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「宮廷 花の紳士録」・まんがゼミナール「枕草子」その14

2021年07月22日 06時14分22秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)


「宮廷 花の紳士録」・まんがゼミナール「枕草子」その14

第102段 「中納言参り給ひて」
中宮定子の弟の中納言藤原隆家が、定子に扇を献上してから、自分の持っている骨を自慢、それに張る上質の紙を求めていることが見え見えだが、隆家は決して「扇の骨」とは言っていない。清少納言は、「見たことも無い骨だ」という隆家の言葉じりをつかまえて、「それでは、海月(くらげ)の骨ね」と言い、隆家を茶化す。中宮定子の父親藤原道隆が摂政関白だった栄華の絶頂期、和気藹々の良き時代の一こまが描かれている。

中納言隆家様参り給いぬ。
中宮定子「まあ、すばらしいプレゼントやわ!」
(隆家)「そうや、妹とはいえ、やんごとなき中宮様やからな」
「ところで、ワイは特上の骨を見付けたんやが・・・」
(定子)「いったい、どのように素晴らしい骨でおます」
(隆家)「なにかも、素晴らしいで。骨の中の骨、骨の王者というとこや」
「今まで、「だれも見たこともないような骨だ」と
みんなが大騒ぎするほどのものや」
(清少納言)「ほな、それは、くらげの骨に違いあらへんでおますやろ!」
(隆家)「へっ?」
ワーッハハハ、「それは、おもろいギャグや!、
ワイのアイディアということにしとくで!」
(清少納言)「たかが扇と骨のことやのに、あほらし!、
ワテの「枕草子」はファンが多くて、どんなことでも書け言うから、
こないつまらんことも書くのや」


原文だよーん

中納言参り給ひて、御扇(おほんあふぎ)たてまつらせ給ふに、
「隆家(たかいへ)こそ、いみじき骨は得て侍れ(はべれ)。それを張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求め侍るなり」と申し給ふ。
「いかやうにかある」と問ひ聞こえさせ給へば、
「すべていみじう侍り。「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」となむ、人々申す。まことに、かばかりのは見えざりつ」と言高く(ことだかく)宣(のたま)へば、
「さては、扇のにはあらで、海月(くらげ)のななり」と聞こゆれば、
「これ、隆家が言(こと)のしてむ」とて笑ひ給ふ。


(注釈)

中納言藤原隆家様が参上なさって、中宮定子様に御扇を献上なさった時に、「この隆家は、大変素晴らしい骨を手に入れました。それに紙を張らせて差し上げようと思うのですが、並々の紙を張るわけにはいきそうもありませんので、よい紙を探しているのです」と申し上げなさる。
「いったい、どのような様子の骨なんですか」と中宮様が尋ね申し上げなさると、「なにもかも素晴らしいことでございます。「全くまだ見たことも無い様子の骨だ」と人々も申しております。女房達よ、本当に、これほどのは無かったぞ」と 声高におっしゃるので、私が、「それでは、扇の骨ではなくて。海月(くらげ)の骨のことらしいですね」と申し上げると、「このしゃれは、私のしゃれということにしてしまおう」と言ってお笑いなさる。


中納言藤原隆家は、のちの政変で、兄大納言藤原伊周と共に失脚し、出雲に流刑となった人物。
清少納言は 隆家のことをあまり好きではなかったようである。


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