放ったらかしの我が家の猫額庭、
ふっと目をやれば、
毎年、健気に咲く秋の花が、
今年も咲いている。
ホトトギス
ヤブラン
シュウメイギク
秋の花は、澄み切った青空に、よく似合う。
放ったらかしの我が家の猫額庭、
ふっと目をやれば、
毎年、健気に咲く秋の花が、
今年も咲いている。
ホトトギス
ヤブラン
シュウメイギク
秋の花は、澄み切った青空に、よく似合う。
当地、今日は、「晴時々曇」・・・、だったが、
日中は、31℃前後まで気温上昇、
またまた、暑さがぶり返し、
朝夕との寒暖差有り過ぎ・・・・、
足、腰、痛!、痛!、体調もイマイチだったが、
天気予報では、明日、明後日、雨マークがついており、
今日、やるっきゃないか、
午前中、Go To 畑! と相成った。
(1)大根の種、蒔き直し、
ブログで確認すると、大根の種蒔きを、9月5日にしていたが、
ちょっと 早過ぎた?・・、ためだったからか
彼岸明けまで、35℃前後の猛暑が続いた影響からか、
ほとんど発芽せず、失敗・・・、
蒔き直した。
(2)小松菜の種蒔き
先日、耕し、苦土石灰散布、
イノシシ対策、防獣ネットで囲って、下準備しておいた畝に、種蒔き
(3)タマネギの苗植え付け場所の草取り(草抜き)、耕し、
植え付けは、10月中頃?・・・かな、
珍しく、アサギマダラが、ヒラヒラ・・・、
忙しそう?
南方に移動する途中なのだろうか、
ミヤマアカネが、畑地のあちこちで、乱舞しており・・・
サトイモの葉に止まったミヤマアカネ、
爺さんの備忘録的昆虫図鑑・「ミヤマアカネ」
👇️
こちら
全身汗ダク、頻繁休憩、水分補給、
2時間ばかり掛かってしまったが、
1件落着、
やれ、やれ、
シャワーを浴びてスッキリしたが、
午後は、うつらうつら、しそうだ。
昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。
懐かしい映画と映画音楽・その60
映画「ウエスト・サイド物語」と
挿入曲「クール」「マリア」「アメリカ」「トゥナイト」(再)
昨年、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き込んだばかりの、映画「ウエスト・サイド物語(West Side Story)」の挿入曲、4曲を、まとめてみた。
(ネットから拝借画像)
「クール(Cool)」 👉️ こちら
「アメリカ(America)」 👉️ こちら
「マリア(Maria)」 👉️ こちら
「トゥナイト(Tonight)」 👉️ こちら
「十年一昔」という言葉が有る。
10年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。
そこには、確実に今より10歳若い自分がいたのだと、感慨深くもなる。
ブログを始めて間もなくの13年前の今日、2011年9月25日のブログ記事を、クリックしてみた。
近所で撮った「彼岸花」の写真が貼ってあり・・・・、
すっかり忘れていたが、
「へー!、そうだったかなー?」・・・、
である。
振り返り記事
「彼岸花」
ブログを始めて間もなくの13年前の今日、2011年9月25日の記事
👇️
こちら
2011年・・・、
それまで家族の一員だった、三毛猫ノンノンが、旅立った年でもあった。
記憶力の無い老脳であっても、古いブログ記事や古い写真等をみると、当時の暮らしや当時の自分の姿まで、炙り出されてくるから不思議である。
これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。
昨日、散歩・ウオーキングの途中で撮ってきた写真の中に、「フヨウ」かな?、「スイフヨウ」かな?が有った。これまでも、あちこちで見掛けている花であり、多分、誰でも知っている花だと思われるが、草花にまるで疎く、記憶力減退爺さん、見掛けても咄嗟に花名同定が出来ず、毎度、迷っている。
どうも、「スイフヨウ」は、「フヨウ」の突然変異種、園芸品種とのことで、朝咲き始めは、花弁が白く、次第にピンク色、赤色に変わる、八重咲きであることで、「フヨウ」と見分けが出来るのだという。
なかなか、難しい・・・。
今から12年前、まだブログを始めて間もなかった頃、
2012年9月8日、散歩・ウオーキングの途中で、初めて目に止まり、
撮っていた写真が有る。
当然、花名知らず分からずで、「君の名は?」だったものだが、
後日、「フヨウ」であることを教えてもらったのだった。
2016年8月2日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「フヨウ」
2017年9月21日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「フヨウの種」
2020年7月21日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「フヨウ」
2021年9月11日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「フヨウ」
昨日、2024年9月24日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「フヨウ」
フヨウ(芙蓉)
アオイ科、フヨウ属、落葉低木
花は、同じ時期に咲く、同属の「ムクゲ(木槿)」とよく似ているが、
「ムクゲ」の枝は、直線的に上に伸び、「フヨウ」の枝は、枝分かれして
横にこんもり広がり、葉は、「ムクゲ」より大きい。
「フヨウ(芙蓉)」は、「ハス(蓮)」の美称であるため、
区別する際には、「フヨウ」は、「モクフヨウ(木芙蓉)」、
「ハス」は、「スイフヨウ(水芙蓉)」と呼ばれる。
原産地・分布 日本、中国、台湾、朝鮮半島等、東アジア、北アメリカ
日本では、主に関東以南に自生している。
樹高 1.5m~3m
花色 ピンク色、赤色、白色、
開花時期 7月頃~10月頃
花は、朝咲いて、夜にはしぼむ。
一つ一つの花は、開花期間は短いが、次々と新しい花が咲く。
花言葉 「繊細な美」「しとやかな恋人」
(蛇足)
俳句では、「芙蓉」は、「初秋」の季語。
枝ぶりの日ごとに変る芙蓉かな 松尾芭蕉
松が根になまめきたてる芙蓉かな 正岡子規
爺さんの備忘録的花図鑑・「ムクゲ」
👇️
こちら
gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ブルー・ハワイ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
懐かしい映画と映画音楽・その59
映画「ブルー・ハワイ」と挿入曲(再)
若い頃から聴いている曲のひとつで、エルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」の主題曲?と思い込んでいた曲「ブルー・ハワイ」は、実は、元々は、ビング・クロスビー主演の映画「ワイキキの結婚」のために書かれた、ポピュラー・ソングだったことを知ったのは、つい最近のことだった。ビング・クロスビー始め、フランク・シナトラ、アンディ・ウイリアムス、レイ・チャールズ、ボビー・ヴィントン等多くの歌手に歌われていたようだ。
もっとも、「ブルー・ハワイ」=ハワイアンとして、もっぱら、スチール・ギター演奏バージョンの「ブルー・ハワイ」を聴いている類であったが・・・。
今更になってネット等で調べてみると
映画「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」は、1961年(昭和36年)に、ノーマン・タウログ監督、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)主演で制作、公開されたアメリカ映画娯楽映画で、エルビス・プエスリーが、随所で次々と歌い、暴れまくる明るい映画だった気がするが、映画のあらすじ等内容はほとんど記憶していない。
エルビス・プレスリーは、当時、一世を風靡した歌手、俳優、大スターであり、全世界で、レコード、カセット、CD総売上げが5億枚以上、史上最も売れた音楽家の一人「キング・オブ・ロックンロール」等と称されていたようだが、正直なところ、余り好みの歌手、俳優では無くて、レコード1枚も買っていなかったことに、後年になって気がついたものだ。
ただ、当時、映画「ブルー・ハワイ」の挿入曲として、ラジオ等から盛んに流れていた、「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」、「アロハ・オエ(Aloha Oe)」、「ハワイアン・ウェディング・ソング(Hawaiian Wedding Song)」等は、耳に馴染み、脳裏に焼き付いたものだ。
(ネットから拝借画像)
「ブルー・ハワイ」 (YouTubeから共有)
「アロハ・オエ」 (YouTubeから共有)
「ハワイアン・ウエディング・ソング」 (YouTubeから共有)
スチール・ギター演奏の「ブルー・ハワイ」 (YouTubeから共有)
スチール・ギター演奏の「アロハ・オエ」 (YouTubeから共有)
スチール・ギター演奏の「ハワイアン・ウエディング・ソング」 (YouTubeから共有)
長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
古い写真から蘇る思い出の山旅・その61
「アヤメ平から尾瀬ヶ原」(再)
今から15年前、2009年8月に、思い立って、妻と二人、鳩待峠からアヤメ平、尾瀬ヶ原を巡ったことがあった。まだまだ自営業を続けていた頃のこと、切れ目無い仕事の合間を縫っての山歩き、毎度のこと、前日に仕事にケリをつけ、自宅を深夜に出発、山小屋1泊の慌ただしい山歩きだったが、天候にも恵まれ、大満足の山歩きだったような気がしている。
山行コース・歩程等
1日目 鳩待峠→(鳩待通り)→横田代→中原山→アヤメ平→セン沢田代→富士見小屋→
(長沢新道)→竜宮十字路→ヨッピ橋→東電小屋→赤田代分岐→
見晴(下田代)十字路・原の小屋(泊)
(標準歩行所要時間=約5時間30分)
2日目 見晴(下田代)十字路・原の小屋→下田代→竜宮小屋→竜宮十字路→中田代→
中田代三叉路→牛首→上田代→山の鼻→鳩待峠
(標準歩行所要時間=約3時間)
(昭文社「山と高原地図・尾瀬」から拝借)
1日目、標高1,591mの鳩待峠駐車場に到着したのは、早朝5時40分頃だったようだ。
駐車可能台数120台とされていたが、すでに山荘前の駐車場はほぼ満車状態、
なんとか滑り込みセーフ駐車出来たが、後続車は、峠下の駐車場に誘導されていた。
持参した朝食を簡単にとり、6時30分頃、「鳩待峠」を出発、「鳩待通り」を、
「アヤメ平」方面に向かう。
途中、「横田代」等で、池塘、至仏山眺望等を満喫しながら、
「アヤメ平」には、9時15分頃、着いたようだ。
天上の楽園、池塘、燧岳眺望、満喫
9時40分頃、「富士見小屋」に到着、小休憩、ヤナギランが咲き誇っており・・・、
「富士見田代」、池塘に映える逆さ燧?、・・・、のはずが、写って無い、
長沢新道を下り、11時50分頃、尾瀬ヶ原、竜宮十字路(標高1,397m)
西方に至仏山
「ヨッピ橋」
「東電小屋」
14時頃、下田代十字路(見晴十字路)(標高1,415m)に到着、
山小屋
入浴、周辺散策、ゆったりした時間が流れ・・・、
山小屋の灯・・・、
消灯は、19時
2日目、7時30分頃、下田代十字路(見晴十字路)の山小屋を出発、
尾瀬ヶ原をゆっくり、のんびり、池塘風景、至仏山、燧岳眺望を満喫しながら、
晴天の下、至仏山
池塘風景、
振り返れば、燧岳、
9時30分頃、「山の鼻」に到着、小休憩、
「山の鼻」から鳩待峠までは、標高差200m程の登りだが、
これから尾瀬ヶ原・・というハイカーとすれ違いながら、
順調に歩け、鳩待峠には、11時頃帰着したようだ。
仕事の予定有りで、ゆっくり出来ず、小休憩後、即、帰途に付き、夕方には帰宅、
仕事モードに切り替えたような気がする。
なんとも慌ただしい山旅だったが、天候にも恵まれ、大満足の山旅だったと思っている。
やたら撮った拙劣写真は、数年前に、「フォトチャンネル」にしてあり・・・・。
👇️
「古い写真から蘇る山の思い出・アヤメ平から尾瀬ヶ原」
あの当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ・・・♫」的な気分だったと思うが、足、腰、痛!、痛!、気力体力減退してしまった今となっては、「尾瀬」もまた、遠い思い出となってしまっている。やっぱり、あの日あの時 思い切って行ってきて、本当に良かったとつくづく思っている。
当地、今日の日の出時刻は、5時33分頃、
早朝の気温は、18℃前後、「曇」
天気予報では、最高気温も、24℃~25℃、止まりらしく、
体感的には、猛暑の晩夏から一気に晩秋、初冬になったような、
極端な気温差だ。
斯々然々、昨日から、衣類、布団、を 取り替え始めた。
2~3日中には、最高気温30℃超の日にもなりそうで、
まだまだ、安定した、スッキリ爽やか、日本の秋気候にはなりそうに無い。
毎度のこと、なんやかんやで休んでしまう、散歩・ウオーキング、
歩け!、歩け!、
今朝は、やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう爺さん、
胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ、
途中、何度となく立ち止まり、
伸脚、屈伸、アキレス腱伸ばし、腰伸ばし、しながら・・・・、
スマホの歩数計で、約5,100歩。
スイフヨウ?・・・かな?
爺さんの備忘録的花図鑑・「スイフヨウ」
👇️
こちら
こっちは、フヨウ?・・・かな?
草花に超疎い爺さん、「フヨウ」、「スイフヨウ」・・・・、いつまで経っても、サッとは、判別、同定出来ない。
gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「虹の彼方に(Over the Rainbow)」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
懐かしい映画と映画音楽・その58
映画「オズの魔法使」と主題曲「虹の彼方に」(再)
昭和30年代前半、北陸の山村で中学生だった頃の話である。当時、隣りの町には、大衆映画を中心に上映していた小さな邦画映画館が2館有って、時々、「文部省推薦映画」等というのが来ると学校の許可が出て、汽車に乗って観に行ったものだが、「洋画」を観賞する機会等は、ほとんど無かったような気がする。それが、不思議なことに、中学生の頃に見た映画の記憶の中に、「オズの魔法使」が入っているのである。記憶曖昧だが、もしかしたら、当時、学校の講堂(体育館)で、娯楽の少なかった村民対象に、年に1回だったか2回だったか、映画会が催されていたが、その中の1本だったのかも知れない。ただ、当時の印象としては、それまで、洋画、しかも、歌入り映画(ミュージカル映画)等というものを見たことも無かった田舎の子供故、ある種違和感をもち、なんか変な映画、位にしか思わなかった気がする。それでも、主題歌の「虹の彼方に(Over the Rainbow)」の方は、 妙に脳裏に焼き付いてしまっていて、後年になってから、映画「オズの魔法使」が、「歴代名画ベスト100」の第6位にランクされたとか、「歴代ミュージカル映画ベスト100」の第3位にランクされたとか、主題歌「虹の彼方に」は、「歴代ミュージカル映画名歌曲ベスト100」の第1位を獲得していたこと等を知って、「へー!、そうだったの・・」、目から鱗・・・になった記憶が有る。以後、テレビの映画番組等で、改めて、映画「オズの魔法使」を観たり、主題曲「虹の彼方に」を、じっくり聴くようになった気がする。
今更になってネットで調べてみると
「虹の彼方に(Over the Rainbow)」は、1939年(昭和14年)に、アメリカで公開された、ヴィクター・フレミング監督、ジュディ・ガーランド(Judy Garland)主演のファンタジー・ミュージカル映画「オズの魔法使(The Wizard of Oz)」の主題曲だった。
映画が、日本で公開されたのは15年後の1954年(昭和29年)なのだそうだが、エドガー・イップ・ハーバーグ 作詞、ハロルド・アーレン 作曲の、主題歌「虹の彼方に」の方は、ドリス・デイ、レイ・チャールズ、フランク・シナトラ、等々、数多のアーチストにカヴァーされ、世界的に大ヒット、日本でも、江利チエミ、美空ひばり等が歌っていたようで、よくラジオ等から流れていて、脳裏に焼き付いたものだ。
(ネットから拝借画像)
映画「虹の彼方に」・ジュディ・ガーランド、(YouTubeから共有)
サム・テイラー演奏の「虹の彼方に」 (YouTubeから共有)
当地、今日は、晴れたり曇ったり、
最高気温も、28℃前後で、
体感的には、涼しく感じられる日になっている。
もう、3日間も行ってないし・・・・、
先日の、雹のこともあるし、今日は、どうしても行って様子を見てこなくては・・・、
ということで、
やおら重い腰を上げ、午前中、Go To 畑! と相成った。
サトイモ、ナス、ネギ、・・・・、雹の被害は無さそう・・・、
ヤ、ヤ、ヤ・・・、
またまた、イノシシ出没の形跡・・・、
イノシシは忘れた頃にやってくる・・・・、
(1)イノシシ対策、ネギの畝の防獣ネット張り、
ネギは、大丈夫そう?と思い、ネギの畝には、防獣ネットを張っていなかったが、
一部、穿り回されており・・・、
大好物のミミズを探して、強力な鼻で、ダンプカーの如し・・・・、
いよいよ、ネギの畝にも、侵攻開始?か。
急遽、ネギの畝にも、有り合わせの防獣ネットを張ることにした。
(ネットから拝借、無料動くイラストgif)
(2)周辺の草取り(草抜き)
頻繁休憩、水分補給、
3時間程掛かってしまい・・・・、
イノシシがその気になれば、防獣ネット等、簡単の破壊され、
侵略されること、承知の上ながら、
なんとか、形だけは、出来上がり、
やれ、やれ、
先日、畑地の地主Fさんから、
近所で、猿が目撃されたとの情報をいただいたばかり。
これから先、イノシシに加え、猿による被害も出そうな案配になってきた。
猿となると、知恵比べで、負けそうな気もしてくる。
ケ・セラ・セラ、
今日も、午後は、うつら、うつら、しそうだ。