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みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

2022年11月06日 18時08分00秒 | 懐かしい小倉百人一首

昨年の年末から今年の年始に掛けて、「百人一首で「恋」を詠んだ歌」を、何首か、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・短歌・詩」に、書き留めたことが有ったが、その最後の投稿の末尾で、

     百人一首で「恋」を詠んだ歌、
     まだまだ数多有りだが
     そろそろ、正月気分も抜けてきたし・・・
     これにて 休眠・・・
     続きは また、師走頃にでも・・・・

等と書き込み、「続き」をするつもりでいたことを、思い出した。
17首を取り上げていたことも分かったが、今年も残すところ1ヶ月半程になり、その「続き」を再開することにした。

「百人一首で、「恋」を詠んだ歌」(1)(17首)


足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

 


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その18

みかの原 わきて流るる いづみ川
いつ見きとてか 恋しかるらむ

出典
新古今集(巻十一)

歌番号 
27

作者
中納言兼輔

歌意
みかの原を分け貫いて流れる「いづみ川」、
その「いつ」という言葉ではないが、
いったい、いつ見た(あの人にいつ逢った)ということで、
どうしてこんなにも恋しく思われるのであろうか。
一度も見たことも(逢ったことも)ないのに。
その女性を知ったのはいつなのか、どこなのか、
実際に逢ったのか、人からの話で恋心を抱いてしまったのか
理解に苦しむが
わきあがる気持ちだけは真実であるという
恋心の不思議さを詠んでいる

注釈
「みかの原」は、京都府相楽郡の「いづみ川(現在の木津川)」の
北岸一帯の原のこと、
「わきて」は、「湧く」と「分く」の掛詞。
「いつ見」の「いつ」は、「何時(いつ)」、
「見」は、男女が逢うことの意。
「とて」は、「と言って、と思って」と訳す。


▢中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)(藤原兼輔)
 紫式部の曽祖父。従三位・中納言まで進んだ平安貴族。
 紀貫之等の後援者であり、十世紀初頭の歌壇の中心的存在だった。
 三十六歌仙の一人。家集「兼輔集」が有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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