足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その18
白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
出典
後撰集(巻六)
歌番号
37
作者
文屋朝康
歌意
草葉の上の白露に風が
しきりと吹きつける秋の野は
まるで、しっかりと糸を通していない白玉(真珠)が
ハラハラと散りこぼれているように、
美しく見えることよ。
注釈
「白露(しらつゆ)」=草の葉の上に置いた、白く光っている露のこと。
「風の吹きしく」=「風がしきりに吹きつける」の意。
「しく」は、「しきりに」の意。
「つらぬきとめぬ玉」=「糸(紐)を通していない宝玉(真珠等の玉)」の意。
「玉」は、「白露」の比喩。
「散りける」の「ける」は、詠嘆の助動詞。
真珠の玉を散らばした美しさは人工的なものであり、
白露の美しさは自然のもの。
その両方の美しさを絡ませて、詠んだ作品で、
「古今集」、「後撰集」時代の特色の一つと考えてよい。
文屋朝康(ふんやのあさやす)
文屋康秀の子、
家柄のせいで、いくつかの歌合等に参加していたが、
作品は、「古今集」に一首、「後撰集」に二首しか見られず、
経歴、生没年等、未詳。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
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