図書館から借りていた 平岩弓枝著 「新・御宿かわせみシリーズ」第3弾目の作品、「花世の立春」(文藝春秋)を 読み終えた。
本書には 表題の「花世の立春」の他、「明石橋の殺人」、「俥宿の女房」、「糸屋の女たち」、「横浜不二山商会」、「抱卵の子」の 連作短編6篇が収録されている。
読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう爺さん、読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも その都度、備忘録としてブログに書き留め置くことにしている。
主な登場人物をあらすじ
「明石橋の殺人」
大泉吉太郎、内藤ふみ、初代、英子、三崎九郎右衛門、今里新造、
突然、「かわせみ」に、佐倉から来たという大泉吉太郎、内藤ふみがやってきて、宿泊させることを決めたのは若女将千春と女中のお晴だった。吉太郎はふみを置き去りに行方をくらまし、ふみは迎えにきた治助に伴われて帰っていった。花世に案内され、銀座見物に出掛けた千春とお吉、「まるで どこか異人さんのお国へども迷い込んだような気がしますよ」とお吉。珈琲屋で休憩中、麻太郎、源太郎と出会うが その店で女連れの吉太郎を見かける。「助けて、姉さんが吉太郎を殺しに・・」。靄ごもった明石橋の上に男女が。刀を抜いたのは女で男は洋傘を振り回して防御、そこへもう一人、女が現れ・・、「待て」、麻太郎、源太郎が走り寄ったが・・・。
「俥屋の女房」
大黒屋弥平、津也子、お長、久太郎、彦六、道長冶之助、
源太郎がバーンズ診療所にやってきて 弥平と妾のお長とお長の父親彦六が死んだと 麻太郎に知らせる。死因は?。花世が津也子の気持ちを承知しながら土佐へ去っていった道長冶之助を激しく非難。この篇のラストシーンは、想像していた以上の急展開・・、「源太郎さんがお仕置になったら花も死にます・・・」、源太郎が息を呑むのが障子のむこうで感じられて、麻太郎は足音を立てないように玄関を出た。
「花世の立春」(表題作)
源太郎、花世、松本きみ、
立春まであと7日という朝 源太郎の家にひょっこりやってきた花世、「源太郎さんにお願いがあります」。はねっ返りのじゃじゃ馬娘、子供の頃から花代のお願いにつきあわされてその都度痛い目にあっている源太郎だが 花世には、反射的に「はい」と返事してしまう癖がある。「立春に結婚しましょう」、後手後手に廻って慌てる源太郎に 「焚き立ての御飯を食べてさしあげます」等と、気ばかり急いて実力が伴わない花世、無茶苦茶なのを見かねて「かわせみ」の面々や長助、麻太郎が手伝って準備を進める。4人だけの婚礼が終わった後にやってきた松本きみ、「銭もらいに来たんじゃねえよ」、源太郎は 花世が泣いているのを知った。おっとりした畝源太郎と男勝りの麻生花世、幼馴染みの二人が夫婦となる・・・、それも有りかなと予想はしていたものの 果たしてうまくやっていけるのだろうか、一抹の不安が漂っている。
「糸屋の女たち」
清兵衛、春野、清吉、吉之助、お雪、おとよ、重兵衛、おきみ、辰三郎、お三津、
京橋の老舗糸屋の番頭吉之助が変死、死因は?、から始まり、先代清兵衛の妾の娘おとよ、おきみ姉妹とその連れ合い重兵衛、辰三郎、次々起きる変死事件、亡くなった跡継ぎ清太郎とは?、その子供(孫)清吉を新聞の尋ね人記事で探し出した糸屋女主人春野は?、女執事お雪とは?、「寅年だと・・・」、源太郎が恋女房花世の顔を見た。複雑な人間関係の謎解をきに花世が参入する。花世は悠々と続けた。母親お三津の胎内で抱き合って育った兄妹、物心付かない内に他人の手に引き裂かれたことから始まっている憎悪が根底に有ったとは・・・、
「横浜不二山商会」
藤山洋介、志津、海太郎、お光、忠次郎、春江、高山仙蔵、岡三郎兵衛、篠崎忠右衛門、
「私夫を 殺しました・・・」、高山仙蔵の家に横浜不二山商会の内儀遠山志津が駆け込んできた。麻太郎、源太郎が真相を探索するが・・・。お志津の夫遠山洋介が殺され、お志津の妹お光の夫忠次郎が殺害され、殺人の動悸は?、下手人は?、決めてが無く、謎解き混迷、「だったら最初から調べ直しをしなさいな」、花世に窘められる源太郎、「先生、洋介殺しの下手人は誰とお考えですか」・・二人はやがて港に背を向けて歩き出した。
「抱卵の子」
立花久太郎、大山政子(お菊)、大山寅吉、中里安之助、
土砂降りの雨の中で転んだ千春を助けた立花久太郎は 20年も前に生き別れた実母お菊を探しに 千葉県袖ケ浦から江戸に出てきた青年。「若先生、千春お嬢さんがさらわれました」、「かわせみ」の番頭庄吉が 麻太郎に封書を突き出した。「今夜、三更、九段坂上、騎射馬場にて 見参申す」。麻太郎と源太郎が駆け付け、「千春、どこにいる」、
そこには名前を変え悪徳商売に手を染めた久太郎の実母がいたが・・、「人違いでした・・・」。
「それで 納得して房州に帰るのですか」、時鳥という鳥は何故か卵を自分の巣ではない、他の鳥の巣に産み落とす。「赤ん坊の私を抱いて大地震の中から逃げて、故郷へ帰ってずっと守り育ててくれましたのは乳母だった」と久太郎は瞼を赤くしながら語り続けた。
(豆知識)
「佐倉」は 明治4年の「廃藩置県」で「佐倉県」に、その後「印旛県」に変わり、明治6年には「千葉県」に、短期間に2度県名が変わったのだそうだ。明治新政府により 当初 全国に3府302県有った県が統廃合され、県名も矢継ぎ早に変わり、当時は 下々の者はついていけず、自分が住んでいる土地が何県なのか分からない者が多数いたのだという。「明石橋の殺人」で 大泉吉太郎が「かわせみ」の宿帳に「印旛県佐倉」と書いているが 実際は 「千葉県佐倉」だったことを 番頭の庄吉が指摘する場面がある。