足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その22
浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
出典
後撰集(巻九)
歌番号
39
作者
参議等
歌意
低い茅(ちがや)の生えている野の篠原の「しの」という言葉のように
(私は慕わしい心をおさえて)思い込んでいるけれども
どうにもこらえきらないで、どうして、あなたがこんなにも恋しいのであろうか。
この歌は、いわゆる「本歌取り」の歌で、
本歌は、古今集・よみびとしらずの
「浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめや言う人なしに」
(あの人を恋し慕っていることもを、あの人は知らないだろう。
私の心をあの人に伝える人はいないのだから)
本歌の趣を一段と深めて、
女性に対するこらえきれない恋心の不思議さとやるせなさを
自分自身に問いかけている歌。
注釈
「浅茅生の」の「浅茅」は、茅草(ちがや)がまばらに生えいる所の意。
「小野の篠原」の「小野」は、野原のこと。「小」は接頭語。
「篠原」は、細竹、小竹の生えている野原のこと。
「忍ぶれど」は、「忍ぶ」の未然形。
「あまりてなどか」は、「忍ぶにはあまりで(耐えきれない)」の意。
参議等(さんぎひとし)・源等(みなもとのひとし)
中納言源希(みなもとまれ)の子。
嵯峨天皇の曾孫。天暦元年(947年)に、68歳で参議になった。
平安時代中期の歌人
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)