図書館から借りていた、安住洋子著 「日無坂(ひなしざか)」(新潮社)を、読み終えた。数年前までまるで読書の習慣等無かった爺さん、3年前、2020年11月に、たまたま読んだ「しずり雪」、先日読んだ「夜半の綺羅星」に続いて、安住洋子の著書、3冊目になる。読んでいる内に、どうも、前々作、前作からの続編のような感じがしてきて、シリーズ物と言ってもいいのかも知れない。
▢目次
第1章~第10章
▢主な登場人物
伊佐次(利一郎)、
利兵衛(貞吉)・おみよ、嘉兵衛・おぎん
栄次郎・お夕、紀乃介(大番頭)、矢太郎(番頭)
角造(笊(ざる)職人)・おそよ
鉄治・お房、庄太、吾一・おひさ、
弥平(貸元)・おせん、文治、源太、善三、長助、
天命堂彦右衛門
権左(貸元)、与一、
友五郎(本所松井町の岡っ引き)、新助(下っ引き)、
▢あらまし等
表題の「日無坂(ひなしざか)」は、東京都文京区目白台と豊島区高田の境界に実在する坂で、白山通りから折れた「富士見坂」と呼ばれる道から分岐して、Yの文字を描くように広がっていく狭い道なのだそうだ。本書では、「両側は大名の下屋敷の土塀が続き、さらにその上から松や欅(けやき)などの大木が覆いかぶさるように生い茂っているので日中でも暗い」と描かれている。
貸元弥平の下で、浅草寺裏の賭場を仕切る伊佐次は、裏社会に生きる身ながら、小ざっぱりとした身なりに、折り目正しい立ち居振る舞いで、本所清水町の裏店で一人暮らし、一見、堅気の人間に見える人間だった。もとをただせば、江戸の老舗薬種問屋鳳仙堂の跡取り息子として生まれた本名利一郎だったのだ。利発な子供で、本来ならば、やがては、鳳仙堂の主人として安泰な人生を送れるはずだったのだが、日の当たらない脇道に逸れてしまったのは、父親利兵衛との確執が原因だった。利一郎の父親利兵衛は、丁稚として鳳仙堂に入り、物覚えの良さ、甲斐甲斐しい働きぶりで先代の主人嘉兵衛から可愛がられて番頭に上り詰め、ついには、家付き娘おみよの入り婿へと引き立てられた、真面目一筋の人間だったが、先代の主人が亡くなり、自分が主人の立場になっても、「丁稚上がり」の負い目から婚家に気を使い、姑おぎんの顔色ばかりを窺うばかりで、利一郎にはことさらに厳しく、子どもらしく親に甘えることを許してはくれなかったのだった。そんな父親に対して、利一郎は、幼い頃から反発心を抱き、「もっと愛されたい」「自分に目を向けてほしい」という思いの裏返しで、悪さをしたりし、気持ちを素直に父親に伝えることもできないままに、次第に居場所が無くなり、転落、ついには勘当され、家を追われてしまうのだったが、切っても切れないのが、親子の縁。父もまた、素直に息子に愛情を注がなかったことを悔いる人生。互いに不器用で、思いを上手く伝えられないがために、すれ違ってしまった父と子が、実は、誰よりも思い合って、気遣い合っていたのだった
伊佐次は、長くて細く暗い「日無坂」を引き返して大通りに向かおうとした丁度その時、二度と会うことがないと思っていた父親利兵衛と一瞬すれ違うが、それが、父親との最後の別れになるとは・・・。その翌日利兵衛が、水死体で発見され・・・・。
裏社会に転落した脇道人生から足を洗いたい、堅気の生活に戻ろうとしていた伊佐次だったが、賭場から誘い出され、
7人に取り囲まれ、長脇差、匕首、あわや・・・。
「友五郎親分を呼んでくれ」
父親利兵衛の葬儀を無事終えた弟栄次郎が、伊佐次に言う。
「もう離ればなれになるのはよしましょう」
伊佐次は空を仰いだ。
冬枯れの木々が雪を含む厚い雲に手を伸ばしていた。
その枝は小さく芽吹きを始めていた。
伊佐次、栄次郎、友五郎、庄太・・・、のその後は・・。
何となく、続編を期待してしまうような文節で終わっているが、どうなのだろうか。
静謐な筆致で、市井に生きる人々の心の機微を捉えた、哀歓入り交じる長編時代小説だった。