足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
(ネットから拝借画像)
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その8
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな
出典
後拾遺集(巻十二)
歌番号
52
作者
藤原道信朝臣
歌意
こうして夜が明けてしまうと、やがて日が暮れて、
またあなたに逢うことが出来ると分かってはいますが、
それでもやはり恨めしい夜明けであることよ。
男性が、女性の所に、夜訪れ、
夜明けに帰らなければならないというのが
当時の結婚の習わしだったが、
その翌朝の別れの恨めしさを詠んだ歌。
注釈
「明けぬれば」・明けてしまうと、
「知りながら」・・知っているけれども、
「ながら」は、逆接の接続助詞、
「朝ぼらけかな」・・夜がほのぼのと明ける頃、
「かな」は、詠嘆の終助詞、
藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)
太政大臣藤原為光の子、藤原道兼の養子。
和歌の才能に恵まれ、従四位上、左近中将になったが、23歳で早逝した。
「大鏡」「今昔物語」に人物伝が有る。
川柳
もてぬ夜はなほうらめしき朝ぼらけ
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)