった。
第九高等学校の設立を巡っては 新潟と松本が熾烈な誘致合戦を繰り広げたが 最終的には 第九高等学校と命名するのを避け 「新潟高等学校」「松本高等学校」と 地名を冠する校名になり それ以降は 学校所在地に因んだ校名になり ナンバー・スクールに対して ネーム・スクール(地名校)等と呼ばれるようになった。
最終的には ナンバー・スクール、ネーム・スクール(地名校)を合わせて 全国に39校の旧制高等学校が有った。
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雨脚が弱くなるのを見計らい
再び 「旧松本高校バス停」から 松本周遊バスタウンスニーカー」東コースに乗車、
松本駅方面に向かい まもなくの「松本市美術館バス停」で 下車です。
「松本市美術館」
前衛芸術家 草間彌生、書家 上條信山、洋画家 田村一男等 松本ゆかりの作家の作品や
山や音楽をテーマにした作品が展示されています。
館内は 撮影禁止です。
依然 雨が降り続いており 松本美術館周辺の、「深志神社」や「源智の井戸」等の街歩きは取り止め
「松本美術館バス停」から 再び 「松本周遊バスタウンスニーカー」に乗車、松本駅へ向かいました。
少し早めに松本駅に戻り着き、土産店等を覗き 駅弁を買い求め 特急「あずさ」に乗車、
信州松本街歩き、小さな旅が終わったのでした。
(おわり)