Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、中絶法令緩和案に抗議

2009年10月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、社会労働党政府が提案した中絶法令緩和案に抗議」したそうです。

 抗議者らは「命は皆大切」等のスローガンを掲げ市街地を行進し、政府によるこの緩和計画に抗議した。また、アルカラ門のある独立広場では集まった人々が約300個の白い風船を空に放った。

 デモの対象となったこの法令計画は与党が提案したもの。妊娠14週未満の女性が中絶手術を無制限に受けられることや、16歳以上の女性が両親の同意なしで中絶を行うことを許可するなど、現中絶の制限法令を緩和する内容。


スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、社会労働党政府が提案した中絶法令緩和案に抗議

スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、社会労働党政府が提案した中絶法令緩和案に抗議
命、女性、家族
!ストップ! これ以上、罪のない子供をいじめるな

スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、社会労働党政府が提案した中絶法令緩和案に抗議
堕胎 = ジェノサイド(民族殺し)

スペインの首都マドリードで17日、約100万人が街頭でデモを行い、社会労働党政府が提案した中絶法令緩和案に抗議



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【関連記事】


ブログ けれど(Credo)の「聖と俗」の雑感を読んで:

2009年10月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 けれど(Credo)の「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,us)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(1)雑感(2)、その通りだと思いましたので、ご紹介します。


「聖は天主(Deus)に関わり、俗は人間社会(hominum communitas)に関わる。聖は縦の関係つまり天主と人間との関わりであり、俗は横の関係、人間同士の関わりである。

 聖は一であり、俗は多であるとも言える。

 天主は御一体であり、数多の天主というのは絶対矛盾であるからして、天主と人間の関係は一つしかない。

 唯一の天主の啓示し給うた真の宗教はただ一つ、それはカトリック教会によって2000年以上にわたって守られてきたものである。

 カトリック教会から離れたすべてのキリスト教諸宗派は、例えばカルヴィン派はカルヴィンが、ルター派はルターが、作ったものである。

 聖と俗は対立、敵対するものではない。

 天主の十戒は第一から第三までが聖に関わり、第四戒から第十戒までが人間社会にかかわる掟である。

 俗は多である、と先に言ったが、人間社会においては、民族、言語は多様であり、そのどれか一つを絶対化したり、あるいは多を否定して一にしようとすることは誤りである。

 共産主義もフリーメーソンも俗における多を否定して、「万国の労働者よ、団結せよ」と叫んで国民を無国籍者にしたり、世界政府を主張して民族、言語の多様性を否定する。その一方で、共産主義者は独裁を主張し、フリーメーソンは世界政府を樹立しようとする。彼らは真の聖を否定した上で、おのれを聖なるものの地位に置こうとするのである。

 聖と俗の混乱は現代カトリック教会にも起こっているように思われる。聖の俗化、あるいは聖なる世界への俗の侵入とでも言えばよかろうか。

 聖は俗に対して天主の掟に反する事柄を指摘し天主の掟に従うように説得する義務がある。例えば、中絶の合法化を立法府が行おうとするとき、カトリック教会はその立法府に対して、天主の第五戒「汝、人を殺すなかれ」を突きつけ、そのことを黙認する国民を啓蒙しなければならない。

 聖の世界は民主主義、自由主義の世界ではない、国民が民主主義原理である多数決で決めようとも、それが天主の掟に反するならば悪である、と宣言しなければならない。聖の世界はそういう意味で孤高を守らなければならない場合がある。天主の掟に反する俗に迎合、妥協したり、それを黙認したりすることは、聖に関わるカトリック教会の堕落ではなかろうか。「汝等往きて万民に教えよ」(マテオ 28:19)という天主の命令を受けているカトリック教会の教職を放棄するならば、教会はその使命を果たしているとは言えないのではないだろうか。

 しかし、国家が自衛のために軍隊を持つこと、自衛のために戦争が起こることは天主の掟に反しない。平和は大切なものであるが、国家がその存亡の危機に立たされるとき、平和を絶対視すれば、隷属や亡国につながる。俗の世界が多であることは天主が嘉し給うたことである。民族、国家、文化、言語は多であり、力づくでそれを滅ぼすこと、あるいは一にしてしまうことは許されないし、そういうことが起これば、国家は戦争によってそれに対抗することができる。・・・」

***


 カトリック教会から離れたすべてのキリスト教諸宗派は、例えばカルヴィン派はカルヴィンが、ルター派はルターが、作ったものである。

 誠にその通りです。

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「教会に聞け」


 プロテスタントは言います。
「否、教会に聞くな、教会にプロテストせよ」

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「私のくびきは甘美で、私の荷は軽い」(マテオ11:30)


 ルターとカルヴァンはこう言います。
「否、掟を守ることは不可能だ」

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「もしも永遠の生命に入りたいのなら、掟を守りなさい」(マテオ19:17)


 ルターとカルヴァンはこう言います。
「否、信仰のみで、善行が無くても、永遠の生命に入ることが出来る」

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「あなたたちが、償いを果たさないなら、あなたたちも滅びてしまうだろう」(ルカ3:3)


 プロテスタントはこう言います。
「否、断食や償いの業は、罪の償いのために必要ではない」

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「これは私の体である」


 カルヴァンはこう言います。
「否、これはキリストの体の印に過ぎない。これはあなたたちが拝領するやいなやキリストの体になる」

 私たちの主イエズス・キリストはこう言います。
「私はまことに言う、だれでも自分の妻を出して別の女をめとるものは姦淫を犯す」


 プロテスタントはこう言います。
「否、妻を出して、離婚をし、別の女をめとることが出来る」

 私たちの主イエズス・キリストはすべての人々にこう言います。
「盗むなかれ」


 ルターは世俗の君主らにこう言います。
「否、私はあなたたちに、カトリック教会の財産を没収する権利を与えよう」

 聖霊は聖書においてこう言います。
「あなたたちの救いを恐れとおののきをもって果たせ」(フィリッピ2:12)


 ルターとカルヴァンはこう言います。
「否、誰であれイエズス・キリストを信じるものは、救われている」

 聖パウロはこう言います。
「たとえ私が山を動かすほどの信仰を持っていたとしても、愛がなければ私は無に等しい」


 ルターとカルヴァンはこう言います。
「否、信仰だけで私たちは救われる」


 私たちの主イエズス・キリストを嘘つきとし、聖霊と使徒たちを嘘つきとする人々を、私たちは信じることが出来ません。

 まさに、カトリック教会から離れたすべてのキリスト教諸宗派は、例えばカルヴィン派はカルヴィンが、ルター派はルターが、作ったものである。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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【参考資料】エキュメニズム

昨日(2009/10/18)の東京での聖伝のミサは

2009年10月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日(2009/10/18)の東京での聖伝のミサは、初めて来られた方々が私の知る限りでは4名いらっしゃり、40名の愛する兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサに与ることが出来ました。天主様に感謝!

 【参考情報】因みに、ローマの聖ペトロ大聖堂では、昨日、聖伝の荘厳司教ミサがありました。
Solenne pontificale a San Pietro (con buttafuori)
Ecco le nostre fotografie del sublime pontificale solenne al faldistorio di questa mattina nell'Arcibasilica di San Pietro.


Inside Vatican, letter from Rome

 世界中で、ベネディクト十六世教皇様のご意向を尊重して、聖伝のミサが多く捧げられるようになっていると思います。

 ただし、日本では、教皇様の聖伝のミサを大切にしたいという望みがうまく伝わっていないようです。

【参考資料】聖ピオ十世会では、ベネディクト十六世教皇様が宣言した「司祭聖年」を記念して、多くの行事が行われています。

 エコンでは今年の叙階式に、フェレー司教様がこの司祭聖年について強調して述べました。フランスでは、例えば、フランス管区長が「アルスの聖司祭の司祭聖年:司祭職 Année jubilaire du saint curé d’Ars : le sacerdoce - Abbé R. de Cacqueray」を発表しています。「今年の、アルスの聖司祭の聖年において、私たちは叙階の秘蹟という宝物のその深みまで探るように招かれている。En cette année jubilaire du saint curé d’Ars, nous sommes vivement invités à scruter jusque dans ses profondeurs le trésor qu’est le sacrement de l’Ordre. ...」

 また、フランス管区では、アルスへの巡礼が行われました。
19 septembre 2009 : vidéo du pèlerinage d'Ars


Le 19 septembre 2009, un millier de pèlerins venus de tous les prieurés de la FSSPX en France se sont rendus en pèlerinage à Ars à l'occasion de l'année du jubilé sacerdotal.

Lors du pèlerinage de la FSSPX à Ars, le 19 septembre dernier, nous avons pu avoir la messe dans l'église paroissiale de Quincieux (Rhône).

 主よ、我らに司祭を与え給え!
 主よ、我らに聖なる司祭を与え給え!
 主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え!

 【参考資料】フランスのストラスブール教区のユベラル神父(Père Etienne UBERALL)は、司教総代理で、音楽および典礼の司教諮問の参照人(référent du Conseil
Episcopal pour la musique et la liturgie)だそうです。
 2009年の聖霊降臨の月曜日の青少年のための「ミサ」の様子のビデオです。
La "messe" pour la jeunesse du 1er juin 2009 animée par une "équipe pastorale" [01' 04']
(とてもついて行けない・・・)


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【関連記事】

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
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