新潮文庫 昭和三十四年
弘前の小学校から東京・青山の南学校へ転校
したあと、その生活態度を描く。
ぼくは小学校、中学校、高校と埼玉にいて、転校
したことは一度としてない。
どっちかと言うと定住型の癖がついたのは、そういう
経緯があってのことなのかもしれない。一軒家だったし、
貧乏だったが、飢えるほどではなかった。
友達もうちにメシを食べに来ていたりした。Kと云う
友達はエンゲル係数すごいもんな、おまえんち、と
平気で言っていた。そのことで、ぼくは怒ったりは、
ぜんぜんしなかった。ぼくは学生時代、怒ったことなんて
一度としてなかったように思う。
いや、小学生の時は取っ組み合いのケンカをよく致して
いたか。
この宿題だが、夏休みの宿題が十数冊出ていて、結局、
やらず、夏休み最後の日に祭りでハハにやっていない
ことを喋ってしまい、徹夜で答えをでたらめに埋めていく。
そして、始業式の日、宿題をやってこなかった者、と
先生は言って、数人が立ち、ハハと死のう、とまで言ったのに
咎めなしというオチの話しだった。
(読了日 2024年11・22(金)3:05)
(鶴岡 卓哉)