文春文庫 1979年。
開高氏は外見からしてうまそうなものを食って
いそうであった。あるいは、食欲というものを
コントロールできていなかったかにも見受けら
れる。
この書では文豪は味について、言葉の妙技を尽く
している。一読しても、それは果たして、どうい
うことであるのか、と一考せずにはおかない深い
表現である。味というのは、とにかく深淵である
らしいのである。
冒頭から、喫人で終わると宣言しておられる通り、
喫人(ハンニバル)でこの書は終わる。
行きつくところはそこか、と思うが、なんとなく
読んでいて、涙がにじんできてしまった。
究極において、人間を食わなくちゃならなくなっ
たとしても、僕はムリだと思う。死を選ぶだろう。
そこで生きても、あとの生を全うできないとしたら
死んだほうがましであるからだ。
開高氏は人肉を食べたかったのだろうか、と考えると
、どこかで食べてみたかったんだろうな、と思う 。
人が人を食う、共食いは、中国では当たり前だった
らしいけどねえ。
人の食欲についてありとあらゆる方面から考察を行い、
美味しい話しを読むのが好きなんだったら、よんだ
ほうがいいかもね、とだけ書いておく。
開高氏は外見からしてうまそうなものを食って
いそうであった。あるいは、食欲というものを
コントロールできていなかったかにも見受けら
れる。
この書では文豪は味について、言葉の妙技を尽く
している。一読しても、それは果たして、どうい
うことであるのか、と一考せずにはおかない深い
表現である。味というのは、とにかく深淵である
らしいのである。
冒頭から、喫人で終わると宣言しておられる通り、
喫人(ハンニバル)でこの書は終わる。
行きつくところはそこか、と思うが、なんとなく
読んでいて、涙がにじんできてしまった。
究極において、人間を食わなくちゃならなくなっ
たとしても、僕はムリだと思う。死を選ぶだろう。
そこで生きても、あとの生を全うできないとしたら
死んだほうがましであるからだ。
開高氏は人肉を食べたかったのだろうか、と考えると
、どこかで食べてみたかったんだろうな、と思う 。
人が人を食う、共食いは、中国では当たり前だった
らしいけどねえ。
人の食欲についてありとあらゆる方面から考察を行い、
美味しい話しを読むのが好きなんだったら、よんだ
ほうがいいかもね、とだけ書いておく。