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聖なるロザリオの黙想【栄えの玄義】-2016年5月5日秋田巡礼にて フォルティン神父様、小野田神父

2016年10月30日 | お説教・霊的講話
苦しみの玄義黙想(2016年5月4日 秋田巡礼にて フォルティン神父様、小野田神父)
同時通訳:小野田圭志神父


『栄えの玄義 第1玄義:
この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
(小野田神父)

私たちの主は、40日間何度も、多くの弟子たちの前に御現れになり、現実的に、物理的に御復活された事を証明されました。イエズス様は御腕を広げて御手をお見せになって、イエズス様の御体が本物であること、復活によって同じ体になるという事を示して下さいました。

また同時に主は、エンマウスの弟子たちにお現れになって、彼らを通して私たちにこう教えて下さいます、「あぁ、愚かな者よ。キリストは苦しみを受けてその栄光に入るべきではなかったのか。」復活への道は、十字架の道であります。

私たちの御母マリア様は、十字架と私たちの間に立っておられます。マリア様は、私たちが十字架の道を歩む事ができるように、助け導いて下さいます。もしもマリア様が私たちと一緒に十字架の道行きを歩いて下さるならば、それはとても甘美で易しいものになります。何故なら、マリア様が私たちを助けて下さるからです、マリア様が私たちを導いて下さるからです。

復活の栄光へと繋がる道は、謙遜の十字架の道です。マリア様は私たちに謙遜の道を示して下さいます。私たちもいつもマリア様と共に、マリア様の後に続いて、謙遜の十字架をよく担う事ができますように、そして遂には、永遠の復活の栄光へと辿り着くことができますように、マリア様にその御恵みを乞い求めましょう。



『栄えの玄義 第2玄義:
この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』
(フォルティン神父様)

私たちの主は、凱旋を以て天国に昇りました。地上での使命は全て果たされました。主は御父の御旨を全て果たされました。人類を贖い尽くしました。今、主は御父の元に帰ります。

主の凱旋のトロフィーはそれは、主の受けた手の傷です。手と足の釘の痕です。そして刺し貫ぬかれた胸の御傷です。そこから御血が流れたその胸です。この傷は御父と私たちへの愛の証拠です。しかし一人の霊魂には イエズス様はそれほどの多くの苦しみを受ける必要がありました。それは私たちの聖母の為の苦しみです。

主は天主御父の右に座し給うのです。御父に御自分の勝ち取った御傷を見せながら、この主が受けた手足の傷をトロフィーとして見せながら、そして多くの諸聖人の行列を以て天国に入場します。今まで固く閉ざされていた天の門は今、広く開いています。

私たち一人一人の為に、天の国に特別の場所を今準備して下さっています。特にマリア様の為には特別の場所を準備されました。私たちの主イエズス・キリストを通って来た全ての御恵みは、まずマリア様の御手を通って与えられます。私たちが受ける御恵みに、ちゃんと応える事ができる御恵みを乞い求めましょう。この御恵みは全て、イエズス様の至聖なる聖心からマリア様の手を通して、私たちに届きます。その御恵みを通して、私たちの天国への場所に確かに到達する事ができるように。



『栄えの玄義 第3玄義:
この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、聖霊の賜物を乞い願わん。』
(小野田神父)

マリア様は聖寵に満たされた御方でした。すなわち聖霊の賜物を、聖霊の愛を、全て限りなく、限定なく全てを受けた唯一の霊魂でした。聖霊の与えようと下さる愛と、その莫大な御恵みを1つも拒否する事なく、全て主の御旨のままに、自分の事よりは主の御旨をいつも考えて、それを実践した方でした。

聖霊の御恵みを充満まで受ける事ができたのは、それはマリア様が、ご自分が無であり、主の婢女であり、そして自分は何でもないものである、という事をよく自覚していたからです。マリア様が謙遜であれば謙遜であるほど、その謙遜の深みに入れば入るほど、聖霊はますますマリア様を御恵みで満たされたのでした。

あたかもマリア様と聖霊は一心同体であるかのようです。あたかも聖霊がマリア様の体を使って動いているかのようでした。恵みに、聖寵に充ち満てる御方マリア様でした。

聖霊の御恵みは、まずマリア様を通して使徒たちに与えられます。そして教会を形造るようになりました。マリア様を通して私たちも、ますます私たちが無である事を、私たちが聖霊の御恵みを、天主の愛を、聖寵をますます受ける事ができるように、私たちの汚物をますます取る事ができるように、御取次ぎを乞い願いましょう。




『栄えの玄義 第4玄義:
この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』
(フォルティン神父様)

一人の男によって罪がこの世に入りました。イエズス・キリストがこの地上にやって来られ、そして私たちの為に死を受け、それは私たちが永遠に生きる為でした。

死、そして腐敗、これは人類の罪の結果です。私たちの主が死去されたように、マリア様も亡くなります、たとえ原罪を持っておられなかったとしても。

マリア様は、特別の天主様の特権によってマリア様の霊魂は原罪の汚れから免れました。私たちの主は、マリア様のこの汚れなさを守ろうと望まれました。

そこでマリア様の御体は、腐敗を知るべきではありませんでした。マリア様のそのご謙遜をどのようにイエズス様が高めたか、という事を私たちは見る事ができます。それは、その御体が腐敗から免れるように、と配慮されたそれによります。

ここによって私たちが、謙遜というものがどれほど大切で、貞潔純潔という事がどれほど大切か、という事が分かります。マリア様に天主様がどれほどの御恵みをささげたかというのを見ると、この御体の腐敗を防がれた、という事を見ると、その価値が分かります。



『栄えの玄義 第5玄義:
この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いたるを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』
(小野田神父)

マリア様はあまりにも非常にご謙遜な方であったので、イエズス様のすぐ右に座す、天のいと高き所に、最も高い所に上げられました。被造物の中で天使たちよりも、何億何千何万の天使たちよりも、全人類の全てよりも更にはるかに高い栄光の座に、イエズス・キリストのすぐ右に座しておられます。天と地の元后となられました。それはマリア様のご謙遜があまりにも深い、きわめて深いものだったからです。

マリア様は女王として君臨していますが、それは憐れみの女王して、憐れみの母として、私たちの為に憐れみを天主の憐れみを取り次ぐ者として、全能の憐れみとして元后に立てられました、母として立てられました。

マリア様の喜びは私たちに御恵みを与える事です。私たちに永遠の命を与える事です。その為にあまりにも多くを苦しんだ方です。マリア様はとてつもないお恵みをプレゼントを与えたい、与えたい、と思うのですけれども、私たちはそれをもらおうとしません。ものすごい奇跡のような贈り物さえも、多くの人々は冷たく、無関心で、悪口を言っては馬鹿にして、それを受け取ろうともしません。こんなに苦労して勝ち取った贖いの報いを、人々は足蹴にし、捨て去り、感謝もせず、ドアを閉ざし、マリア様の心はとても悲しく涙するばかりです。

世の人々に罪の赦しを与えようと思ってこれほど苦しんだのに、人々は罪を犯し続けています。世の人々に御恵みを与えようとしているのに、その御恵みは冷たく拒否されるのです。

マリア様は言います、「迫り来る困難から救う事ができるのは私だけです。」

マリア様に対する深い信頼と、愛と、その恵みを豊かに受くる事ができる謙遜を、マリア様に倣う謙遜の恵みを乞い求めましょう。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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