映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「ここに物語が」梨木香歩

2022年07月26日 | 映画(あ行)

本を巡るエッセイ

 

 

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何を、どんなふうに考えながら生きてきたか。
物語を発見する日常を辿る。
創る者も読む者も、人は人生のそのときどき、
大小様々な物語に付き添われ、支えられしながら一生をまっとうする
――どんな本をどんなふうに読んできたか。
繰り返し出会い続け、何度もめぐりあう本は、自分を観察する記録でもある。
思索と現実、日常にいつも共にある、本と物語をめぐるエッセイ集。

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梨木香歩さんの、本の紹介、解説文・・・というか、
本を巡るエッセイというべきかもしれません。
いつもながら、自然や身の回りのことについての梨木香歩さんの鋭い視線と考察力、
それは本についても同様です。

 

前半では、短文ですが様々な本の紹介があり、
いくつか気になる作品もあったので、後に読んでみようと思います。
終盤、いよいよ常の梨木香歩さん調の考察が山盛り。

 

和田稔「海神のこえ消えることなく」(角川文庫)
学徒出陣で回天特攻隊員となり、訓練中に不慮の事故で亡くなった和田稔の日記・手記です。
どんな思いで特攻隊員としてに訓練に臨んでいたのか・・・。
著者はこの本を再読したときに、
「戦争の引き起こす悲劇の痛ましさ」とは別の何かを感じたといいます。
「今ここで自分が死ぬよりも、生きて学んだほうが
将来社会に対して大きな貢献ができるのではないか」
・・・彼の奥底にはそんな思いがあって、
でも自分の中で形になった思いというほどではなく、実際口に出すこともできない。
そんな自分を納得させるための手記なのでは・・・と著者は考えるのです。

人に見られることを意識したというよりは、自分を納得させるために、
という方が確かに納得できる気がします。

私は、こうした悲痛な出来事に思い詰めすぎて、
自分のメンタルがやばくなりそうな気がするので、
本作は、あえて読もうとは思いませんけれど・・・。

 

「犯しがたさ」と「里山脳」の章は、本から離れての考察。
日本の里山は人々の住む里と人の立ち入らない奥深い山との中間、緩衝地帯。
人も入るし、山の獣たちもやってくる場所。
そういう認識は確かにありますね。
つまり、奥深い山は、人が立ち入るべきではない場所。
神の領分。
そんな思想が日本人の中にあるということ。

しかるに、欧米ではそういう思想はないようだというのです。
どんなに深くても高くても、行けるところまでいって支配する、
という単純明快なのが欧米の思想。

欧米は「神があって、その下に人間がいて、それ以外は皆すべて下位」
という話を以前聞いたことがあって、その話と通じることなのだろうと思います。
少なくとも日本はそういうピラミッド構造ではないですよね。

今は日本でも、山にどんどん人が入り込み、
まるでそれならば、とでもいうように
里に動物たちが降りてきてしまっているのです。
山も、里も、区別がなくなっているというのが昨今の状況なのかも。

そんなこともあって、興味深い章でした。


<図書館蔵書にて>

「ここに物語が」梨木香歩 新潮社

満足度★★★.5



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