ステージおきたま

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舞台作り続けて22年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

劇団プーク:『うかうか三十、ちょろちょろ四十』

2009-01-12 21:40:45 | 演劇

 ああ、ダメだ!完全に落ち込んだ!劇団プークの『うかうか三十、ちょろ四十』。

 風車を象徴的に使った演出も巧みだった。舞台中央の満開の桜も照明に映えて見事だった。紗幕奥に風車と桜が浮かび上がるオープニングなどぞくぞくとした。演ずる役者たちの声も、声量、味わいともに一品だった。人形のとぼけた表情も作り込まれた衣装も、いつものこととは言え、見応えがあった。もちろん、マリオネット(ポルトガルギターとマンドリンのデュオ)の音楽もしっとりせつなく舞台を包んでいた。

 そう、プロの劇団にいいもの見せられたからって、そりゃ、当たり前だろ?へこむ?って自意識過剰ってもんだ。いやいや、違うんだ。この脚本のことなんだ。そう、井上さんだ。井上さんの処女作だ。実は、この作品、今から10年ほど前に読んだことがあった。で、そのときの印象。なんか、つまらねえ本だ!って。これが賞もらえるってどういうこと?正直、そう思ったんだ。だから、今日も、あまり期待していなかった。

 オープニングの美しさや人形の魅力はあったけど、前半は、ああ、やっぱりつまんねえや、って、まぶたが重くなる瞬間もあった。ところがだ。村の殿様が典医を連れて病気の村人を往診し、病気なんぞではない、元気そのものだ、と元気つけて帰った後、大喜びで浮かれる病人の前に家来がやってきて、殿様は狂っていると伝え詫びていくところから、一気に話しが反転した。ええーっ!こんな話しだったんか!?これはかんなし残酷な設定じゃないか。案の定、病人はどん底に突き落とされてやけを起こして死に、その女房も後を追う。どうする?この暗い結末。もう、目が離せなくなってしまった。

 そして、エピローグ。それから十年後、正気に戻った殿様は、狂気の間に自分が犯した罪深い行いの一部始終を知ってしまう。これもまた、つらい!そして、最後の殿様のせりふ、「これからなんぼ苦しまなくちゃなんねえとしても、俺は正気でいたいよ」。二人の死を背負っていこうとする殿様の暗い覚悟に桜吹雪が降りかかる。さらに、殿様のお声掛かりにも些かもなびくことのない村娘親子。この設定には、井上さんのお上、何する者ぞ!の意気がくっきりと感じ取れるじゃないか。

 こんな作品だったのか!こんなに奥深い脚本だったのか。ああ、僕はいったいどんな読み方をしたんだ!これほど見事な作品を読み取ることができなかったなんて。本当に情けない。だから、見終わった直後の一言は、情けねえよお前!

 最近、映画では『おくり人』が絶対いい、賞を総なめするって予言して的中し、脚本では舞台は見られなかったが『焼き肉ドラゴン』が素晴らしいと触れ回って、これまた大きな賞を取りと、ちょっと僕自身、鑑賞眼に自惚れていたから。ああ、ダメだ!恥ずかしい!脚本書いてます、演劇やってます、なんて、もう、とっても言えない。

 まずは、謙虚になろう。まずは、じっくり本を読もう。まずは、しっかり勉強しよう。結局今年の元旦の計に戻るってことだ。

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全員マスクを着けろ!!

2009-01-11 10:39:56 | 演劇

 やばいよ!本気でやばい!ついに出たものね、インフルエンザ。一昨昨日一人発生って情報が流れたと思ったら、一昨日はあっという間にバスケ部に広がった。来週は東京公演だぜ。スタッフ3人残して後は全員、つまり19人がキャストって作りだから、一人でも倒れたら舞台そのものが成り立たない。すでに、胃腸炎とかで3人休養中だしね。今度の水曜日までには、何としても全員元気で、いや、元気でなくてもいい、ともかく無事で、いや、無事でなくてもいい、やっとこさでも、這いつくばってでもいい、東京行きのバスに乗ってもらいたい!

 で、もう、早速、マスクだよ。大あわてで全員分かける1週間分の使い捨てマスクを買ってきて、部員たちに配布し、きつく言明した。

①体育の授業以外では絶対マスクを外すな!

②体調不良者には近づくな!

 ということで、今、置農では異様なマスク集団が校内を徘徊している。

 さて、子どもミュージカルの公演も大切だけど、2月初めの校内公演も準備を進めなくちゃなんない。以前なら、県大会後、じっくりと演出を互選し、台本を選び、一冬かけて作り上げるんだけど、12月末の東北大会はあったし、1月の東京公演もだろ、あと、3週間弱しかない。この短時間で2本の舞台を仕上げるわけだ。しかも、すべて三年生から引き継いだばかりの1,2年生だけでなんだから大変。

 でも、さすがに全国・東北と経験を積んできた部員たちだけのことはある。もう、2回目の稽古では立ち稽古に入っていた。装置や道具類の構想もだいたい出来てきているようで、これならなんとかできるかな?

 台本の選定から、キャスティング、演出、美術、さらには客集めの制作まで、すべて自分たちの手でこなすこの校内公演。新体制最初の仕事としてとても重要な位置を占めている。これをなんとか作り上げ、やり遂げて、自信がつくってことだ。

 そうそう、マスクはそこまで続けなくっちゃね、東京から戻ったら、また買ってこよう。

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公演は元気の素!

2009-01-08 21:00:38 | 演劇

 子どもミュージカル『合い言葉は?もったいない!』12回目の公演は、高畠第三中学校だった。東北大会終わって長期休業あけわずか3日で今日の公演だったけど、部員はほんとよくやるなぁ!我々前期高齢者にゃ考えられないよ。3ヶ月前に覚えたせりふなんて、スッカラカンのカーンだもの、僕なんて。それを、3時間二日の部分稽古とわずか一度の通し稽古で、さらっと本番仕上げちまうんだから。それだって、そこら中ダメだしして、動きなんてかなり作り替えたって言うのにだよ。改めて、高校生は凄い!!

 さらに凄かったのは、舞台に賭ける根性だ。冬、休み明けってこともあって、今朝は二人がダウン。一人は38度以上の熱出して朝から保健室で寝てるし、一人はげーげー吐いちゃうずくまってるって状態。おいおい、どうすんだよ、代役なんていないぜ!照明の二人だって一人キャストに回しちゃったくらいだもの。38度については、養護の先生からドクターストップが出るしね。やっぱ、仕方ねえよな、ってせりふの変更を考えながら、保健室にお見舞いしたら、絶対出ますって!真っ赤な顔して、根性で熱下げます!って。泣かせるねえ、感動だねえ。わかったじゃあ、公演の直前に顧問Nが車で迎えに来るからそれまで寝てろ、ってことになって、結局、舞台勤めちまったもの。げーげーの方も、自分の出番終わったら我慢ができず、中学校の保健室に直行、でも、苦しい中最後まで行動を共にした。大したもんだ!見上げた役者根性ってもんだ!!

 高畠三中は、今日が学校給食開始の記念すべき日、なるほど、うまい具合に食育ミュージカル呼んだもんだ。この芝居には小学校の給食風景も出てきて、好き嫌い言わずに残さず食べるって子どもたちが約束するシーンもあるんだもの。当然それ狙ったんだろうね、地元ケーブルテレビの取材も入ってたから。うーん、やるやる!いいよ、こういう一石二鳥、三鳥、今の時代にゃ絶対必要だ。

 公演の出来の方は、幾つかアクシデントもあったけど、三年生が機転を利かせて巧みにカバーしてくれて、まずは、及第点かな。ただ、暖房を付けたままだと、声が聞こえにくくなってしまう。事前によーくよく言って聞かせておいたことだけど、やっぱ稽古だね、稽古で大声でやっておかなくちゃ、本番ですぐにできるわけはない。東京町田公演はどの小学校も1000人規模の観客になる。もっともっと声を通さないと、後ろの方はまるで聞こえなかった、なんてことになる恐れ大。後、3日の稽古、声を精一杯鍛えなくちゃ。

 それにしても、公演は気が入るね。このところ、うんざりがっくりの出来事ばかり続発中だったのが、今日の公演ですっかり元気になってしまった。すっきり爽やか、よしゃ明日もどんと行こう!こうだね。これがあるから止められないんだよ、部員たちも僕も。さあ、来週の東京町田公演に向けて進撃だ!

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置農演劇部稽古初め

2009-01-05 21:00:43 | 演劇

 10日間の長い冬休み、置農演劇部で年に一度の長期休暇が終了。今日からいよいよ稽古が始まった。アルバイトなんかもあるから、二、三人は欠席があるかと思ったら、風邪欠の3年生一人を除き全員が元気に集合した。そう、3年生も!!

 「卒業まで後2ヶ月切ったってのにまだ部活だよ」、って声が聞こえて来そうなもんだけど、なんか、3年生が一番張り切っていたりして。今年は、今月中旬に食育子どもミュージカルの東京町田公演があるからね、3年生もまだ引退してないってことなんだ。もちろん、役員はすべて2年生に引き継いだけどね。そうそう、その前に8日始業式の日に、高畠第3中学での公演も予定されてるから、今日からきっちり稽古始めないといけないわけだ。

 で、今日は、壊れた装置・道具類の手直しをして、最後1時間半は、子どもミュージカルの歌と踊りをざっとさらった。みんなよく覚えてるもんだ!さすが高校生。だって、11月の初め以来だから、このミュージカルの稽古するのって。おっと、もちろん、基礎トレもじっくり2時間かけてやった。校舎内発声しながら走って、ストレッチして、ここで40分。久しぶりの筋トレに悲鳴上げて、エアロビみたいにハードなダンスでぐだぐだになって、さらに40分。最後40分間声の出しっぱなし!ここでみっちり力付けてもらわないとね、下級生には。

 で、最後90分が歌の練習ってことなんだけど、歌にこんなに時間をかけたのには、当然わけがある。この歌練習、実はオーディションも兼ねているからなんだ。2月から制作にかかる食育子どもミュージカル第3弾の配役に目星を付けなくちゃならないってこと。部員たちは東京公演の稽古をしながら、校内公演の稽古を積み上げて2月の初旬に公演する。その間、僕は、台本書きに四苦八苦するってことだ。で、書くったって、当て書きだから、誰をどんな風に使うか目星付けにゃなんないの。中でも、歌だよ!声だよ!音感だよ!!ミュージカルだから。特に一年生は、これまで裏方だったりダンス専門だったりして、どんな声になってるのか、どれだけ歌えるのかさっぱりわからない。で、今日のオーディションってことなんだ。

 結果は?うーん!?厳しい!!安心してソロ任せられそうなのがほとんどいない!!どうしよう!たしかに、以前に比べれば上達してる。ダンスだって、ちゃんとオフビートで踊れるもの。でもねえーーーーー?まっ、それは致し方のないこと!これが現実、これが実態!こいつらで作るしかない。せいぜい彼らの持ち味を生かした台本を書くよう努力しましょう。

 明日もまだ学校は冬休み。1時から6時と長時間の稽古が組める。子どもミュージカルの通し稽古もしなくちゃなんないけど、新しいトレーニング法も試してみるかな。ひっひっひっ!奴ら驚くぞ!うへっーってのけぞるぞ!!楽しみ、楽しみ。

 

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アキバを読む

2009-01-04 14:10:27 | 本と雑誌

 気になっていたんだ、秋葉原無差別殺傷事件のこと。きっかけは、山形東高校の昨年度大会作品『蟹工船』だった。舞台そのものは才気に溢れエネルギー満載で、さすが山東と羨ましくねたましい仕上がりだった。中でもオープニング、アキバ事件のKが次々にメールを送っては、嘲笑され、非難され、無視され孤立を深めていくシーンは、音響と照明の効果的な使用と相まって、息をのむほどの衝撃的な場面だった。

 そう、このシーンの圧倒的なインパクトが一つ。それともっと大きなとっかかりは、やっぱり脚本に対する違和感だった。『蟹工船』とアキバ事件?それって同列?『蟹工船』で撃ち殺された反乱者たちが、ダガーナイフを振り回して狂うKに「またやろうな!」って呼びかける?のってあり?県大会で見た後、ずっと気になっていた。

 まあ、時代が違うでしょ、置かれた窮状のレベルが比較にならんでしょ、と、軽~くいなして済ますこともできた。でも、知ったふりして通り過ぎるのが、どうにも気がかりでしかたなかった。『蟹工船』とは縁もゆかりもないって本当か?何がどうひっかかるのか?それもよくわからない。非正規派遣労働者の暮らしぶりってどうなってんだ?Kが送ったメールってなんだ?と、長らく保留常態にあったこの問題、暇できたからこの正月、ちょっとばかり本を読みながら考えてみたってことだ。

 読んだたって、『アキハバラ発〈00年代〉への問い』(大澤真幸編・岩波書店刊)と『論争 若者論』(文春新書編集部[編])の2冊だけなんだけど、実に多くのことを教えてもらったし、考えてみることができた。いろんな場面で引用されその破壊力では群を抜いた論文『「丸山眞男」をひっぱたきたい-31歳フリーター。希望は、戦争。』(『論争 若者論』所収)。そうか、こんな真情にまで追いこまれているのか、と切なくやりきれなく読んだ。この著者だけでなく、社会の不平等に怒りを鬱積させている若者たちの標的が、戦後高度成長の上がりを掠め取った団塊の世代(僕も含む)や左翼的言論(僕も含むかな?)に定められているってことも、実は今回の読書で学んだことだった。そうだよな、でも、責められるのは辛い。

 東浩紀へのインタビュー『「私的に公的である」から言論の場を構築する』(『アキハバラ発〈00年代〉への問い』所収)も、若い世代の論客が、この事件が発する言葉を誠実に聞き届けようとする姿勢に共感できた。東が「この事件はテロだ」と、新聞に書いたことに対して、仲正昌樹が『アキバ事件をめぐる「マルクスもどきの嘘八百」を排す』(『論争 若者論』所収)で上げ足取り的にちょっかいを出していて、なるほど、この人のもの言いってテレビのコメンテーターそのものだ、要は相手を叩いてへこませれば勝ちってことなんだって感じたりもした。

 さらに、濱野智史『なぜKは「2チャンネル」ではなく、「Mega-View」に書き込んだのか?』(『アキハバラ発〈00年代〉への問い』所収)では、ほんの些細なことのように思える書き込み先の違いから、Kの立ち位置とその思いをくっきりと浮かび上がらせていた。もちろん、ここに書かれた掲示板や携帯サイトに関する知識は、ほとんどすべて初めて聞くことばかりで、ほほーっ!なるほど!そうなのか!の連発で読み終えた。こういう優れた論文読むと、この人の本まで読みたくなる。

 その他にも、重松清が、共感することと、実行することとの大きな隔たりを説いて、若者に必死で自重を呼びかけていた文も、そのひたむきさに心打たれた。さらに、若者のコミュニケーションの問題として捉えた浅野智彦『孤独であることの二つの位相』には、この事件にとどまらず、今の若者がぶち当たっている孤独からの脱出の方策を提起されていて考えさせられた。つまり、濃密に愛されるってことも大切だけど、地域や職場で尊重される、褒められるってことの方がよっぽと役に立つってこと。親密な友人もいいけど、薄い人間関係だって重要なんだゾ、ってこと。そのことを教育の場でももっともっと教えなくちゃならないし、社会にあっては、そんなゆったりとした公共の場(例えば趣味のサークルとか、劇団とか?)を作り出す努力、あるいは、そんな場に入り込む勇気が必要とされるって言っている。ほんと、その通りだと思う。僕も卒業間近の3年生には、毎年言ってきた、地域の活動に参加しろよって。

 さあて、僕はアキバ通り魔連続殺人事件から何を課題として受け止めていくべきなのか?派遣労働の理不尽もある。格差社会の現実もそうだ。団塊への糾弾も心に止めておこう。最後の拠り所の意味を失ってしまった家族のこともだ。もしもKが結婚できていたなら、なんてことも考える。孤独に鋭敏すぎる若者の心性ってことも。で、僕に少しでも手伝いできるとするなら、コミュニケーションスキルとまで言わないが、ゆったりと他者とつながる方法とその場を提供するってことくらいだろう、演劇を通して。おっと、もう一つ、こういった難しさを手元に置いて、それを表現活動の中に生かしていくってことなんだろうな。大して役に立たなくてゴメン!

コメント (5)
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