長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
古い写真から蘇る思い出の山旅・その59
「越前岳(えちぜんだけ)」(再)
かれこれ14年前の秋、2010年(平成22年)10月2日に、富士山の南側に位置する愛鷹山塊の最高峰、「越前岳」を訪ねたことが有った。
「越前岳」の山名は、元々知っていたと思うが、それまで、その方面の山を訪ねる機会等まるで無く、初めての「越前岳」だった。たまたま、その夏に、富士山の山麓、十里木に有った、旧い友人H氏の別荘に、初めて招かれ1泊したことが有り、その時に、目の前の「越前岳」を意識してしまったのだった。まだ自営業を続けていた頃だったが、手帳の予定表とにらめっこしながら、思い立って、忙中、敢えて、閑を作り?、早朝、コンビニで、菓子パン、おにぎりを調達、単独、車を飛ばしたのだった。
山行コース・歩程等
愛鷹山登山口バス停→(大沢林道)→愛鷹神社→愛鷹山荘→富士見峠→黒岳展望台→黒岳山頂→黒岳展望台→富士見峠→鋸岳展望台→富士見台→越前岳山頂→十里木高原展望台→十里木駐車場
(標準歩行所要時間=約5時間)
(昭文社・山と高原地図「富士・富士五湖」より拝借)
あらかじめ調べておいた、十里木街道の十里木駐車場(無料)に車を置き、
十里木バス停から、富士急路線バスで、愛鷹山登山口バス停へ、移動。
9時30分頃、「愛鷹山登山口」を、出発したようだ。
富士見峠
11時頃、黒岳山頂(標高1,086.5m)に到着、
小休憩、誰もおらず、
眼下の自衛隊演習地から、大砲の轟音が断続的に響いてくるのみ、
雲が纏わり付き、待望の富士山展望は成らず・・、
鋸岳展望
富士見台
富士見台と岡田紅陽
富士山の撮影に一生を捧げた岡田紅陽は、戦前戦後を通じて幾度か当地へ撮影に来ています。
越前岳から展望する富士山が、三ッ峠や天子ヶ岳等と共にそのすばらしさはよく知られています。
昭和十三年に発行された五十銭紙幣の図案に採用された富士山は、こ
の富士見台から撮影された富士山です。
13時30分頃、越前岳山頂(標高1,504.2m)の到着、
流石に人気の山、
家族連れ、夫婦連れ、グループ、女性単独ハイカー等々で、いっぱい。
雲が途切れ始めたので待機してみたが、お目当ての圧巻富士山展望は成らず、残念・・、
15時頃、十里木駐車場に帰還したが、
気温高く、湿気が強い1日で、全身汗ダクになってしまった気がする。
帰途に有る温泉施設で一浴・・、のつもりも有ったが、
途中で、急な仕事の電話も入り、
中央自動車道の渋滞を気にしながら、気忙しく、帰途についたような気がする。
因みに、「越前岳」は、福井県(越前)ではなく、静岡県(駿河)にあるのに、何故「越前岳」?
いろいろな説が有るようだが、そのひとつに、静岡県裾野市駒門付近から見ると、「前岳」が高く見え、その「前岳」より向こう側に有る山として「越前岳」と呼んだのだという説が有る。
当時は、まだ、「また来る時には笑っておくれ・・・♫」的気分だったと思うが、今となっては、「越前岳」もまた、二度と訪ねること叶わない、遠い思い出の山となってしまった。