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最近の試練から引き出せる有益な教訓(デ・ガラレタ司教様の講話)その2

2013年01月09日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨年は、復活祭の後に、マニラの修道院のためにトヨタのイノヴァ(Innova)という車(新車)を購入することがでいました。そのために援助をして下さった愛する兄弟姉妹の皆様に深く感謝いたします。ご報告が遅れてしまい申し訳ありません。

 さて、デ・ガラレタ司教様が昨年の10月になさった「最近の試練から引き出せる有益な教訓」と題されるお説教の続きをご紹介します。


General Chapter 2012 Econe


Econe Nov 1, 2012


天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


最近の試練から引き出せる有益な教訓 その2


総会(二〇一二年七月九日-十四日)

 そして総会が開かれました。皆さんにあまり多くのことをこと細かにお伝えすることはできません。守秘義務がそれを許さないからです。ですが、フェレー司教様ご自身がすでにいくつかの事柄を明かしました。本質的要素の一部は総会の最終宣言に明記されました。これらは皆さんがすでにご存知の条件です。私が皆さんにお伝えできることは、み摂理が総会の間中、明確に、はっきりと感じられるほどにお助けくださったということです。

 総会は非常にうまくいきました。皆さんに非常に率直に伝えます。私たちは落ち着いて、自由に、隠し立てせずに話すことができました。きわめて重要な諸問題を話し合うことができました。元来の議論する予定だった他の幾つかの議題は省略しなければならなかったのですが。

 私たちは討論のために必要な全ての時間を取り、互いの見方を比較し合いました。それは同じ修道会、同じ軍隊のメンバーの間においてとても相応しいことです。そうして何らの問題もありません。聖ピオ十世会は女学校ではありませんから。そうでしょう? そして、時たま私たちの間に論争があるとしても、誰もそれをもって大事(おおごと)にしてはなりません。ピ枢機卿が、十九世紀にフランスで司教たちとともの公開討論を支援する時のお言葉を読んで下さい。枢機卿は司教たちに討論は正当なことだと納得させ、理由を説明し、これは戦いである、だからあなた方は討論をするのだ! と述べています。ですから、誰もこの討論から悲劇を作り出してはなりません。

 もしも悲劇があるならその悲劇とは、信仰を投げ出すことです。あれやこれやのことについて、賢明な判断に関する議題について、討論があるのは当たり前のことです。さまざまな側面があり、人間の気質があり、状況があります……。非常に複雑です。「さあ、剣の一降りで私が問題を一挙に解決してみせよう」といって、【アレクサンドロス大王がしたように】ゴルディオンの結び目という難題を一刀両断にはできません。無理です!

 総会は開かれました。皆さんに告げたように、私たちが味わったこの試練から、実際にいくつかの有用な教訓を引き出しました。それは完全ではないにしてもです。完全ではないということは、心に留め置くべきもう一つの側面です。人生において、あらゆることは不完全な状況の中で起きます。教会の歴史を見て下さい! 私たちはこの世にありもしない完全さを要求するべきではありませんが、私たちは、本質部分に、大切な論点にしっかりと眼を据えなければなりません。その他のことについて皆さんは多くの物事を成り行きに任せますね。家庭生活においてそのようにしないでしょうか? もちろんそうなさるでしょう。そうでなければ、この世では、人生では、私たちの間においてすら、何も持ちこたえられないのです。

「ああその通りです、でも……!」と憂慮する人々がいます。問題と状況の複雑さを理解する必要があります。そして、一時の激情が果たした役割もあるということを忘れてはなりません。それらは私たちの間にさえあります。私が今このようなことを述べ立てているその理由は、私の意見によれば、私たちはこの問題の数々についてあら探しをしてはならない、ということです。物事の本質がそこにあるか、ないかということを見なければなりません。

 私の見るところ、私たちは本当に危機を克服し、くぐり抜けました。私たちがそうしなければならないやり方において、特に、現実的手段という点においてです。討論のおかげで、私たちは面と向かい合って論点の数々を明確にし、議論をよく品定めすることができました。論点のあらゆる側面のもとで、論点を通じて分類することができました。 状況をもっと完全に見抜き、状況を明確にすることができました。皆さんが試練から学び取るなら、これが試練の良いところです。

 このきわめて重要な建設的な話し合いを土台に、私たちは、仮定上あり得るかも知れない教会法上の正常化ができるための諸条件を定めました。このことに関して皆さんがじっくりと考察するなら、私たちがやり遂げたことは、実際条件を生み出すため、教義上そして典礼上の全体的疑問を取り上げたということです、

あり得るかも知れない教会法的正常化のための諸条件

 皆さんにお話ししたように、今のところ確かにそれは完全ではありません。そして私たち自身、そのことを総会の後、早々に理解しました。必須条件と望ましい条件の間の区別はあまり正確ではなかったし……望ましくもありませんでした。実際私たちに関しては、私たちが望ましいものとして指し示した条件の間に、必須条件らがあるのですが、しかし、むしろ実際的、教会法上の、具体的なレベルにおいてのことです。聖ピオ十世会本部は、この総会の前から、ローマにこれらの諸条件を前々から既に要求していました。そしてそのほとんどの部分に対して──繰り返された、そして多くの堂々巡りの論争ののち──ローマはそれらを譲歩しようとしていたことです。それは現時点でさえです。しかし総会の目的と関心は、結果を明確に決めることではなく、つまり、それを保証するものというよりも、むしろ、私たちが今まで明確に定義づけてこなかった本質的必要条件をはっきりとさせることでした。

 言い換えれば、或る教皇様が、聖ピオ十世会と本当に合意に達することを望むような未来の教皇様が出た場合、教義上のレベルでの諸条件はどうなるのかということです。教義に関する、信仰への忠誠、聖伝への忠誠、信仰を公に告白するという忠誠、誤謬を広げる者たちが、たとえ聖職の権威者であっても、これに対して公の抵抗するという忠誠に関する教義のレベルでのことです。これが、私たちが相当な厳格さで最初の二つの必須条件を定義づけたポイントです。

そして、言うまでもなく、すべてがそこにあります。皆さんのためにもう一度読み上げましょう。

第一に、「公教会の連綿と続く教導職の聖なる教義、天主より与えられた聖伝の不変の聖なる教義を保ち、伝え、教えるための自由」とあります。この言い方は、実際、きわめて正確な表現でありながらも、皆さんにはいささかも難しく思われることは確かです。「保つ」とは、私たちを承認なさるような教皇様の側から、いかなる正常化においても、その保証が私たちにある、ということです。言い換えるなら、私たちが聖なる教義、聖なる不変の教導職の教義を保ち、伝え、教えることができるということを、書面での同意書で、私たちに保証することです。なぜなら、ローマ当局は教導職について進化する概念を持っているからです。私たちが「教導職」と言うだけでは充分ではありません。「すべての時代の教導職」としても、当局の用語ではまだ曖昧です。そこで私たちは「天主より与えられた聖伝の、不変の真理」と明確に述べました。

なぜ「不変の真理」なのか? 彼らにとって、聖伝とは生きており、絶えず動いているものだからです……。ほぼ一年半の間、ローマ委員会との議論を経験したおかげで、こういった非常に厳格な言葉になったということが、皆さんにはお分かりでしょう。最初のポイントを続けましょう。「真理を守り、第二ヴァチカン公会議の誤謬や近代主義、進歩主義の新規さとその結果を促進する人々を、公にすら正し、改善させるための自由」これに何かを加えることは困難であろうと私は思います。すべてがここに言われています。これが、誤謬を認識し、それらを公に攻撃するための自由、否定され弱められた真理の数々を公に教えるための自由、それだけでなく、公に誤謬を広めた人々、聖職の権威者たちでさえも反対するための、私たちの自由なのです。

どんな誤謬でしょうか? 近代主義、進歩主義の誤謬です。つまり、第二ヴァチカン公会議とそこから生じた改革の誤謬、また教義上、典礼上あるいは教会法的規律のいくつもの結果として生じた改革の誤謬です。すべてがそこで言われています。公的な抵抗さえもです。ある明確な点に至るまで、新教会法に至るまで含まれています。新教会法が、団体主義的な、エキュメニカルな、ペルソナ主義的な精神などに染まっていることを含んでいます。すべてがそこで言われています。

次に、第二のポイントです。「一九六二年版の典礼書のみをその他は排除的に(exclusively)を使用すること」それゆえに、ミサだけでなく一九六二年の典礼全体をということです。つまり、あらゆるもの、司教儀式書(ポンティフィカーレ)さえもです。私たちが現在実践している、叙階、堅信、そして婚姻に関するものを含む秘跡の執行を保持することです。

 ここで言っていることは、つまり、万一、合意あるいは承認の場合に、多かれ少なかれ近代主義が存在し続ける状況での、現実的で実行可能の自由を私たちが真実に所有するために必要な、秘跡の、そして教会法上の執行の様相の一部が含められているということが、分かりますね。私たちは、必要ならば、条件付き叙階を執行します。必要ならば条件付き堅信をも施します。そして婚姻の秘跡に関して、言うまでもなく、無効となる新しい原因の数々を受け入れません。

 そして、必須条件の中にはさらにこうあります。少なくとも一人の司教を保証すること。おわかりでしょう。これは完全ではないと皆さんに言いました。というのは、数名の補佐司教と、一人の高位聖職者を要求しなければならないという事実について、私たち全員一致しているからです。私たち全員一致しており、何の疑問もありません。これは以前は問題にならなかったことであり、今も問題ではありません。ですから、これに関してあら探しをすべきではありません。

 他方で、私たちは問題が何なのかを定義しました。私たちの側ではっきりと定義づけられていなかったという事実のためです。そして、ローマの側の矛盾した伝達があったためです。

 今回の総会では以下のことも決定されました。この諸条件に関して価値ある益となる何かを本部が獲得したなら、それを審議する総会が開かれるでしょう。つまり、その決定は、必ず聖ピオ十世会会員を拘束する性格を持つ総会です。諮問するだけの総会が開かれるのなら、総長は助言を求めますが、決定は彼が自由にすることが出来ます。審議の総会とは、絶対多数──投票総数の半分以上、それが私たちにとって合理的に思えるからです──によってなされた決定を、聖ピオ十世会は支持する、ということになります。

 最近の総会が証明したように、私たちが顔と顔をつき合わせて話し合うことができたその日に、なるべくしてなったように、私たちは味わった誤解の数々を克服しました。ローマから得られるだろうものを承認することを可能とするために、審議的総会は非常に賢明な満足いく手段であることは明らかです。というのは、聖ピオ十世会の長上たちの大部分をもってして、──率直な議論を経た後、すべての側面をすべての内側と外側を徹底的な分析したのち──大多数の長上らが賢明に関する事柄において間違えるかも知れないとは、ほぼ不可能なことだからです、考えられないことだからです。

 この人生において絶対的な保証はありません。個人的な──自分自身を始め──その人が明日することに関して、あらゆる可能な保証を持つ人はいないからです。

 ですから、総会は私たちが陥っていた膠着状態を破るため、おおむね適切なものです。というのは、皆さんが注意深く調べてみるなら、総会において、私たちはまさしくローマがしたと同じように諸条件を据えたからですが、それは正反対の意味においてです。

 つまり、ローマは私たちにこのことを求め、そして私たちは反対のことを要求しました。言うまでもなく合意の可能性はさらに低くなります。が、最も重要なことは、危険を伴う悪い合意は決定的に撤回されたというのが私の意見です。「決定的」とは永久的なものではなく、ただ今回のことを指します。

 私たちは自分たちの間での分裂をも回避しました。大変な難題です。にもかかわらず、そのことを考える、ことは必要でした。つまり、私たちが、聖ピオ十世会の中で、協力している修道会らにおいて、いくつもの家庭において、私たちすべてを分裂させていたという理解することは必要でした。

私たちは戦いにおいて強力であるので、私たちは躍起になって、むきになって、互いを引き裂いてしまったかもしれないからです。想像がつくでしょう! これがまさに現実でした。しかし私たちの間の理解のおかげで、完璧ではないにせよこの決定のおかげで、私たちが守っているものにとって、真の信仰にとって、私たちの戦いにとって、先人たるルフェーブル大司教様とカストロ・メイヤー司教様にとって、不名誉の形を取るかもしれなかった分裂を克服しました。


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ローズ胡美玉 さんの「苦しみの中の喜び」


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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