Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2024年2月12日 ファイファー神父様のお言葉:ドモルネ神父様のための謝恩会にて

2024年04月23日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

2024年2月12日 ドモルネ神父様のための謝恩会でのファイファー神父様のお言葉

今回、アジア管区長の命令で私は日本に聖母の騎士のミッションのために来ましたが、明日、同じ命令で韓国に行きます。日本には今回初めて来ました。韓国にも初めて行きます。
私は、今、フィリピンのダヴァオというところで働いています。その前はインドで働いていました。その前はアメリカで働いていました。

とにかく司祭は行って、また出かけなくてはなりません。しかし、新しいところに来るときには、いつも楽しいことがあります。なぜかというと、新しい人と出会ったり、新しいことを学んだり、これから何が起こるかということで、興味がたくさんあるからです。特にエチエンヌ神父様のように頭のよい素敵な方であれば、そうに違いありません。

わたしたちは、天主様への愛のために一生懸命働いて、私たちに任された人々を愛し、そして愛するので、自然と、自然の法則に従ってその人々を愛して愛されて、そして愛着がわいてしまいます。
それでも司祭は、来て、また行かなければなりません。なぜかというと、私たちがここに来るのは、誰かによって任命を受けたからです。“日本に行きたいんだ~”と言って来るのはボランティアで、そうでない限り任命を受けてきます。誰かに任命をされて、ある時“さあ出発の時が来た”という日が来ます。

司祭は、従順によって、それに従います。神父様は、日本を去って、そして新しくマニラに行かなければなりません。マニラは、日本とは本当に違うところです。

私は、フィリピンにもう何年もいて、フィリピンのことを愛しています。フィリピンが大好きですが、日本には初めて来ました。日本については映画でしか見たことしかありませんでした。

日本は、神父様にとってとてもぴったりしたところだと思います。なぜかというと、日本の人々は非常に知的で神父様に似て、そしてすべてが神父様のように整理整頓されていて、とても清潔なことが好きなところなので、まさに神父様にぴったりです。ですから、そのようなところで子供たちは、知的に学びすべてを整理整頓してそれをきれいにするのを学ばなければなりません。わたしは日本に来て“ほかに車も誰もいないにもかかわらず信号が赤なのでずっと待っている”というのを日本で見ました。初めて見ました。でも、マニラに行かれると、日本とはまったく違います。

日本のところがこうだというのかとかはわたしのこんな感じかたですけれども、フィリピンにはちょっとまた別の秩序があります。でも、神父様は、天主がそれをお望みなので、すべてを捨てて、すべてをそのまま残して、その命令に従おうとされています。とても良い模範を示されています。

誰もが、ここに来て、そして出ていかなければなりません。その例外はありません。
ドモルネ神父様は日本に来られて、また日本を出て行く。ファイファー神父も日本に来て、また日本から出て行きます。小野田神父も日本に来ていて、また日本から出て行く時が来ます。
司祭は、天主のためにすべてを棄て、ここを出て行きます。ドモルネ神父様は、天主様のためにすべてをやって、ここを出て行きます。小野田神父も同じです。

誰もが、この世界にやって来て、そしてこの世界を出て行かなければなりません。そのときに、わたしたちは天主の御前にいったい何を報告するでしょうか。“私は主のためにすべてをしました”と言うことができるでしょうか。でも、この世の人々は、天主のために何もせずに生きて、この世を出て行きます。まったくゼロです。この世に住んでいる皆さん、お父さんお母さんそして子どもたちは、すべてを天主様のためにやらなければなりません。司祭がやって来て、出てきて、みんなやって来て出て行って、その次はだれがこの仕事を天主様の仕事をするのでしょうか。若い人々は、このことをよく考えてください。そしてわたしたちは、この世から出て行ったときに、主に、この世でのことを報告しなければなりません。“主のためにこうしました。”と。

神父様はときどき私にEメールを送ってくださって、このEメールの交換をするときに、「日本語の勉強どうですか?」と尋ねると、こう答えがありました。
「はい、一生懸命やっています。何時間も何時間も勉強しています。今日本語の勉強をこんなにもしていました。」
それにもかかわらず
「さあ日本を離れて別なところに行きなさい。」・・・・・・

でも、神父様はそれをすべてそのまま残して、主の命令に、み旨に従って、日本を発ちます。
なぜかというと、神父様には離脱の心がある。被造物に愛着していません。そこで、これが天主様に奉仕するために必要なことで、どうして主のために仕事をする人、奉仕する人がこんなに少ないかというと、離脱の心を持っている人がいないからです。ほんとに少ないからです。日本の人はとても携帯で何時間も画面を見ているということで有名です。任天堂も有名です。

それでも、もしも主が、「おまえ、わたしのために仕えないか。」「仕えて欲しい。」と言ったときに、それらをすべて離脱して、すぐに、「ハイ!主よ、私はすぐにそうします!」と、神父様にならって仕えることができるでしょうか。

皆さんは、もしかしたらマリア様の御像の前で跪いてお祈りしたかもしれません。いったいどんなお祈りをしますか。
「マリア様、試験に合格しますように!」とお祈りするでしょうか。
「マリア様、デザートにシュークリームが食べられますように!」とお祈りするでしょうか。
それとも、みなさんは、
「マリア様、マリア様はわたしが何をすることがお望みですか?」
「マリア様、わたしはマリア様のために何をすることができるでしょうか?」
とお祈りすることがあるでしょうか。

もしも、そういうお祈りをするとしたら、それらは全く別なことです。もしも、主のみ旨がわかったら、「ハイ!そうします!」と言ってください。なぜかというと、それが離脱だからです。
そうしなければ、日本に司祭がいなくなってしまいます。
日本には、日本人のために働く司祭が必要です。修道者の召命がたくさん必要です。離脱の心を持つ若い人たちがたくさん必要です。

ご清聴ありがとうございました。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
誰もが、この世界にやって来て、そしてこの世界を出て行かなければなりません (ヨハネ)
2024-04-24 23:11:32
ファイファー神父様、サラッといいこと言いますね。この世に愛着を持たず、上長の命によりどこにでも赴いて天主様のために働く。このような神父様がおられる修道会は心配ないでしょう。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。