SENDAI座の芝居、良かったなぁ、楽しめた。13人の役者も熱演だったし、的確に役を演じ切っていた。同じ東北にこれだけ質の高い劇団がいるって、嬉しいねぇ。それと、フレンドリープラザ演劇学校卒業生の古川孝さんのプロデビューも見事だったし。舞台上に設置した舞台、上手下手に階段状の客席から見下ろすような配置、これも芝居の題材ととてもマッチしていた。陪審員の話し合いを両側から見つめる形、第2の陪審員になった気分で見られた。随所に緊張感を張り詰める演出も見ごとで、セリフの間合いなど、さすがプロの役者と、豊かな気分で2時間の観劇を終えた。
が、見ながら、終始わだかまりが居座っていたのも事実なんだなぁ。
殺人を否認する少年の有罪、無罪を評決する陪審員の会議、最初の投票では、12人中、11人が有罪に投票。ただ一人だけが、無罪とは断言しないが、犯人でない可能性を感じ、話し合いの継続を主張する。舞台は公判で明らかにされた目撃証言や証拠物件を改めて一つ一つ検証しながら、ついには全員が有罪を翻すその過程を描いている。初っ端から結果は見えている。要は、有罪主張の11人をどうひっくり返すか、お手並み拝見、これがこの芝居の持ち味だ。言ってみれば、結果だけわかっているクライマックスシリーズの試合を、録画で見直してるようなもんだ。勝敗と最終得点はわかってる。どの回に誰が打ちどのように点が入ったか、あるいは、無死満塁のピンチをどう救ったか、それを、半ばスリルを感じつつ、半ば安心して見ている、これと同じ構造なのだ。
有罪の決め手とされる証言や証拠物件を一つ一つ覆して行く過程は、得点を上げた攻撃のシーンを見直す作業になる。目の覚める本塁打とか、相手の裏をかいたスチールとか、なるほど!これは見事!と満足しながら見たいわけなのだ。が、どうも、やったぁ!と快哉を叫べるような得点劇じゃないんだよ、この芝居は。この台本は。
有罪の決め手となるのは、犯行現場の下の階に住む足の悪い老人と、線路を挟んだ向かいのアパートの女性、この二人の目撃証言だ。これを事細かに追及することで、その曖昧性が露わになって行く。物的証拠は犯行に使われたナイフ、公判では手に入りにくい品となっていたのが、実は質屋でも簡単に手に入れて入れられるものであったり、と証拠の根拠が崩されていく。
おお、そうか、そうだったのか!と拍手を送りたいところだが、決め手の目撃証言、あまりに弱すぎないか?ええーっ、そんなんで死刑求刑すんの?しかも、陪審員の推理であばかれるほどいい加減な捜査と公判での検討、ちょっとちょっと、それいい加減過ぎるだろ。そこの弱さは作者も気づいているようで、弁護士が国選(日本ならその立場)で金にも実績にもならず投げやりな弁護だったって何度も言わせてる、が、それにしてもなぁ。そんな程度の検察の調査や訴訟指揮が行われたってことの方が、多数意見に引きずられ不安よりよっぽど恐ろしい。言ってみれば、敵のたわいもないエラーで得点を重ねた試合ってことかな。
それともう一つ、マイノリティらしいのは移民から国籍を取得したらしい男一人。アフリカンアメリカンがまったく登場しない。これどうしてなのか?スラムの問題が出て来るなら当然、アフリカンアメリカンとの軋轢も持ち上がって来て当然だ。あるいは、犯人と目された少年がそうだったのか?とか、原作では陪審員のうちにも何人か入っていたのを、翻訳の段階で、日本じゃ顔の黒塗りできないから、書き換えたのか?いずれにしても、片手落ちだよなぁ。
さらに言うなら、最後まで強硬に有罪を主張していたのが、強烈な差別主義者と息子との確執を抱える男、てのも、日本人にはすんなり入りにくい設定なんじゃないか。もちろん、日本にも差別はあるし、父子の葛藤だってある。でも、陪審の場でこういうがなり立てる表現にはならない気がする。ふーん、そうか、そういうことだったのね、って傍観者的に納得するばかりだ。ここいらが、胸に突き立てるナイフのように、観客の心を、あっ、僕だけかもしれないが、抉れなかった理由だろう。
しかし、これはずいぶん脚本に対して酷な評価かもしれない。それには理由がある。公演と同時刻に地上波で放映された是枝監督の『三番目の殺人』、これを録画で見て、その圧倒的な緊迫感にズタズタにされた後にこれを書いているからだ。だから、くれぐれもSEDAI座の皆さん、皆さんのせいなどじゃないからね。ぜひ、また、川西での公演、期待してるからね。
「12人の怒れる男」は原作だと黒人は出てこないですね。映画でも昔のヘンリーフォンダ主演のものはそうなってますし、去年だったか山形で観た舞台でもそうなっていました。ただ、昨今はハリウッドでも人種によるキャティング差別を問題視する人が多いせいか、再映画化されたジャックレモン主演の作品では登場人物の多くが黒人に設定替えされています。原作の書かれた時代、1950年代には黒人が陪審員になることはなかったでしょう。