そっとしといて、誰も気づかぬうちに済ませちまおうって思ってたのよ。
講演?誰の?って俺のさ。そんな、柄じゃないでだろが。
数日前、主催者から案内届いて、開けたら、わっ!チラシ、大量に入ってるじゃないの。やべっ、こんなのあちこち送られてるのかよ。
さっそくフェースブックの友達がすっぱ抜いて、いや、紹介してくれてた。大っぴらになっちまったんなら、当人発の情報、出しておかないとな。
えー、4月2日、遅筆堂文庫(山形館)つまり東ソーアリーナの図書館トークてのでしゃべることになったんだ。隔月開催らしいから、人選びも大変なんたじゃないか、もう行き詰り探しあぐねて、棺桶ジジイにやむなく白羽の矢。
なに話せばいいの?もう、すり減って、萎んじまって、煮込んだって、絞り上げたって、出汁なんて出てきやしないぜ。
地獄の門扉を叩く日だって間近に迫ってるっていうのにさ。
確かにさぁ、70年も生きてくりゃあちこちに足跡残しちゃいるさ。迷い、躊躇いの踏み痕だけどな。どれもこれも中途半端のやっつけ仕事のほったかし。思い出すだけで、赤面カッカの冷や汗ドバッ!だぜ。
「偉そうに語ってんじゃねぇ。かつての落とし前、つけてもらおうじゃねえか」って怨嗟の声が四方八方から湧き上がって来ること必定だもの。
すまん、この際、土下座で平謝りさせてもらう。ほんと、迷惑かけた、傷つけた、堪忍してくれ、許してくれ。
だからさぁ、過去は振り返らない!をマジに守って馬車馬人生送ってきたんだ。後ろを見れば後悔だらけだから。ほら、チラシの写真、笑っちまうだろ、この必死の形相!こんな風に無理やり前に足を運んで来たのさ。
そんな前科何十犯?の俺、お裁きの場に引き出されるとなれば、ただただ、悔悟の言葉を連ね、改悛の情を示す以外にない。
いや、大袈裟な話しじゃないさ。年寄りは憂鬱なんだ、時折襲い来る落ち込み、なかなか手強いんだぜ。楽しい思い出、納得の行く出来事なんかより、恥ずかしさいっぱい!悔いの残る失敗の方が圧倒的な勢いと軍勢で押し寄せてくるんだ。それが年取るってこと。
あの世が近づくと、お遍路で西国巡礼に出たり、写経に励んだり、壷に?金注ぎ込んだりして、救いの教えに這い寄ったりするだろ。人生なんて、犯した罪の総和みたいなもんなんだぜ。
なぁんて、ほらほら、ジジイ、憂鬱の落とし穴にはまり掛けてきたぜ。
いかん、なんとか、明るい、は無理でも、気楽な話題提供できるように考えないと。
って、ことなので、貴重なお時間、割くほどのことじゃないから。
なんて、せっかく機会を作ってくれた人に失礼だよな。はい、精いっぱい明るいジジイ暮らし、綴ってみますです。
コメント、ありがとうございました。
若くもみずみずしくありません。これ以上劣化しないよう、あの手この手で張り合っているところです。今回のトーク依頼も、お断りしようと思ったのですが、消極的になるのが何より良くないと思い直して、お引き受けしました。どうなることでしょうね。