第3章 「くにと千代子」
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張作霖爆殺事件、柳条湖事件・・・・、関東軍の自作自演の事件をきっかけに、昭和7年(1932年)、傀儡国家に反対していた犬養毅内閣総理大臣が殺害される「五一五事件」が発生、昭和8年(1933年)には、日本は、国際連盟を脱退し、国際社会から孤立、次第に日中戦争に向かい始めていた時代だったが、くに、源吉の暮らしには、まだまだ、大きな変化は無く、平穏だった。
40代に入ったくには、内縁の夫源吉と、養女千代子と、このまま、安寧な暮らしが続いてくれれば、それでいいと思うようになっていた。
だがしかし、そんな暮らしがあっという間に崩れる運命が、待ち構えていた。
目黒油面の家に引っ越して2年目の年の暮のこと、晴天の霹靂、くににも、千代子にも、良き夫、良き父親を演じてくれていた源吉が、急死してしまったのだ。
その日、鳶職だった源吉は、町内の歳末年始の飾り付けに動員されていた。主に高所の作業を引き受けていたに違いない。その飾り付けも大方、終わろうとしていた頃に、源吉が梯子から降りようとした時、誤って頭から転落したというのだ。直ぐに病院へ運び込まれたが、知らせを受け、くにが病院に駆けつけた時には、すでに帰らぬ人になっていたのだ。付き添っていた町内の世話役も
「それ程高い所からの落っこちた分けじゃなかったんですが、・・・、打ち所が悪かったようで、・・・、まさか、こんなことになるなんて・・・、」、言葉を失っている。
学校にも知らせが届き、早退けしてきた千代子も、その現実が飲み込めず、くににすがり付くだけだった。
「なんで・・・、なんで・・・、」
くにと千代子は、源吉の枕元で、悲しむことさえも忘れ、ただ呆然とするばかりだったが、くにには、泣いてばかりいられない緊急事態であり、気を取り直し、身内が居ない内縁の夫源吉の葬儀の手配をし、気丈なところ見せなければならなかった。その時はまだ、これから先、内縁ではあったが頼りにしていた夫源吉を失い、千代子と二人で、どうやって生きていくのか等、新たな試練に思いを巡らす余裕等、くにには無かった。
(つづく)