妻が 卓球サークルの仲間からいただいたという 背の低い鉢植えのバラ、
先月 初めて 一輪だけ蕾をつけ 注目していたが
なかなか開花せず、
「君は 蕾のまま 終わるのかえ」
と 話掛けていたものだが、ようやくほぼ開花した感じだ。
「写真を撮るだけ係」の爺さんの出番だ。
師走の庭に たった一輪の薔薇、
「サービシカッタ ボークノニーワニ バーラガサイタ ♪」
百万本の薔薇も良いが これもまた良し・・・かな?
「薔薇一輪 師走の庭に 凛と咲き」
妻が 卓球サークルの仲間からいただいたという 背の低い鉢植えのバラ、
先月 初めて 一輪だけ蕾をつけ 注目していたが
なかなか開花せず、
「君は 蕾のまま 終わるのかえ」
と 話掛けていたものだが、ようやくほぼ開花した感じだ。
「写真を撮るだけ係」の爺さんの出番だ。
師走の庭に たった一輪の薔薇、
「サービシカッタ ボークノニーワニ バーラガサイタ ♪」
百万本の薔薇も良いが これもまた良し・・・かな?
「薔薇一輪 師走の庭に 凛と咲き」
ここ数年で 書棚や押入れや天袋に何十年も眠っていた 世界文学全集や百科事典等、古い本類や辞書類も かなり整理処分してはきたが なかには 「もったいない」、「改めて読んでみたい」等という気が働いてしまい 処分し切れずにいる本も まだ結構有る。
戦後 間もない頃、貧しい家で育ち、本等おいそれと買ってもらえず、「本は大切な物」という観念が出来上がっている古い人間、
思い切った断捨離を心掛けている一方で いざ 処分するとなると決断が鈍ってしまう、迷ってしまうのである。
書店等で買い求めた記憶がまるで無く そのほとんどは 1度も読んでみた記憶も無い、夏目漱石の一連の本も その類である。
もしかしたら 今は亡き 本好きだった義母から妻が譲り受けた本なのかも知れないし、息子達が学生の頃買って 置いていった本なのかも知れないが、
どれもこれも いつか読もう等という気で仕舞い込んでいたものだと思う。
「いつ読むの?」
数年前まで 自営の仕事を続けていて 読書する等という 時間的余裕、精神的余裕が無く、ほとんど本と向き合うことが無かった類であるが、
完全に仕事を辞めてから 「金はない無いけど、時間が有る」暮らしになり 徐々に、徐々にであるが 読書に充てる時間が増えてきている。
目下のところ、図書館から借りてくる時代小説を好んで読んでいるが
夏目漱石の作品、
なんとなく 読み通すには時間が掛かりそうだが、せっかく有る本、少しづつ読んでみようか・・・、等という気にもなり始めている。
とりあえず「三四郎」「それから」「門」の三部作からに しようかな。
当地 今日は 朝の内曇っており、冷え込みが厳しかったが 次第に薄日が射し、午後には青空も見え出した。
前回の畑仕事から 2週間も放ったらかしの畑、
年の暮れも押し迫ってきて、気になり出し、
午後になって やおら重い腰を上げ 畑へ向かった。
畑の横の栗林、
(1)のらぼう菜の追肥と土寄せ
(2)大根6本収穫と 残っている大根の土寄せ
大根は随時収穫し おでん、みそ汁の具、大根おろし等で食しているが
老夫婦だけでは 決して消費出来るものでなく、
もしかしたら、お裾分けする方が多いかも・・・、
(3)イチゴの畝の草取り、追肥、水やり、防寒ネット張り、
(4)小松菜の収穫
虫食いだらけ、「無農薬」「新鮮野菜」に拘る限り 仕方無し。
結構 時間が掛かってしまい 日が傾き出した16時頃 引き上げてきた。
早速 妻は 今日収穫した大根や 先日収穫した里芋等を 何人かの友人に お裾分けする段取りをしている。
当地 今日は 終日快晴、
体感的には温かく、こんな日を小春日和というのだろう。
絶好の行楽日和にも拘わらず、
妻と義姉を 音楽会の会場まで送って 帰ってきてからは
出掛ける気分が失せてしまい、
なんとなく ボーっと過ごしてしまった。
ほとんど 動いていないし・・・、
いかんなあ!、
やおら 重い腰を上げ
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し
先程 帰ってきたところだ。
今日は O指導員による平泳ぎ中心レッスン、
毎度のこと、基本、基本の繰り返しだが
特に ストローク、手の位置、動き、姿勢をチェックされた。
平泳ぎのストローク(YouTubeから共有)
レッスン終了後、
例によって居残ったが
居残ったのは ベテラン女性2人だけ。
3人で 5秒間隔スタート、
クロール 50m×10本、4種目 25m×4本 泳ぎ
引き上げてきた。
今日もまた、右足脹脛、攣る寸前になったが
だましだまし、
なんとか 泳げ切れた。
泳いで帰った後の遅い夕食、
程良い疲労感とすっきり感、
1杯のビール(格安缶ビールだが)で
気分良くなっているところだ。
斯々然々、師走の1日が終わらんとしている。
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上記記事、昨日12月14日に投稿したものだが
どこをどういじったかは不明、
「下書き」に 戻っていたことが分かり
再度 投稿
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当地 今日は 快晴の1日になりそうだが 今朝の気温は 2度前後、最低気温が 5度以下になる日が多くなってきた。
毎年 12月中旬になると 炬燵を設えることにしており 朝から掃除やらなんやら・・・、
洋間に電気炬燵・・・ではあるが
炬燵と蜜柑・・・北陸の山村育ちには 懐かしい冬の情景。
なんだか ほっとする。
朝 西の空に目をやると まんまるお月さん、
昨夜?一昨夜? 満月だったようだ。
当地 今日は グンと冷え込み、日中の気温も 7度前後止まり。真冬の寒さとなった。
終日 曇天だったが 午後やや薄日が射した時間帯に ちょこっと近くの川沿いを歩いてきた。(スマホの歩数計で 約7,000歩)
今日も カワセミを見かけたが かなり距離有り、ピンボケ。
ダイサギ?チュウサギ?
カワウ、
カモ
アオサギと ダイサギ?チュウサギ?
そこへ カワウが 割り込んできて、
ダイサギ?チュウサギ?に ナンパ?
「そこの 白いカワイコチャン、オイラと遊んでくれない?」・・・なんだか アピール開始?
「ウッ(鵜)!、気持ち悪い・・、それ以上 近づかないで・・・」
「そんなこと言わないでさあー、一緒に踊ろうぜ!」
バサ、バサ、バサ、バサ・・・、
「オイ、そこの黒いの、相手を間違ってんじゃないかい。いっくら口説いたって無駄だぜ!、そいつは 俺たちの仲間みてえな子だからよ」
「さっさと消えちまえな」
「アオサギの親分さん、有難うございました。」
「なんの これしきり。黒いのには気をつけろよ」
日本には古来から わずか三十一文字(みそひともじ)で 心情や風景を読む「和歌(短歌)」等が有り、江戸時代頃からは わずか十七文字で ワビ、サビを表現したり 時事や暮らしを捻って表現する「俳句」や「川柳」も生まれ 日本独特の短詩文芸が 現在も尚、盛んに行われている。
つい最近までは そんな世界にも興味関心も薄く、まるで無縁な類であった気がするが、6年前の2013年2月9日の朝日新聞の「川柳人気、にわかに急上昇」なる記事に目が止まったことから 突然
「川柳」とはなんぞや?も分からないまま 「なんか、面白そう?」等と思い込んでしまい、
お金の掛からない頭の体操、ブログネタのつもりも有って 「川柳」を始めたのだった。
川柳を始めた・・・と言っても 分けも分からず 単に 五・七・五 言葉並べ遊びの類で
川柳の体を成していない駄句拙句ばかり。
とても他人様に公表出来るものではなく、自己満足に徹していたものだが
昨年の春、相互ブログフォロワー登録しているのびた様から お誘い(お声掛け)をいただき
生まれて初めて 恥も外聞もかなぐり捨てて、他人様の目に触れる川柳教室ヘの投句という
大それたことをしでかしてしまったのである。
鹿児島のコミュニティーFM放送局「FMぎんが」の番組「てんがらもんラジオ」で、
毎月1回 リスナーから寄せられる川柳を 川柳の師匠石神紅雀様が 1句、1句、講評、アドバイスして下さり
入選、佳作、準特選、特選等を選んで下さるという川柳教室である。
早いもので 投句し始めてから 1年9ヶ月になるが 残念なことに 番組は 来年(2020年)2月で終了してしまうという。
毎週木曜日放送の「てんがらもんラジオ」、昨日の放送は なんやかんや有って 聴くことが出来なかったが
番組のパーソナリティーちどり様のブログで 川柳教室、12月のお題、「急ぐ」の結果発表を 拝見させていただいた。
毎度のこと、皆さんの作品それぞれ、目のつけどころ、ユーモアセンス等々に 感心。
うなづいたり、膝を打ったり、笑いを堪えたりしているが
今回、締め切りギリギリに 慌てて投句した句が なんと「特選」に選ばれていて びっくり仰天。
自分では どこがどう良いのかも分からない類で うろたえているところだ。
なにはともあれ うれしいことであり、番組パーソナリティーちどり様が描いて下さった己書の色紙は記念になる。
ご了承を得たので、その画像を貼り付けさせていただく。
選んでいただいた石神紅雀師匠、番組のパーソナリティーちどり様に 謝謝である。
因みに 今回 お題「急ぐ」で 投句した句は
① 襟を立て急ぐ家路にオリオン座
② 先着順在庫限りに急ぐ妻
だった。
投句しなかった1句
③ 木枯らしに襟立て急ぐ宵の街
(ネットから拝借)
「50の手習い」「60の手習い」という言葉があるようだが 「70の手習い」という言葉は、有るのだろうか。
何事も 最初から 「とうてい無理!、出来ない!」と思ってしまえば はい、それまでよ、
何も始まらないが 最初はむちゃくちゃでも 手を伸ばしてみる、首を突っ込んでみると それまで知らなかった世界が うっすら見えてくるということかも知れない。頭カチカチのくそ真面目?、ユーモアセンス ゼロ、まるで 川柳の才無しの爺さん、よもや この歳になって こんな楽しみを持てるようになるなんて、想像もしていなかったことである。
昭和30年代から40年代だったろうか、映画全盛時代が有り 全国津々浦々、地方の小都市にも 大、小の映画館が 1館や2館有ったものだ。
北陸の山村で、まだまだ戦後の貧しい暮らしを続けていた家で育ったが 小学校高学年、中学生の頃になって、誰かに付き添われ、あるいは従兄弟とつるんで、隣り町の映画館へ出掛けた記憶が蘇る。嵐寛十郎の「鞍馬天狗」だったり、東映の時代劇映画だったりしたが 懐かしくなる。
就職した頃からは 西部劇映画等、洋画中心になったような気がする。
テレビが普及し始め、ビデオ等でも映画を観ることが出来るようになり、はたまた娯楽の対象も多様化したことで 映画館に足を運ぶ人が激減、映画産業は一気に斜陽化してしまい、その頃から 当地や周辺都市等にも 映画館が1館も無い状況になっている。
ただ 国内や海外で高く評価される「よい映画」は 志有る人たちによって制作され続けており、情報として伝わってくる。
機会が有れば そんな「よい映画」を見たい気持ちを持っていても 遠方の映画館まで出掛けるまでに なかなか至らない。
地元の団体「よい映画をみる会」が 市内の公共大ホールで 年に数回、そんな「よい映画」を上映する催しを開催していることを知ったのは 今年になってからのことである。
今日の午前中に開催された「よい映画をみる会」にも参加し、映画「長いお別れ」を見てきた。
映画「長いお別れ」
原作 直木賞作家 中島京子 「長いお別れ」
監督 中野量太
主な出演者 山﨑努、松原智恵子、蒼井優、竹内結子、
(配布されたチラシ)
(チラシから引用)
元中学校校長の父(昇平)の70歳の誕生日。久しぶりに帰省した娘たち(麻里と芙美)に 母(曜子)から告げられたのは 厳格な父が認知症になったという事実だった。それぞれの人生の岐路に立たされている姉妹は 思いもよらない出来事の連続に驚きながらも 変わらない父の愛情に気付く。
ゆっくり記憶を失っていく父とのお別れまでの7年間、笑って、泣いて、前に進んでいく家族たちの、新たな愛の感動作。
家族が選んだ新しい未来とは・・・・。
近い将来、65歳以上の5分の1が発症するという、今や他人事ではない認知症。父の発症により 自分自身の人生と向き合うことになる家族の7年間を あたたかな眼差しをもって優しさとユーモアたっぷりに描いた本作。刻々変化する時代に変わることのない大切なものを問う、昭和、平成、そして新しい時代へと繋がれる希望に満ちた作品が誕生した。
山﨑努の迫真の演技力、夫と娘を支える極く普通の専業主婦役の松原智恵子、娘役の蒼井優、竹内結子の自然体の演技等々・・、
泣いて、笑って、上映時間、2時間10分。
認知症問題は、極く身近でも起こりうる問題、あるいはすでに身内で起こっている問題、他人事ならず自分の問題でもあり、重いテーマである。
ざっと見て 大ホール客席の90%以上は 高齢女性だったような気がするが、それぞれが身につまされて会場を後にしたのではなかろうか。
考えさせられる映画である。
映画「長いお別れ」の主題歌 優河 「めぐる」
(YouTubeから共有)
午前中 好天に誘われて 川辺りをちょこっと歩き
さらに 午後、歯医者、図書館まで 往復歩いた。
スマホの歩数計で 12,000歩程になっていたが
調子に乗って
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンにも出席し
先程 帰ってきたところだ。
今日は N指導員による背泳ぎ中心のレッスンだったが
主に キックの基本、姿勢をチェックされた。
背泳ぎは 爺さんの最も苦手種目、
さらに 出席者が少なかった分、泳量多く
終盤には 右足脹脛が 攣る寸前になり、
レッスン終了後も、居残って泳ぎ始めたが
限界?、
クロール、50m、3本で 途中リタイヤ、
引き上げてきた。
気持ちと身体は別物、
無理は出来ない。
当地今日は 朝から晴れて 比較的温かく、絶好の散歩日和になっている。
天気予報では 午後から夜に掛けては 次第に雲が広がるとのこと。
「昨日 遭遇したんだから 今日も いるだろう・・・」
カワセミ目当てに、今日も午前中、近くの川沿いをちょこっと歩いてきた。
やっぱり、いた!、いた!、
それも かなり近くに止まっていた。
飛び立っては 川下方向に移動を繰り返すカワセミ、
何回か、追っかけするも 見失ってしまったが。
今日も ピンボケ写真ばかりだが、トリミングしてみた。