今朝の朝日新聞朝刊の「天声人語」に、「ドウダンツツジ」に纏る話が載っていることに気が付いた。「ドウダンツツジ」については、先日、ブログに書き込んだばかりだが、プロの造詣深く、しみじみと心に染みる文章に感じ入りながら、興味深く読ませてもらった。ブログに書き留め置きたい気分になり、無断転載させていただくことにした。
2021年12月6日、「天声人語」
このごろまち歩きをしていてどきりとするのは、ドウダンツツジの生け垣である。真っ赤になった葉に、どこかこの世のものでないような趣がある。春に咲く白い花を星に例え、ドウダンは満天星と書く。いまは満天星紅葉(どうだんもみじ)となり、文字からしてきらびやかだ。▶日の光に照らされ、輝く紅葉を照葉(てりば)という。もちろん朝の光、昼の光のなかにある葉は美しい。しかし色づいた葉は夕方にこそ映えるものだと、いつの頃からか思うようになった。夕闇に輪郭が溶込んでいくような赤や黄に目を奪われる。▶カズオ・イシグロの小説「日の名残り」の終わりに夕暮れの場面が出てくる。主人公の執事が、桟橋のベンチで一緒になった男から話しかけられる。「夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい」(土屋政雄訳)。▶老年とおぼしき男は、夕刻になぞらえて、人生の時間について語っているのだろう。しかし同時に、日々の夕暮れも楽しんでいる。それは桟橋に集まってきた他の人たちも同じで、めいめいが夕闇の訪れを待っている。▶「山くれて紅葉の朱(あけ)をうばひけり」。蕪村の句の17音には、刻々と流れる時間がある。色彩が暗闇にのみ込まれるまでの間に、葉っぱたちがいっときの競演を見せてくれる。もしも窓の外に少しでも木々があるなら、その時間を待ってみてはいかがだろう。▶夕刻に自らの人生を重ねる年頃の人も、そんなときが来ることをまだ想像できないという人も。