先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり記憶が無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。
「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
ブログ・カテゴリ-「懐かしいあの曲」に、書き留め置こう等と、思い込んだところだ。
民謡をたずねて・その32
「糸魚川小唄(いといがわこうた)」
(新潟県)
ハー、登り登ろヨー、白馬の山へ、ヨッチョイセ、
糸魚川からネー、チョイトサ、姫川づたい
汗は蓮華の湯壺で流し、お花畑を寝どころに、
ヤンレサッテモサッテモナ、ヤンレヨイヤサノヨイヨイヨイ、
幼少期、北陸の山村で育った爺さん、まだ、民謡等という意識も無い頃だったが、
近隣の町、糸魚川の歌として、覚えてしまったような歌が有った。
後年になって、それは、古くから歌われていた民謡ではなく、
昭和初期に、地元出身の作詞家相馬暁風が作詞し、中山晋平が作曲した、
「糸魚川小唄」だったことを知ったものだが、
すっかり脳裏に焼き付いており、懐かしい民謡のひとつになっている。
「糸魚川小唄」で、「ブログ内検索」してみたら、
すでに、7年前にも書き込んでいることが分かり、振り返ってみた。
振り返り記事(7年前)
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2017年1月5日 「祈願・早期復旧復興」」
作詞・相馬御風、作曲・中山晋平で、
昭和11年に発表された
糸魚川小唄 歌詞
つもる白雪 サラリと解けて 春は太鼓の 音から明けりゃ
若い力で せり合う神輿 稚児の舞う手に 花が散る
沖は万灯か 竜宮城か 太刀魚釣りかよ いか釣り舟か
浜のさざめき 夜更けの空に 夫婦星かや チラチラと
海は翡翠か 雫は真珠か 波にうきうき 南を見れば
空にゃ銀色 白馬ヶ岳も 笑顔涼しく 雪を抱く
のぼろのぼろよ 白馬の山へ 糸魚川から 姫川づたい
汗は蓮華の 湯壺で流し お花畑を 寝どころに
ヨホイヨホイで 盆の夜が更ける 稲は満作 穂に穂が下がる
唄の文句は 細谷川で 鶯の声 ほのぼのと
夜の村雨 カラリと晴れりゃ 山は紅葉の あの裾模様
りんと立ったる 黒姫さまも 今朝はホンノリ 薄化粧
海の遠鳴り 夜風は寒い どこで鳴くやら あの浜千鳥
心しみじみ 月見て更かす 秋の浜家の しめやかさ
白馬しまけば 里には霰 海は高波 能登さえ見えぬ
柑子蜜柑の 色づく頃は 濡らすまいぞえ 稲架の稲
美山三本松 あのスロープに 残すスキーの 痕さえ光る
光る雪道 里から里へ なさけ心の 通い道
雪はふるふる 昨日も今日も 明日は雪かよ 炬燵のまどい
唄ではげまし 話でなだめ 同じ思いで 春を待つ
(参考・参照)
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