ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

せりふは大声で

2009-09-05 10:21:42 | 演劇

 夜9時までの特別練習週間が終わった。最終日の昨夜は、一年生も全員残して集団演技を一気に仕上げた。町のお祭りシーンだ。その他大勢のガヤが入ると俄然、生き生きとした場面が立ち上がってきた。なんせ、20人近くが動き回るんだから、これは迫力だ。多勢の強みだね。これでどうやらこうやらすべてのシーンで動きはついた。後は、それを自分のものにするだけだ。って言ってもこれが難しいけど。

 今回の難敵は、声の細い者の指導だった。決して悪い声ではないのたが、いかんせん声に力がない。マイクで拾えばきっといい味わいなんだろうけど、芝居じゃそうはいかない。しっかりと客席の最後部まで届く声で演じてもらわなくちゃならない。

 多くの場合、こういう子たちは腹からしっかり声が出ていないことが多い。自分なりに腹式呼吸をして、しっかり腹で支えて声を出しているつもりでも、十分息を吸っていなかったり、吸った息の5割、6割程度しか使えていなかったりする場合が多い。もともと声が細いから、それが自分の精一杯だと信じ込んでしまってるんだ。さらに、表情豊かにせりふを操ろうとすると、これがますます小さくなってくる。

 そんな場合、僕のやり方は、100パーセントの声で怒鳴ってみろ!ってことだ。感情を込めるなんてどうでもいい。まず大声で怒鳴る。せりふの最初の音から最後の音まで、抑揚なんて気にせず同じ大きさで怒鳴り続ける。まず、そうやって、自分の声の可能性を確認する。これ、当人が驚くくらいに声が出るようになるんだ。そのときの注意は、呼吸。しっかりと吸ってしっかりと支えてそれをはき出す。屈んだ姿勢でのせりふでも、ここはまず、しっかりと背筋を伸ばして発声させる。

 こうやって出した声は、ただ大きいばかりじゃない。力がみなぎってくるんだ。声の力。しっかりと相手に届く言葉の力。だから、小さな声で感情込めてちまちまやっていた時よりはるかに説得力のある表現になっていたりする。生半可な感情表現なんかより数段効果的なことが多い。いいよ、もうそれだけで。余計なことするな!ってことだってある。

 今回は二人の部員がこの特訓で大きく変わった。大きな声が出るようになって、自分にも自信が持てたみたいだ。となると、表現も大きく変わってくる。不思議なものだ。それまでいくらダメ出ししても、僕がやって見せても、感じ取れなかった部分がすんなりと入っていくようなんだ。ずっと役柄にそったせりふが言えるようになってきた。もちろん、これからだけど。

 人前で発言できるようになって、自分自身が見えてくるように、しっかりとした声を出すことが、自分の内面を見つめ、自分を変えていくことにつながるのかもしれない。

 

 

コメント
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