たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

背泳ぎのストローク

2019年06月15日 21時55分20秒 | スイミング

当地 今日は 1日中 かなり酷い雨だった。
骨休めを決め込み閉じ籠り状態、
全然 歩いていないし・・・、
やっぱり 泳いでくるべし・・・、
ということで、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程 帰ってきたところだ。

今日は O指導員による背泳ぎ中心のレッスン、
いつものように、基本、基本の繰り返しだったが
特に ストローク、手の方向、効率的なかき方、タイミング等を
チェックされた。

背泳ぎのストローク、

レッスン終了後、例によって居残り 
疲れを知らないベテラン女性陣のうしろにくっついて、
5秒間隔スタート、
クロール 50m×10本、4種目 25m×4本、
なんとか 泳ぎ切って 引き上げてきた。

家で座っていると寒いと 
寒がりの妻はひざ掛けをしていた位の夜だが
泳いで帰ってきた爺さんは 身体カッカ、
遅い夕食、 
程好い疲労感、すっきり感と
1杯のビールで いい気分になっているところだ。

 

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雨読 「伊豆の踊り子」

2019年06月15日 13時08分04秒 | 読書記

天気予報通り 今日の当地 かなりまとまった雨降りになっている。
午前中 ちょこっと車で買い物に出掛けただけで、
帰ってきてからは 特に予定無し。
外は雨、
廃棄処分するつもりで 未だに積み上げてある古い本類の中から
先日 ふっと目に付いた1冊、「川端康成集」。 
また 取り出して机の上に置いて有り、改めて開いてみることにした。

「伊豆の踊り子」、「雪国」、「千羽鶴」、「虹いくたび」、「山の音」、「眠れる美女」の6編が収録されているが、
先ずは 「伊豆の踊り子」、
言わずと知れた 川端康成の初期の代表作である。

記憶になかったが 文中の随所に 赤ラインが引かれている。
本書の裏表紙の隅に 万年筆で 「40.10.23」(多分 買った日)と書かれており 50年以上前の本、
若い頃から 読書の習慣等無かったはずだが、一時的に 熱中し 何回も読み直していたのかも知れない。

「伊豆の踊り子」は 1926年(大正15年)に 雑誌「文藝時代」に掲載され、1927年(昭和2年)に 単行本が刊行された短編小説。
数え年20歳の旧制一高生だった川端康成が 孤独と憂鬱な精神状態から逃れるために 伊豆を 一人旅した際の実体験を元に描かれている旅情と哀歓の物語である。
なによりも冒頭の一節は 後年にいたるまで 「伊豆」のイメージを膨らませてくれるものだったと思っている。

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃 
雨脚が杉の密林を白く染めながら すさまじい早さで麓から私を追って来た。

「私」とは 川端康成自身のことに他ならない。

私は 20歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。
一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り 湯ヶ島温泉に二夜泊り 
そして 朴歯(ほうば)の高下駄で天城峠を登ってきたのだった・・・・、

と 続いている。

その「私」が 旅の途中 下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり 17歳位に見えて実は14歳の一座の一員、踊り子の薫に淡い恋心を抱き、素朴で清純無垢な踊り子の心によって 孤児根性に歪んでいた「私」の心が 解きほぐされていくという過程が描かれている。
最後には 彼女との別れのシーンが有り、

頭が澄んだ水になってしまっていて それがぼろぼろ零れ その後には何も残らないような甘い快さだった。

で 物語が終わっている。

赤ラインが引かれている箇所の中で、特にずっと脳裏に焼き付いている一節が有る。
踊り子の兄栄吉の妻千代子と 踊り子の会話のシーンである。

「いい人はいいね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね。」
この物言いは単純で明け放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。

戦前、戦後、何回も映画化されたり、テレビドラマ化されている 「伊豆の踊り子」、
最初に原作を読んで抱いたイメージも 次第に演じた俳優や脚本に影響されて変化してきているようにも思うが、
やはり 原作から感じるものを大切にしたいものだ。

今年(2019年)2月16日、「河津七滝(かわづななだる)」を訪ね、
踊子コースの一部を歩いてきた。



三浦洸一の 「踊子」 (YouTubeから共有)