相互フォロワー登録している数多のブログを拝見していて、毎年、秋、北から渡ってきて越冬し、春、北に帰る白鳥等多くの渡り鳥の写真を目にする度、必ず思い浮かんでくる曲がある。
「北帰行(ほっきこう)」だ。
昭和30年代、40年代頃、歌声喫茶等で良く歌われたり、ラジオから盛んに流れていた曲である。ダークダックスやボニー・ジャックス等のコーラス・グループや加藤登紀子等も歌っており、知らない人はいない曲だと思う。さらに、昭和36年には、小林旭が歌い、歌謡曲としても大ヒットしたが、それまでのイメージとはちょっと違った「北帰行」に思えてしまい、当時は、少なからず違和感を感じたものだったが・・・。
今更になってネットで調べてみると、
「北帰行」、元々は、旧制旅順高校で歌われていた愛唱歌で、広義では、寮歌だったのだという。1941年(昭和16年)に、開校したばかりの旧制旅順高校に入学した宇田博が、同校の第1回寮歌として作詞、作曲した楽曲なのだそうだ。
「へー!、そーだったの」、目から鱗である。
寮歌と言えば、とっさに、有名な、一高の「嗚呼玉杯に花うけて」や、三高の「琵琶湖周航歌」、「紅燃ゆる丘の上」や、北大の「都ぞ弥生の雲紫に」等が思い浮かんでしまうが、「北帰行」もまさしく、メロディー、歌詞共、旧制高校時代の寮歌である。
宇田博作詞、宇田博作曲
「北帰行」
窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず
夢は空しく消えて 今日も闇をさすらう
遠き想いはかなき希望(のぞみ)
恩愛(おんない)我を去りぬ
今は黙してゆかん 何をまた語るべき
さらば祖国いとしき人よ
明日はいずこの町か
明日はいずこの町か
「北帰行」(YouTubeから共有)
振り返り記事「嗚呼玉杯に花うけて」 → こちら
小学校6年生の時、学校の休み時間に口ずさんでいた記憶があります。
その頃は小林旭の歌で知っていました。
東京から東北の故郷へ帰っていく歌だと思っていましたね。
寂しげな曲調が心に残る歌でした。
最近の音楽、知らず、分からず、覚えられずですが、子供の頃、若い頃、聞いていた音楽って、忘れないものですね。
コメントいただき有難うございます。
それによく似たのが「惜別」です。
その頃の浅丘ルリ子さんは可愛かった印象です。
現在はちょっと面影が?です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9C%E5%88%A5
懐かしい歌を聞かせていただきました。
学生時代に友が教えてくれました。
建大、一高、旅高、
追われ闇を旅ゆく
さらば祖国、愛しき人よ
明日は何処の街か
建州大学、第一高等学校、旅順工業大学というふうに教わりました。
歌詞の意味は、当時禁制だったマルクス主義を信じる学生が、次々と大学を追放され、祖国日本を捨て、恋人も捨てる青春の蹉跌の歌と理解していました。
誰の歌にも、この歌詞がありませんので、今はこのように変わったのでしょうね。宇田氏は恋愛でなく、社会主義思想のため学校を追われたと思っています。
余計なコメントを入れましたこと、ご容赦ください。
だと思いますが、
コメントいただき有難うございます。
不勉強な爺さん、太宰治も、惜別も、知識、情報、持ち合わせていませんが、
小林旭、浅丘ルリ子・・・・、
往年のスター、懐かしいですね。
時代は、すっかり変わってしまいました。
古いものを懐かしがっているブログです。よろしくお願いします。
知識、情報、蘊蓄、目を見張るばかりです。
目から鱗・・・、
「へー!、そうだったんですか」・・です。
コメントいただき有難うございます。