メイクってなんか、すごくときめくよね。自分がするときもドキドキだけど、女性がメイクしてるのを見るのも、なんだか、覗き見しているようで、後ろめたいけど見ていたい、って不思議などきどき感にとらわれる。
理由は、やっぱり、変身だよね。ほんと、えっ、これがあの人ってくらい変わるもの。以前、演劇部の生徒がプロのメイクアップアーティストに化粧してもらったとき、もう、ぞくぞくするくらい美人になってしまって、どうするどうするって、内心慌てふためいたことがあったくらいだもの。だから、その落差が大きければ大きいほど、その過程を見てしまうことには、覗き見感がつきまとう。これって、僕だけのことだろうか?きれいな姿だけ見ていたいって人もいるだろうし、作った顔なんか見たくないって人もいるだろうしね。まあ、大方は、そんなの別に見るもんじゃないよ、とか、女性からすれば、悪趣味な奴のひと言につきるんだろう。もしかしたら、変態扱いだってされかねない。
でも、やっぱり、興味あるんだよね。どれだけ変わるかってこともそうだけど、それに向けた熱意というか、執念というか、そんなものにも圧倒されるんだ。じゃあ、最近は電車の中で化粧してる娘が多くなって、うれしいだろう、って?これは、もう、カンベン!カンベン!!だ。やはり、化粧は秘め事だから、魅力的なんであって、あっけらかんと公衆の面前でされると、目を背けたいばっかりだ。人前で立ちションしてるばあちゃんと同じだよ。
で、気が付いたんだけど、色気なんだよ。化粧する姿にはそこはかとない色気が感じられるんだ。美しくなりたいっていう女の願望、美しくなろうとする女のひたむきさ、それは色気そのものだと思う。はるか太古の時代から、女を突き動かしてきた美への衝動。
それに引きつけられるんだよなあ、きっと。演劇やる人間は、人一倍変身願望が大きいからね。人(女)が変わっていく姿には、めっぽう興味があるってわけだ。僕の場合、『おけしょう』って言う、若い娘が化粧しながら自分と対話するって一人芝居を書いたくらいだから、わかるでしょ、その熱い思いが。
さて、今日は置農演劇部、定期公演に向けて、メイク稽古の日だった。2時間かけて、それぞれの役柄に応じたメイクをした。今回の出し物は、『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』。題名からして、かなり、エキセントリックだよね。ここは一つ、しっかりメイクして顔作らないと舞台が成り立たないぞ、ってわけで、きっちり時間を取って練習した。
今どきの女子高生なら、メイクくらいできるだろ?って言いたいところだけど、置農演劇部に関しては、もう、真面目派完全制覇だから、いやはや、下手なこと!下手なこと!だいたい僕だって、しっかり勉強したわけじゃないからね、聞かれたって困るんだけど、顧問としてはそうも言ってられない。演劇学校で習ったうろ覚えの基礎知識と、菜の花座の娘達がやってる様子なんか思い出しながら、わかったフリしてアドバイスした。まあ、当人達が最初見せに来たものよりは、数段マシになったからよかったけれど、実を言うと冷や汗ものだった。やれやれ。
もっとも、そうやって生徒の顔じっくり見ながら、ファンデーションの色変えろとか、アイラインはもっとくっきり入れろとか、眉の形を鋭くしろとか、好き勝手にいじくってると、人の顔立ちの勉強にもなるし、メイクの知識も少しずつ実践的になってくる。学習って本来、こんな形で身に付いて行くものなのかも知れない。そう言えば、舞台の知識も、照明のイロハもこんな風に見よう見まねで身につけてきたっけ。
今回に関して言えば、主役:王様のメイクが一番の難物だった。なんせ、どこまでも優しい顔立ちの男子生徒なんだ。これを心の闇を引きずって荒野を徘徊する中年男性に仕上げるんだから、大変だった。思い切って青のライニングなんか頬や目尻に入れて、何度も眉を書き換えさせて、どうにかこうにか、それらしくなった。
本番は、一週間後。舞台ではどう映えるか?いやいや、その前に、今日やったメイクを忘れないでいてくれよな!