たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

日中は、ポカポカ陽気、

2024年12月26日 06時17分59秒 | 散歩・ウオーキング

当地 今日の最低気温は、ー2℃前後だったようで、
早朝は、真冬並みの寒さだったが、
日中は、15℃前後まで気温が上がり
ほとんど無風、
体感的には、ポカポカ陽気となり、
好天に誘われて、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,000歩。

モズ

       カワセミ             セキレイ

 

 

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千秋楽?

2024年12月25日 23時30分00秒 | スイミング

長年通ってきた地元のスイミングクラブは、
昭和53年から46年間、営業してきた施設であり
特に、高齢者や子供にとって、
格安料金、徹底指導で評価されていた施設であったが、
老朽化に伴い、
過日、
今年2024年12月26日をもって、
完全閉館する旨の通告が有った。
青天の霹靂、
通告が有ってから以降は、
寄ると触ると、来年からどうする?話で、
ザワザワしてしてきたものだが、
今日12月25日
ついに、その最後のレッスン日となってしまった。
世の中は、クリスマス・ムード一色の日であったが、
普段と全く変わらない爺さん、
1日中、家籠りだった。
今日は、どうしても・・・・、
やおら重い腰を上げ、
19時~20時、スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。


今日は、ベテランのN指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
最後とあって、出席者は、やや多く
M4グループは、女性7人、男性3人、
2レーン使用、1レーン 5人、5人、
気分も高揚、気合が入り、
クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ
4種目混合スイムも、たっぷり・・・・、
全てが終わった後、
文字通り、
長い長い、
裸のつきあい?の仲間達と
惜別の言葉を交わし合いながら、
散会した。


今年は、年初に、
目標のひとつとして、
若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで続けている、
週2回、月8回のスイミングレッスン、
「出来る限り休まないことにしよう」等と、
ブログにも書き込んだものだったが、
何をするにしても、いい加減で、
なかなか重い腰が上がらない爺さん、
自分にハッパをかける方法、
なにか、無いか?
ふっと、子供の頃から、新聞のスポーツ欄等で見慣れている、
大相撲の星取り表を思い出し、
「これで行こう!」
と 意気込んで決め込んでものだったが・・・。
結局、それが
スイミングレッスン「最後の年」となってしまった。
今日が、その千秋楽?
その星取り表は・・、

               出席した日=⚪️、欠席した日=⚫

            1月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
            2月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫ (7勝1敗) 
            3月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫️ (7勝1敗)
            4月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
            5月 ⚪️⚫⚪️⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️ (6勝2敗)
            6月 ⚪️⚪️⚪️⚫⚪️⚪️⚪️⚪️ (7勝1敗)
            7月 ⚪️⚪️⚫⚫⚫⚪️⚫⚪️ (4勝4敗)
            8月 ⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (7勝1敗)
            9月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
           10月 ⚫⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (7勝1敗) 
           11月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
           12月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)

             通算、85勝11敗、勝率=8割8分5厘
                    「敢闘賞」?
                (格安缶ビール350mm1本)


さーて、来年から、どーする?
スイミングは、
高齢者の健康維持に、非常に適している運動であること、
自他共認めており、
何らかの形で、続けて行きたいという思いは強いが、
八十路過ぎ、腰が重い後期高齢者、
あちこちガタが来ている老体、
アクセスの問題、
年金生活ゆえの高額会費も問題、
気力の問題、等々、
今更、近隣の大手スポーツジムに入会しても、
果たして、確実に通えるかどうか
かなり悲観的、
仲間の男女も、ほぼ共通の思いを持ちながら
皆迷っており、未だ、検討中、
漂流民?状態であり、
互いに、耳寄り情報を、
LINE等で交換し合う約束をして、
慣れ親しんだプールと
いざー、さらーばー ♫。


いずれにしても、
ブログ・カテゴリー 「スイミング」
本日をもって、
ひとまず、終幕、
再開幕の望みを持ちながら・・・、

「蛍の光」  (YouTubeから共有)

 

 

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五七五十七文字でなる愉快・その10

2024年12月25日 09時01分23秒 | 川柳・俳句・五七五

公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」(有老協)が、2001年に、設立20周年を記念してスタートさせた「シルバー川柳公募」と「入選作品発表」。
毎年、その発表を楽しみにしている類で、今年、2024年は、第24回目だった。
これまで、第一回目から順次、その「入選作品」を、ブログでご紹介してきたが、
つい最近のこと、同協会制作のYouTubeが有ることを知り、改めてご紹介することにする。
2024年も残り少なくなり
  五七五十七文字でなる愉快、
今回は、2010年、第十回目の入選作品
時事的なキーワードを詠み込んだ句、ユーモアたっぷりの定番加齢ネタ句、社会の変化へも戸惑いを読んだ句等、思わず吹き出してしまったり、頷いてしまう傑作ばかりである。

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」等にも、まるで興味も関心も知識も無かった爺さん、どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」とは、程遠い存在だと思っていたが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだった。
有老協の「シルバー川柳」を知ったのも、ちょうどその頃で、今にして思えば、「シルバー川柳」は、川柳の楽しさ、面白さを、教えてくれた一つ、火付け役の一つだった気がしている。


「有老協・シルバー川柳 第十回入選作 其の一」  (YouTubeから共有)

「有老協・シルバー川柳 第十回入選作 其の二」  (YouTubeから共有)


(ネットから拝借イラスト)

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12月24日、

2024年12月24日 20時05分11秒 | 散歩・ウオーキング

いよいよ、2024年(令和6年)の年の瀬も押し迫り、
街のあちこちで、新年を迎える準備風景が見られ始め、
ようやく歳末ムードが漂ってきた感じがする。
老夫婦二人だけの暮らしになって数十年、
年末年始とて、ほとんど普段と変わらぬ暮らしをしてきたが、
今年は、もしかしたら、孫がやってくるかも知れない、
というので、
ある意味では、気が張っているところだ。
さてさて、どんな年末年始になるのやら。

ふっと、12年前の今日2012年12月24日は、どんな暮らしをしていたのか、
気になり出し、ブログ記事を振り返ってみた。


振り返り記事
12年前の今日、2012年12月24日
「今年の白菜は」いまいち!」
👇️
こちら


どうやら、「畑仕事」をしていたようで、
現在とほとんど変わっていない暮らしをしていたことが分かる。
「へー!、そうだったかなあ・・」である。


当地、今日も、「晴」、
最低気温=-4℃、最高気温=12℃、
朝の内は、厳しい真冬の寒さだったが、
日中は、風が無かった分、体感的には、温かくも有り、
食料買い出しに出掛けたついでに、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,400歩。

君の名は?
「えーっと?、えーっと?・・・」
出てこない・・・。
帰ってから、確認したところ、
「オキザリス・プルペレア」
だった。


爺さんの備忘録的花図鑑「オキザリス・プルペレア」
👇️
こちら


マンリョウ

ヤドリギ

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その75

2024年12月24日 10時21分06秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その75
「丹沢主脈縦走」(再)


かれこれ25年前の1999年7月に、当時一時所属していた山の会の仲間に誘われて、「丹沢主脈(蛭ケ岳、丹沢山、塔ノ岳)」を縦走したことが有った。
「家族で山歩き」レベルを自認していたにも拘わらず、うっかり誘いに乗って、ベテラン、健脚男女(7人だったか、8人だったか)の仲間に加わってしまい、かなりハードなコース、長丁場を、ただただ、ひたすらくっついて歩くのが精一杯の山行だった気がするが。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃だったが、写真を撮る余裕等も無かったようで、残っているのは、蛭ケ岳山頂で撮ってもらった証拠写真?1枚だけという有り様。その写真は、プリントしてアルバムに貼ってあり、「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有ったが、外付けHDに残っており、久し振りに引っ張り出して、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


深田久弥著 「日本百名山」
「丹沢山(たんざわさん」
(一部転載)

丹沢山が今日のように登山者で賑わうようになったのは、いつ頃からだろうか。少なくとも私がむかし丹沢へ行った時は、まだあまり知られていなかったようである。たしか私は「山岳」に出ていた丹沢縦走記を頼りに、青野原から焼山に登りヒメツギあたりまで行って、道が分からなくなって引き返した。それが最初だった。
もちろんもっと早くから武田久吉博士などによって、丹沢山塊は紹介されていたが、それはその頃はまだ数少なかった山好きの間だけだった。武田さんは、丹沢には非常に熱心で、この山塊の開拓者あるいは恩人と言ってもよいだろう。
(中略)
丹沢という名前が世間一般に強く印象されたのは、関東大震災だろう。その震源地として急に有名になった。しかし登山者が大勢押しかけるようになったのは、それよりずっと後で、おそらく山麓を小田急電車が走るようになり、距離の近い横浜山岳会が塔ヶ岳の上に山小屋を建てた頃からであろう。横浜山岳会の丹沢に対する貢献も忘れてはなるまい。
東海道線の小田原あたりから、丹沢山塊中でよく見える最も顕著なのは、大山(おおやま)であって、昔の人はこういう形のいい山を放ってはおかない。頂上に大きな岩があって、それが御神体として祀られている。天平勝宝七年(755年)、華厳宗の祖である僧良弁によって開山されたと伝えられる。
大山を一名雨降山(あふりやま)と呼ぶのは、この山の頂上には、いつも雲や霧が多く、大いに雨を降らすからで、そのため雨乞いの山ともなっている。今でもその表登山口には、め組だの、は組だの、消防の寄進の碑がたくさんあるのは、火消しと雨とは関係が深いからだろう。
  時によりすぐれば民のなげきなり
  八大龍王雨やめたまえ
という実朝の歌は、この大山の山神に献じられたものだと言われる。
(中略)
最高峰は、蛭ヶ岳(毘盧ヶ岳)で、一名薬師ヶ岳とも呼ばれた。私がその頂上に立ったのは、随分前のことだが、いかにも深山の感じがしたのは、そこから見渡すあたりが鬱蒼たる森林のためだったろう。
今はどうか。蛭ヶ岳から西に、ズングリした頭の桧洞丸(ひのきぼらまる)がある。丹沢で第二の高峰であるが、樹木で覆われていて道がなく、怪峰とか秘峰とか呼ばれたものだが、今はどうか。
私が百名山の一つに丹沢山(丹沢というのは山塊中の一峰)を取り上げたのは、個々の峰ではなく、全体としての立派さからである。丹沢山塊という名称は、たぶん、高頭式の「日本山岳志」から始まったのだろうと思うが、ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば、山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌がつかめない。
「山岳」第一年一号(1906年)に載っている長文の塔ヶ岳登山記を見ると、案内人を連れている。その後の大正時代の登山者も、多くは案内人を伴ったようである。それほど未知の山であったのに、今日の繁盛ぶりはどうだろう。第一の原因は、東京に近く、手軽に行けるからだろう。谷川岳と丹沢山は東京の大衆登山の二大流行地となった。そして谷川岳に劣らずこの山にも遭難事件が頻繁に起こっている


山行コース・歩程等

東野バス停→八丁坂ノ頭→(東海自然歩道)→姫次→原小屋平→地蔵平→蛭ケ岳山頂→
鬼ケ岩ノ頭→棚沢ノ頭→不動ノ峰→丹沢山山頂→竜ケ馬場→日高→塔ノ岳山頂→花立→
(大倉尾根)→大倉バス停 
(標準歩行所要時間=約10時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

集合時間=7時、集合場所=JR中央線藤野駅、だったため、
自宅を早朝に出発、JR中央線、普通列車 松本行に乗車、
集合した仲間は、確か、リーダーを含めて、男性5人、女性2人、
だった気がする。
藤野駅からは、路線バス(神奈川中央バス)で、
蛭ケ岳登山口の有る、「東野」に向かった。
「東野バス停」には、7時40分頃に到着、
早速、出発したようだ。
いきなり、急登が始まり、喘いだように思うが、
10時頃、「八丁坂ノ頭」に着き、「焼山」からの「東海自然歩道」と合流、
しばらく平坦な尾根道が続いたような気がする。
「姫次」は、展望が良いとされているが、濃いガスがかかり、全く展望無し。
「原小屋平」「地蔵平」を経て、
12時30分頃、丹沢最高峰、[蛭ケ岳山頂](標高1,672.7m)に到着、


やはり濃いガスに覆われて、幻想的な雰囲気。
展望は叶わず。
この日の関東内陸部は、30度を超す猛暑だったようだが 
山頂は、天然のエアコン?状態で、爽快。
ここで、昼食となったが、予期せぬサプライズが有った。
それは、参加者の中に、都内で有名料理店?の店主?(シェフ?、料理長?)を
している方がおられて、
前日に準備したという自慢の料理数品を担いできてくれていて、
解説しながら、全員に提供されたことだった。
しばし、料理談義になったような気がする。
ただ、長丁場とて、ゆっくり休憩している時間は無しで、
13時頃には、「蛭ヶ岳山頂」を出発したようだ。
がっつり歩くのが目的の山行、
花を探したり、写真を撮っている余裕等無し、
シモツケソウ等、チラホラ咲いていたが チラ見だけ。
登山道の脇の濃いガスの中 鹿の親子のシルエットも見えたが・・・、
「鬼ヶ岩ノ頭](標高1,608m)、「棚沢ノ頭」、
「不動ノ峰」(標高1,614m)を経て、
14時30分頃 「丹沢山山頂」(標高1,567.1m)に到着したようだ。
登山者,ハイカーの姿見えず、静かな山頂で、小休憩。
「竜ヶ馬場](標高1,504m)、「日高」(標高1,461m)を経て、
15時30分頃、「塔ノ岳山頂」(標高1,490.9m)に到着。
やはり、濃いガスに覆われていて、展望全く出来ず、
尊仏山荘前広場で、小休憩。
なんとか、ここまで、歩き通すことが出来、
後は、長い長い「大倉尾根(バカ尾根)」を下るのみ、
ホッとしたような気がする。
16時頃、「花立」(標高1,370m)を経て、
「大倉尾根」を下るに従い、ガスが途切れ、視界が開けてきて、
高度が下がるにつれ、暑さも加わり、
膝が笑い出し、ヘトヘトになりながら、
18時頃、ようやく「大倉バス停」に、到着したようだ。
発車間際のバス便が有り、全員駆け足で乗り込み、
小田急渋沢駅に、18時頃到着。
駅前の居酒屋で、打ち上げ反省会にも加わった。

梅雨の真っ只中でありながら、幸い、雨具不要の山行ではあったが、
1日、約10時間も歩く山行等、後にも先にも経験が無く、
どうなることかと最後まで不安だった気がする。
なんとか、仲間にくっついて歩けた、達成感、満足感を感じながら、
小田急選、横浜線で、帰途についたのだった。

足、腰、痛!、痛!の今となっては、よくも、歩けたものよと、
我ながら信じられない山行だったが、 
二度と再び歩くこと不可能な、最初で最後の「丹沢主脈縦走」は、
貴重な体験であり、ベテランなら当たり前の山行なのだろうが、
「家族で山歩き」レベルにとっては、思い出深い山旅のひとつになったのだった。
あの日、一緒に歩いてくれた、Uリーダーと仲間達に、改めて、謝!、謝!である。

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川柳を道連れに越す老いの坂・その9

2024年12月23日 22時14分49秒 | 川柳・俳句・五七五

公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」(有老協)が、2001年に、設立20周年を記念してスタートさせた「シルバー川柳公募」と「入選作品発表」。
毎年、その発表を楽しみにしている類で、今年、2024年は、第24回目だった。
これまで、第一回目から順次、その「入選作品」を、ブログでご紹介してきたが、
つい最近のこと、同協会制作のYouTubeが有ることを知り、改めてご紹介することにする。
2024年も残り少なくなり
  川柳を道連れに越す老いの坂、
今回は、2009年、第九回目の入選作品
時事的なキーワードを詠み込んだ句、ユーモアたっぷりの定番加齢ネタ句、社会の変化へも戸惑いを読んだ句等、思わず吹き出してしまったり、頷いてしまう傑作ばかりである。

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」等にも、まるで興味も関心も知識も無かった爺さん、どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」とは、程遠い存在だと思っていたが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだった。
有老協の「シルバー川柳」を知ったのも、ちょうどその頃で、今にして思えば、「シルバー川柳」は、川柳の楽しさ、面白さを、教えてくれた一つ、火付け役の一つだった気がしている


「有老協・シルバー川柳 第九回入選作 其の一」  (YouTubeから共有)

「有老協・シルバー川柳 第九回入選作 其の二」  (YouTubeから共有)


(ネットから拝借イラスト)

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陽だまり散歩・ウオーキング

2024年12月23日 15時34分59秒 | 散歩・ウオーキング

このところずっと、西高東低の冬型気圧配置が続いており、
北海道や東北、北陸等日本海側の各地から、
初雪、降雪、大雪の便りが届いているが、
当地、今日も、最低気温=ー2℃前後、最高気温=10℃前後、湿度=30%台、
カラカラに乾いた晴天、
天気晴朗なれど、冷たい風が強く、ブルルン!、の1日になっている、
とても、のんびり、散歩・ウオーキングする気分にはなれないものの、
なんやかんやで、またまた10日以上も休んでしまった(サボってしまった)、
散歩・ウオーキング、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
妻の歩行訓練も兼ねて、
陽だまりを探しながら、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約5,700歩。

 

お久し振り!、オジョウサン、
カワユイ、ジョウビタキ(メス)

オオバンとダイサギ

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その74

2024年12月22日 20時54分12秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その74
「冬の三頭山」(再)


かれこれ22年前、2002年2月に、妻と二人で、東京都の最西部、山梨県との県境にある、「三頭山(みとうさん)」を訪れたことが有った。「三頭山」は、「奥多摩三山(三頭山、御前山、大岳)」の最高峰で、山頂は、西峰、中央峰、東峰の三つ分かれていて、遠方からもその山容が分かる。
当時はまだ自営業を続けていた頃で、時間的、精神的余裕が無い頃だったが、それでも、「三頭山」には、春、夏、秋に、何度か訪れていて、どうしても「冬の三頭山」を訪れてみたい一心が有り、その日、思い切って向かったような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、ピンボケ、拙劣写真ばかりだが、撮った写真は、プリントして、アルバムに貼ってある。
「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃に、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有ったが、その写真が、外付けHDに残っており、久し振りに引っ張り出して、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
記憶は、どんどん曖昧になっていても、古い写真を見ると、あの日、あの場所の情景が蘇ってくるから不思議なことだ。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

都民の森駐車場→三頭大滝→ムシカリ峠→三頭山山頂→鞘口峠→都民の森駐車場
(標準歩行所要時間=約3時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

メモによると、その日、梅の木峠から「日の出山」に登る予定で、三ッ沢まで行ったようだが、林道が通行止めになっていたため、引き返し、それでは・・・ということで、急遽、「三頭山」に変更、檜原村へ向かったのだった。
そんなこんなで、奥多摩周遊道路で、都民の森駐車場に到着したのは、
9時30分頃だったようだ。

10時頃、「三頭大滝」に着いたが、
「数馬バス停」から谷沿いに登ってきたという地元の男性有り、寸談。
肝心の、滝の写真を撮るのを忘れてしまい・・・、

 
「三頭大橋」から、「三頭沢」「ブナの路」付近、
予想していた以上の積雪量で、念のため、軽アイゼン装着し・・・。
陽射しが強く、急登で、汗だくになり・・・、

11時20分、尾根上、「ムシカリ峠」

11時45分頃、三頭山山頂・西峰(標高1,531m)に到着。
快晴の空の下、居合わせた数人のハイカーと山座同定。
北西、北方向には 雲取山、芋ノ木ドッケ、鷹ノ巣山、六ツ石山、川乗山等々。

南西方向には、富士山。
気分の良い山頂で
持参した、水、ガスコンロで、ラーメンを昼食とし、
のんびり、1時間以上、山頂に滞在したような気がする。

三頭山山頂・西峰からは、中央峰、東峰、鞘口峠を経て、
14時頃、都民の森駐車場に、帰還したようだ。

足、腰、痛!、痛!の今となっては、あの頃はまだ、よくも、「冬の三頭山」を訪れる気力が有ったのだなあと、感慨深くなっている。

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懐かしい映画と映画音楽・その85

2024年12月22日 18時11分17秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「メロディ・フェア」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイク、「懐かしい映画と映画音楽」に、加えることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その85
映画「小さな恋のメロディ」と主題曲「メロディ・フェア」


今更になってネットで調べてみると、
「メロディ・フェア(Merody Fair)」は、1971年(昭和46年)に、ワリス・フセイン監督、マーク・レスター、トレイシー・ハイド主演で、製作、公開された、イギリス映画「小さな恋のメロディ(原題 Melody)」の主題曲だった。

映画を実際に観たのは、ずいぶん後年になって、テレビの映画番組かなにかだったような気がするが、ストーリー等、まるで覚えていない。
ただ、主題曲「メロディ・フェア(Merody Fair)」の方は、当時、ラジオ等からよく流れていて、耳の馴染み、脳裏に焼き付いていて、聴けば懐かしくなる。
映画では、ビー・ジーズ(The Bee Gees)が歌った主題曲「メロディ・フェア(Melody Fair)」が、全編に流れていたようだ。
「メロディ」とは、この映画のヒロインの名前だった。

(ネットから拝借画像)

ビー・ジーズの「メロディ・フェア」 (YouTubeから共有)

宗次郎のオカリナ演奏の「メロディ・フェア」 (YouTubeから共有)

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今年も、キウイジャム、

2024年12月21日 21時37分50秒 | 暮らしの記録

「キウイジャム 出来たヨー!」
妻から、声が掛かり、
ブログ ネタ 写真係の爺さん、カシャ!、カシャ!、
先月、11月24日に収穫した今年のキウイ、
すでに、ほとんど毎朝、ヨーグルト等といっしょに食しているが、
なかには、傷物等、保存が難しいものも有り、
妻が選別し、その一部、1kgをジャムにしたようだ。
今日1日、手間暇掛けて、出来たジャムは、たった、コンダケーーー。


斯々然々、我が家の場合、
キウイジャムの他、ゴーヤジャム、ブルーベリージャム、桑の実ジャム、ユスラウメジャム、柚子ジャム、イチゴジャム等々、ほとんど自家製ジャムで、食卓を賄っており、
これまでのところ、高価な市販ジャムを買うこと等、いっさい無しで暮らしている。


振り返り記事
👇️
2024年11月24日「今年のキウイ収穫は?」


 

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