たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「猫」に纏わる言葉、慣用句、ことわざ

2023年12月19日 17時54分02秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

「我が家の猫額庭で・・・・」等と、ブログ等に、頻繁に書き込んでいる類だが、「猫額庭(ねこひたいにわ)」等と言う言葉は無いはずで、「猫の額程の狭い庭」の意で、勝手に使っているだけの話、お叱りを受けるのかも知れない。
そんなことから、ふっと、「猫」に纏わる言葉や、慣用句、ことわざ等が、結構あることに気付いた。
ほぼ365日、漢字パズル?、漢字クイズ?等に没頭している妻の座右には、「国語辞典」「漢和辞典」「日本語に強くなる本」「四字熟語辞典」「役に立つ・故事・ことわざ・慣用句・辞典」が積まれており、ちょこっと借りて調べてみた。
ビックリ・・、有るは、有るは・・・、

「猫」に纏わる言葉、慣用句、ことわざ等
その一部を、書き写してみた。

(1)猫の額(ねこのひたい)
   猫の額は、有るか無いか分からない程小さいことから、非常に面積は狭いことを例える
   慣用句。

(2)猫の目(ねこのめ)
   猫の目は、明るさによりさっと形が変わることから、コロコロ変化することを
   例える場合の慣用句。

(3)猫に小判(ねこにこばん)
   猫に小判を与えてもその価値が分からないという意味合いの慣用句。
   類似慣用句に、「豚に真珠」「馬の耳に念仏」等が有る。

(4)猫糞(ねこばば)を決め込む
   猫は、糞(ばば)をした後に、砂をかけて隠すことから、悪事を働いた後、それを隠して  
   素知らぬ顔でいること、拾った落とし物等を自分の物としてしまう場合等に用いる
   慣用句。

(5)借りてきた猫(かりてきたねこ)
   猫は、慣れていない場所が苦手なことから、普段と違っておとなしく、つつましい様子を
   例えて言う慣用句。

(6)猫も杓子も(ねこもしゃくしも)
   何もかも、誰もかも、区別無く、みんな一緒に、という意味合いの慣用句。
   語源は、「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」、
   「禰宜(ねぎ)も釈氏(しゃくし)も」等、諸説有り。

(7)猫の手も借りたい(ねこのてもかりたい)
   役に立ちそうにない猫にでも手伝って欲しい位忙しいという意味合いの慣用句。
   誰でも良い・・・という意味が有るため、人によっては失礼に当たる場合も有る。

(8)猫を被る(ねこをかぶる)
   「本性を隠しておとなしそうな振りをする」、「何も知らない振りをする」ことを
   例えた慣用句。
   猫は、飼うと甘えてきて、一見おとなそうに見えるが、意外と獰猛な面が有り、
   二面性が有る動物であることから考えられたもの。

(9)窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)
   追い詰められた鼠は、猫にさえ噛み付く、絶体絶命の立場に立たされた場合、弱い者でも
   強い相手に反撃して勝つこともあるということわざ。出典は、「塩鉄論」


(10)猫の首に鈴を付ける(ねこのくびにすずをつける)
   イソップ童話に因んだことわざ。
   鼠達が、猫から身を守るため、猫に鈴を付けようと計画したが、いざ実行となると
   危険なため、引き受け手がいないという話。
   名案であっても、実行が困難であることを例えることわざ。

(11)猫は三年の恩を三日で忘れる(ねこはさんねんのおんをみっかでわすれる)
   猫は、飼い主の恩をすぐ忘れてしまう薄情な動物であるという意味合いの言葉。
   それに対して、「犬は三日飼えばその恩を三年も忘れない」という意味合いの
   言葉がある。

(12)猫に鰹節(ねこにかつおぶし)
   猫の直ぐ側に大好物の鰹節を置けば、いつ食べられるか分からないことから、
   少しでも油断出来ないことの例え、
   過ちが起こりやすい状況をわざわざ作るべきでないという戒めの慣用句。
   類似慣用句に、「盗人に鍵を預ける」等が有る。

(13)猫足(ねこあし)
   猫は、獲物を見つけると、爪をしまって、静かに近づくことから、
   物音を立てない歩き方を意味する言葉になっている。

(14)猫に紙袋(ねこにかんぶくろ)
   猫の顔に紙袋を被せると、それを取り外そうと必死になり、後ろずさりすることから、
   転じて、尻込みすることや、ある局面から後退することを意味する慣用句になっている。

(15)猫に木天蓼(ねこにまたたび)
   猫は、木天蓼が最高の好物であることから、大好物のこと、または、非常に効果が
   有ることを
例える慣用句になっている。

(16)猫は長者の生まれ変わり(ねこはちょうじゃのうまれかわり)
   あくせく働くこともなく、何不自由なくのんびりと眠って暮らす猫の様子から、
   前世は、金持ちだったのではないかという意味合いの言葉。

(17)猫の子一匹いない(ねこのこいっぴきいない)
   人がまったくいないことを例える慣用句。

等々、まだまだ有るが、切りが無い。


「猫」と言えば・・・・・、
1993年~2012年、19年間、
我が家の家族の一員?だった
三毛猫「ノンノン」を、思い出す。 
外付けHDに残っている古い写真を
何枚か引っ張り出してみた。

 

 


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あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

2023年12月19日 05時58分07秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その43

あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな


出典
拾遺集(巻十伍)

歌番号
45

作者
謙徳公

歌意
冷たくなったあなたへの恋の悲しさで沈んでいる私を
ああ、可愛そうだ、あわれだと言ってくれる人は、
あなたの他に誰も思い浮かばないので、
私は、きっと、このまま、むなしく死んでしまうだろうなあ。

注釈
「あはれともいふべき」の「あはれ」は、
「ああ、かわいそうに」と訳す感動詞。
「べき」は、「はずの」と訳す当然の助動詞、
または、「そうな」と訳す推量の助動詞。
「思ほえで」の「思ほえ」は、「思ほゆ」の未然形。
自然に思いつくという自発の意味を持つ。
「身のいたづらに」の「身」は、作者自身のことで、
「いたづらに」は、「むなしく」「無駄に」と訳す。
「なりぬべきかな」の「なりぬべき」は、
「きっと、◯◯してしまうだろう」の意。
「かな」は、詠嘆。
「身のいたづらに なりぬべきかな」は、
恋に悩んで死ぬことを意味する時に使われる表現。

「拾遺集」には、
「恋の相手が冷たくなって逢ってくれないので」という
詞書(ことばがき)がついている。
男性の歌としては弱々しく、女々しく感じられる歌だが、
平安時代の男性としては、
恋する人をあくまでも恋い慕うことが真実であり、
このような心情は当然のものであったらしい。
死を思うほど、せつなくやるせない恋の嘆きを表現した作品である。


謙徳公(けんとくこう)

藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の諡号(おくりな)
(「諡号」とは、死後、その徳を讃えて送られる呼び名のこと)
摂政太政大臣にまでなり、「一条摂政」とも呼ばれた。
和歌所の別当となり、「梨壷の五人」の主宰者としても知られている。
家集に「一条摂政御集」が有る。
右大臣藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の子。
貞信公藤原忠平(ふじわらのただひら)の孫。
藤原義孝(ふじわらのよしたか)の父。
妹の安子(あんし)は、第63代天皇冷泉天皇の母。
娘の懐子(かいし)は、第65代天皇花山天皇の母。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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