ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

高校演劇脱線派

2009-09-18 21:06:30 | 教育

 今回の置賜地区大会は、高校演劇主流派に対する脱線派の戦いってことになったね。もちろん、置農は脱線派だ。残り4校のうち3校が高校演劇おなじみの作品てことなので、まさしく主流派対脱線派ということになる。

 主流派に対してなら反主流じゃないのか?って疑問持つ人いるかもね。なんで脱線って言うか、別に主流争い、本道争いをする気がないってこと。て言うか、みんながやってることと違うことしたい、てのが僕の素直な気持ちだからだ。おいおい、そんなの素直って言うか?ひねくれの極地じゃないか。そうそう、ひねくれ根性を素直に表してるってことね。

 コメントで今回の『きき耳族の少女』をアクションファンタジーって呼んでみたんだ。でも、どうも違うって気がしてならなかった。で、今日、装置運びのトラック運転しながら考えたんだけど、要は物語ってことなんだって気が付いた。

 めまぐるしく展開するストーリー、月並みだけど心打つかっこよさ、見る者をぐいぐいと引っ張り込むお話の力。これなんだよ。これが今回置農がやろうとしていることなんだ。細やかな感情のひだなんて関係ない。今の時代の問題意識なんてものとも縁がない。もちろん、高校生だからどうのなんてぜーんぜんお呼びでない。観客がえっ!?なになに、どうなるの?って我を忘れてくれたらそれでいい。見終わった後は、ああ、なんかばかばかしかったけど、面白かった、って言ってくれればそれでいい。あのせりふかっこよかったね、とか、あの悪役、魅力的だった、なんて思ってもらえればそれでいい。

 なに?これって大衆演劇の世界だ?そう、そうなのかもしれない。娯楽映画の世界でもある。劇画の舞台ともきっと近いものがある。小難しい理屈もなければ新しい感情の発見もない。出てくるのは安心して見ていられるおなじみの感情と人間関係だ。

 でも、おなじみだからこそ、落ち着いてストーリーに引きずられていける。揺り動かされるような深い感動はないかもしれない。考え込ませる思いテーマもない。でも、見終わって、良い時間を過ごしたという満足感があればいい。そんなお話が、芝居の原点なんじゃないだろうか。そんな軽さがもっともっと尊敬されていい。評価されていい。そう思うんだ。名作主義も結構!純文学も結構!でも、もっと楽しもうじゃないの、物語の世界を、ぐいぐい引き込まれるストーリーの面白さを。

コメント
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