gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、3年前の2020年12月に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「喫茶店の片隅で」にアクセスが有ったことに気が付いた。「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
「喫茶店の片隅で」(再)
昭和30年代~40年代に青春時代を過ごした人の多くは、「喫茶店(きっさてん)」という響きに懐かしさを覚えるのではないかと思っている。
喫茶店は、学生、若者等にとって、1杯のコーヒーで、何時間でも、理論をぶつけ合う場であったり、ひそかにデートする場であったりもした。
大都市はもちろん、地方の中都市の街中にも、「名曲喫茶」「ジャズ喫茶」「純喫茶」等の看板が林立し、コーヒー等飲んだことも無かったど田舎から都会に出た奥手の若者だった私等は、喫茶店に入ること自体、背伸びして大人の仲間に入ったように錯覚さえしたものだ。男性の喫煙が当たり前の時代、喫煙を覚え、たいがいの喫茶店には個性的なマッチが用意されており、それらを集めて喜んでもいたりもした。貧乏学生だったこともあり、喫茶店に入り浸り等出来るはずもない類だったが、当時入ったいくつかの喫茶店の店名や、こげ茶系だったり、螺旋階段が有ったりしたアンティークな店内の設え等のイメージは、未だになんとなく脳裏に焼き付いている。時代が変わり、現在でも「喫茶店」は有ることは有るが、あの当時の若者がたむろった喫茶店とは、ちょっと異なるような気がしている。
「喫茶店」から、思い浮かぶ曲のひとつに、「喫茶店の片隅で」が有る。
今更になってネットで調べてみると
「喫茶店の片隅で」は、作詞 矢野亮、作曲 中野忠晴、唄 松島詩子で、1955年(昭和30年)に、発売されたシャンソン風歌謡曲だった。
歌詞がそのまま、思い出と重なる方も多いのではないかとも思う。
「喫茶店の片隅で」
作詞 矢野亮、作曲 中野忠晴、唄 松島詩子
1 アカシヤ並木の 黄昏は 2 ふたり黙って 向きあって 3 遠いあの日が 忘られず |
「喫茶店の片隅で」・松島詩子 (YouTubeから共有)
♫
当たりの喫茶店、一人で入ったものでした。名前は思
い出せない。「灯」は新宿で歌声喫茶でした、この頃は友達もでき苦手な歌でも一緒に声は出たもので一人では出来ないことも皆と一緒ならということの実感、そのうえ女の子と話ができ、帰りの駅の前では別れの握手さえ出来たのです、人生の教室は喫茶店からでしたね。
コメントいただき有難うございます。
一人の時はシジャズ喫茶に行きましたが、初デートの時喫茶に入り「何を飲む?」なんて
私はコーヒーよりミルクが好きで、デートでおかしいですがミルクを頼みました、ミルクでタバコ吸ってるんだからなんかおかしいですよね。
彼女はウェイトレスにさりげなく「私はレスカ」
私も田舎者ですから? 何だかわからず、そっと聞いたら「レモンスカッシュよ」
彼女は新潟市育ち、やはり都市部の子はスレてるなあ
と思いましたが、カッコいいとも思いました。
あの後、私も「レスカ」注文して悦に入っていましたね。
いいですね!、
当時の純朴さが、目に見えるようです。
レモンスカッシュ、クリームソーダ、・・・、
おしゃれな飲み物?と 思ったりしたものですね。
コメントいただき有難うございます。