そう、夜からの”落ち込み”防止対策は、映画を見ることだった。
久しぶりの映画で元気になろう!宮藤官のかっこいいせりふ聞いて、崔洋一の映画作り見て、よっしゃ俺もがんばっぺ!って気分盛り上げよう!そう、『カムイ外伝』だよ。
白土三平の『カムイ』、『カムイ外伝』、『忍者武芸帳』って言ったら、僕らの世代にとっちゃ導きの書、思想の書だからね。見ないわけにはいかんでしょ。しかも、宮藤官に崔洋一だもの。
で、見た。ありゃりゃ!出だしから、うん?!
僕の映画評価法の一つに、タイトルロールまたは出だし5分で引きつけられないものはダメってのがあるんだけど、『カムイ外伝』まず、ここで?マークが二つ三つ。説明から入るかよ!観客馬鹿にしてねぇ?!でも、まっ、許そう、目をつぶろう。
一生懸命CG駆使して忍者の決闘シーン。うーん、切れ味いまいち。でも、そんなことは目的に見てないから、いいよどうでも。荒海を漕ぎ渡る和船のCG、これもちゃちだったけど、うーん、負けちゃおう。
でも、カムイが何故か漁村に居着いちゃうってのは、どうなの?僕のイメージとしては、つねに群れに属さず独居独行するのがカムイなんだけど。さらには、あまっちょろい恋のおまけ付き。
カムイが何故かついて行ってしまう半兵衛なる漁師(ついて行く理由もカムイとしてはあり得ない気がする)も、ただ擬餌針を作りたいばっかりに藩主の馬を殺すって、ちょっとあの時代、あり得ない話でしょ。
さらに、カムイと恋敵になった若者が半兵衛を役人に売って、しかも一緒に村に戻るってのもあまりに無知、あまりに恋い狂い。不自然だよ。
磔獄門になりかかった半兵衛を抜け忍二人で救い出すのはいい、目指すはアクション映画だから。でも、ありえねぇーと叫んでしまうのは、逃亡先の島の住民がみんなして!半兵衛一家とカムイを暖かく迎え入れるってこと。白土三平だったら、こんな太平楽は書かない、絶対に。村人、庶民ってものは、時に信じられないほど勇猛で時にやりきれないほど臆病で、時に反権力的で時に権威にこびへつらう。そんな二律背反的存在なんだ。白土三平はそのことのすばらしさもやりきれなさも知っていた人だ。
結局、この映画はカムイの魅力を骨なしにしちまったんだなぁ。あのほとんど表情を変えぬカムイの虚無をありきたりの人情活劇にしてしまった。甘っちょろげにせずに、もっと原作に忠実に描いたらよかったのに。若い観客におもねったのかなぁ。とっても残念だ。若い奴らなんて相手にせず、僕ら世代をターゲットに、厳しく重い抜け忍の世界を描けばよかったんじゃないか。それの方が、若い連中だってきっと心惹かれたと思うんだけどどうだろう。
ってことで、『カムイ外伝』は”落ち込み”に効果なし。でも、こうやって好き勝手くさしたことで、ちょこっと元気になった。これも映画の効用ってもんかな。ごめんな、宮藤官、崔洋一、って僕なんか謝ってもなんの意味もないか。でも、次回は期待してるから。『GO』や『木更津キャッツアイ』みたいなすっげー奴書いてよな。『刑務所の中』とか『血と骨』みたいながーんと来る奴撮ってよな。