Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

巡礼者の方から頂いたファチマ、ローマ巡礼のレポートをご紹介します 【ローマ編】

2017年08月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマとローマとへの国際巡礼に参加された巡礼者の方から、ご報告の続きをいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 次回の日本での聖伝のミサは、次の通りです。

【大阪】9月1日(初金) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    9月2日(初土) 証聖者聖ステファノ王(3級祝日)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

【東京】9月3日(主) 証聖者教皇聖ピオ10世(聖ピオ十世会では1級祝日)白 
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    9月4日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ローマ巡礼での感想をお送りいたします。

特に聖ペトロ大聖堂は圧巻でした。想像をはるかに超えた荘厳さと美しさ、そして多くの聖遺物があり、とても半日で見て回る事は出来ませんでした。
朝7時半ごろにヴァチカン市国へ入場した時は、観光客の姿もほとんどなく、広場へ出ると静寂の中に朝陽が半分くらい照らし出す美しい聖ペトロ大聖堂が目に飛び込んできました。
大聖堂へ入ってすぐに、聖ピオ十世教皇様のご遺体が眠る祭壇へと案内され、小野田神父様のミサが始まりました。


聖人の聖遺骸の前にひざまずき、静かに進むミサ聖祭に感無量になりました。神父様の退場時に「サンテ・ピエ・デチメ」を歌いました。
今回の巡礼で歌った聖歌の中でも最も印象深く、感動的な聖歌のひとつになりました。
ヴァチカンはまだまだ見足らないので、いつかまた必ず来たいと思いました。







雪の聖母大聖堂にはイエズス様の黄金のいれものに入ったまぐさ桶が安置されていて、そこにイエズス様が横たわておられるのを想像しました。
天主の御母である聖母の栄光を表わすために建てられた教会にまぐさ桶がおかれていることになるほど合点がいきました。
ルカが描いた有名な「サルス・ポプリ・ロマーニ」を柵の間からみましたが、ちまたで見ていた写真やご絵より、ずっと美しいものでした。

コロッセオ横を通ってスカラ・サンタとラテラノ教会に到着したときには、ばててしまって全く頭が真っ白でお祈りも出来なかったことが残念で仕方がありません。
もし機会があれば、スカラ・サンタでのひざまずきの礼拝をぜひやりたいです。

巡礼に親子三人で参加された方がいらっしゃいましたが、2歳の赤ちゃんが巡礼中の疲れを吹き飛ばしてくれました。
赤ちゃんは、カトリックかるたをはっきりと暗唱したり、アベマリア♪をなんどもなんども熱唱したり、ひざまずいて手を合わせたりしていて、お兄さんはお兄さんでまれに見る優しい性格の方で、ご家庭でのカトリック教育の在り方がきちんとお子さんに現れていてるなあと感心してしまいました。
赤ちゃんをいつも抱っこしていたお母さんはさぞお疲れになったと容易に想像できますが、そのような様子を全く見せられず、赤ちゃんを抱いたままひざまずいて一心に祈られる姿に日本のカトリックの家庭の将来に明るさを感じました。

カタコンベでもミサでは迫害下のキリスト教徒たちのようにミサに与りました。当時は電気もなかったのでもっと暗く、緊張感があったのだろうと思いますが、長い月日の後に同じミサがそこで捧げられていることはカトリック教会が聖・公・一 であることの証明だと思います。
ミサの後にガイドさんが迷路のようなカタコンベの中をサッサと戻っていかれたので、出遅れた数名が途中で迷ってしまうのではないかとひやひやする場面がありましたが、それも良い思い出になりました。

ローマが、信仰の中心である事をほんとうに実感できた巡礼でした。
使徒たちが命を懸けて護り、表明した信仰と同じ信仰を、私たちも守り、伝えていきたいと思います。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

巡礼者の方から頂いたファチマ、ローマ巡礼のレポートをご紹介します 【ファチマ編】

2017年08月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマとローマとへの国際巡礼に参加された巡礼者の方からご報告をいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ファチマ、ローマ巡礼のレポートを簡単にお送りいたします。
とりあえず、ファチマからお送りします。

8月17日に大阪の聖母の汚れなき御心聖堂から、マリア様の汚れなき御心に見送って頂き、昨日27日に再び聖母の汚れなき御心聖堂でマリア様にお迎え頂いた、マリア様によって導かれた巡礼でした。夢のような10日間が過ぎ、今日から普段の生活に戻りましたが天国への巡礼がまだ続いていることを忘れずに天主様のお与え下さる十字架をすべて喜んで受け、ファチマの精神に生きることでこの素晴らしい巡礼で頂いた大きな御恵みに感謝を表したいと思います。

簡単に巡礼のスケジュールを振り返ってみたいと思います。

8月17日 
聖母の汚れなき御心聖堂での御ミサ の後、バスで関空へ
アムステルダム経由でリスボンへ
リスボン空港からバスでファチマのホテルへ
 ※順調なフライトではオランダ航空の乗務員の方々が大変親切で、親日的である事を初めて知りました。
 
8月18日
午前中、シュテーリン神父様の引率のもとにアジア管区の巡礼団は聖歌を交えたロザリオ行列をしながら聖地へ向かいました。
カベソの丘、ヴァリニョスの丘、ではシュテーリン神父様のお話を黙想しながら三人の牧童になった気分で小高い丘を歩きルチアやフランシスコとヤシンタの生家も訪れました。昼食を取った後、コヴァ・ダ・イリヤと、ファチマのバジリカを訪問して牧童三人のお墓でお祈りしました。
※日差しが強く、日中の暑さに初日からばててしまいました。このポルトガルの暑い夏に、三人の牧童たちは水を飲むことを犠牲として過ごしていた事を思い出し、彼らの偉業をあたらめて実感しました。フランシスコ、ヤシンタ、ルチアのお墓の前で深く祈る事ができたのは大きなお恵みでした。
ファチマの丘では他の巡礼者や聖ピオ十世会の他の管区の方々ともすれ違いましたが、アジア管区が一番どっぷりとファチマを黙想できたのではないかと思います。
シュテーリン神父様のお話をもとに時間を越えてファチマのご出現を深く回想できました。

8月19日 (土) ファチマの聖母の4度目のご出現の記念日
聖ピオ十世会の公式の荘厳ミサが前総長様のシュミットバーガー神父様司式で執り行われました。


日本の信徒たちは小野田神父様のご配慮と顔ききで、特別に祭壇近くのフランス管区の聖歌隊席の前に場所を頂き、多くが着物、袴姿で日本の信徒を代表して御ミサに参列しました。ミサの後、三名の司教様方に続いてヴァリニョスまで行列し、夕方から御聖体の徹夜礼拝がありました。残念ながら私はばててしまったので参加することが出来ませんでした。(T_T)

※荘厳ミサでは暑い日差しの中、日本の代表として正装である着物を着て、暑さと苦しさを犠牲として捧げる意向で公式ミサに参列しました。
フランスの聖歌隊は素晴らしく美しく、ミサをより荘厳に神聖に感じさせていました。さすがだなあと聞きほれてしまうほどでした。
日本の国旗が祭壇のテントの脇でよくなびいて、世界一シンプルで美しいといわれる意味がちょっと解りました。ミサの間中旗を持って立っておられた方は大変お疲れになったと思います。ご苦労様でした。
司祭入場の後、司祭席の最前列に居られた小野田神父様はいつもの笑顔とはうってかわって真剣な面持ちでミサに参列されていました。・・・






8月20日(主日)
主日のミサが、聖ピオ十世会総長様のフェレー司教様司式で荘厳に執り行われ、ミサの後には司教様かたがロシアの聖母の汚れなき御心へ奉献の更新をされました。
午後にはロザリオ行列があり、ヴァリニョスの丘で聖母の騎士会の奉献の更新もありました。
この日のフェレー司教様のお説教がとても素晴らしかったです。
聖母の汚れなき御心への信心が救霊の確かな道であり、希望である事を強調されました。
一番心に残ったのは十字架上のイエズス様の御目と、十字架の元のマリア様の御目がじっとご覧になっている霊魂のために、私たちは与えられた全ての苦しみを捧げなければならないという言葉でした。以前は道を外れていた自分自信を、イエズス様とマリア様が救霊を願ってじっと見つめていて下さっていた事を思い、感謝でいっぱいになりました。
また、30年前にルフェーブル大司教様がファチマでロシアの奉献をされていた事はしりませんでした。
同じ場所で今年三人の司教様方がロシアをマリア様の汚れなき御心に奉献して下さったので教皇様と全世界の司教様方がその義務を果たすお恵みを天主様がお与え下さるかもしれないと希望を持ちました。また、ロザリオ十字軍は終わったけれども、マリア様の勝利の凱旋まで熱心にロザリオを祈り続ければならないと思いました。
※フェレー司教様のお説教では、うまく言えないのですが、お声から「静かな強さ」という印象をうけました。ひと言ひと言がはっきりと静かに心に訴えかけているというか、聖霊のお恵みがお声を通して心に入ってくるというか、そういう感じでした。

8月21日
バスでサンターレンの奇跡のご聖体と、リスボンの聖アントニオの教会などを訪問しました。
サンターレンの教会では御聖体が安置されている香部屋まで長い列が出来ていたのですが、順番待ちをしていた聖ピオ十世会のドイツ管区の巡礼者の方々がひざまずいてお祈りや聖歌を歌って順番を待っておられたのが印象的でした。
※リスボンの聖堂に入るところ家族が気が付かないうちにカバンから財布を盗まれ、まわりにいた人たちも鞄のチャックを皆あけられていてとてもショックを受けました。すぐに聖アントリオ様の聖遺物の前で、財布を盗んだ人の改心を祈り、できれば財布が見つかるようにとお祈りしました。
日本に帰ってからリスボンの警察からメールがあり、財布が見つかったようです。さすがに現金は入ってなかったようですが、聖アントニオ様のお取次ぎの強さに驚いています。財布をすられた後、神父様はじめたくさんの巡礼者の同伴の方々からとても優しいお申し出やお心使い、ご親切を頂き、本当に感謝しました。
この場を借りてもう一度皆さまにお礼申し上げます。本当にありがとうございました。天主様が皆さまの愛徳に天国で大きく報いてくださいますように!

8月22日 聖母の汚れなき御心の祝日
ニュージーランドのクランシャウ神父様が御ミサを司式してくださいました。クランシャウ神父様のお説教でも、今が最後の時である事を確認し、聖母の汚れなき御心への信心が私たちに与えられた最後の希望であり、確かな希望である事を強調されました。
ミサの後、小野田神父様がコヴァ・ダ・イリヤで、日本と、日本の信徒、家族、ファチマの聖母の会を聖母の汚れなき御心へ奉献の更新をされしました。また、聖ピオ十世会の第三会員にも三名が入会しました。その後リスボン空港へ向かい、ローマへと向かいました。

※マリア様の汚れなき御心の祝日をファチマで迎えることが出来た事は今回の巡礼の中でも特に大きなこの上ない喜びのひとつでした。
前夜からフランス人のシスターと、ニュージーランド、中国、日本の聖歌隊が深夜までミサの聖歌の練習をし、当日に臨みました。
聖歌の練習の折にシスターがラテン語の意味とそこからイメージをどのように膨らませて歌うかを詳しく指導してくださったので、今までになく心を込めて聖歌を歌うことが出来たと思います。当日は小野田神父様も聖歌隊に加わられたので早朝ミサであるにもかかわらず、非常に力強い聖歌隊となりました。

ファチマの聖母ご出現100周年の記念の年、しかも第四回目の聖母のご出現記念日にファチマを巡礼する事ができた大きなお恵みを思うと、これから自分がどれだけ一生懸命すべてを天主様のために、イエズス様とマリア様をお慰めするために使わなければならないかと思います。
せっかくファチマにいるのに、暑さでばててしまったのであまりよくお祈り出来なかった自分が情けないです。
神父様方のスータンから汗で塩が噴出しているのを見て、自分の忍耐のなさを反省しました。


至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

聖ピオ十世会ファチマ・ローマ国際巡礼のご報告(その2) ローマ編

2017年08月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月22日、聖母の汚れなき御心の祝日に、私たちはファチマで聖母の汚れなき御心の祝日の歌ミサを執行しました。司式はニュージーランドのクランショウ神父様で、大阪とワンガヌイとダバオと中国とから構成される聖歌隊で素晴らしい歌ミサができました。

 ファチマを後にする前に、有志の方々と一緒に、ファチマの大聖堂の聖ジャシンタのお墓のもとでお祈りをしました。さらにファチマの聖母の御出現の場所に跪き、聖ピオ十世会(日本)を聖母の汚れなき御心に奉献する祈りを更新しました。また、聖母の汚れなき御心に日本を奉献する祈りを更新しました。

 その後、私たちはローマに行くためにリスボンの飛行場へと行かなければならず、ファチマの聖所を後にしました。私は、最後に日本の東京と大阪の全ての信徒の方々の名前の書かれた紙をその中に入れた金箔の聖母の汚れなき御心を、ファチマの聖母像のところに置いて(ファチマの公式の香部屋係の方にお願いしました)奉献しました。後に、それをまた返してもらって、今では、それは聖ピオ十世会大阪の聖堂にあるファチマの聖母像の首にかけられています。

 その夜に私たちアジア管区の一行(120余名)は既にローマに到着し、聖マリア大聖堂とテルミニ駅との近くにあるホテル・メディテラネオの宿泊しました。

 8月23日には、120余名は、40人ほどの三つのグループに分けられ、それぞれのグループに現地の観光ガイドさんと司祭が一人ずつついて、ローマ巡礼を行いました。

 日本からの私たちは、韓国や中国からの巡礼者たちと一緒になり、第1のグループを構成しました。私たちはグループごと順番に、聖ピオ十世会イタリア管区がローマ市内にもつ「シエナの聖カタリナ聖堂」でミサを捧げました。聖マリア大聖堂の近くで、プデンチアナ教会の通りに面し、地下鉄の駅のすぐ近くの交通の便の良いところにありました。小さな教会ですが、私は初めてそこでミサを捧げることができました。

 ローマ最初の日は、私たちのグループは、聖マリア大聖堂(雪の聖母の教会)に参り、ベトレヘムから持ってこられたイエズス様が生まれた時にそこに置かれたまぐさおけ、後陣にある有名な聖母の戴冠のモザイクなどのもとで祈りました。この大バジリカは、エフェゾ公会議の直後に、天主の御母である聖母の栄光をいや増すために大きく飾られました。

 聖マリア大聖堂の後は、聖プデンチアナ教会や聖プラクセーデ教会を訪問して祈りました。午後は、スカラ・サンタ(聖なる階段教会)、ラテラノ大聖堂、エルサレムの聖十字架教会を訪問しました。

 天正遣欧使節も、このような教会があちこちにあるローマを見て、大変驚いたことでしょうね。

 8月24日、ローマでの第2日目は、バチカンの聖ペトロ大聖堂に早朝から全員でお参りしました。三人の司祭らは、聖ペトロ大聖堂の脇祭壇でミサを立てる予約がしてあったからです。司祭たちのうちで一番年長であった、皆様のしもべが、年功序列で聖ピオ十世のご遺体が安置されている「聖ピオ十世の脇祭壇」でミサを捧げました。聖ペトロ大聖堂でミサを捧げたのはこれで二回目でしたが、初めて聖ピオ十世の祭壇で聖伝のミサを立てる特権を頂き、天主に感謝します。ミサ聖祭の後は、9時半まで「聖ペトロの信仰告白」のところ、すなわち教皇祭壇のすぐ前に跪き、私たちのグループ皆でロザリオ一環を捧げました。ロザリオの後は、現地ガイドさんの説明に従って聖ペトロ大聖堂を見て回りました。ガイドさんはフランス語とイタリア語を話される方で、私がグループの巡礼者の方々のために英語と日本語と韓国語に翻訳しました。

 特に何度聞いても印象的だったことを列記します。

(1)20世紀になってピオ十二世のもとで始められた考古学的発掘の結果は、聖伝の正しさを証明した。聖伝によって伝えられていた聖ペトロの墓の場所は、まさに、ミケランジェロの作ったクーポール(丸天井のドーム)の天辺から垂直線を下ろした地点にあった。

(2)聖ペトロ大聖堂の壁には、聖ベネディクトから始まって聖フランシスコ、聖ドミニコなど修道会の創立者たちが飾られて、カトリック教会を修道会が支えているということを示している。(聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂には、十二使徒たちの巨大な像が柱にあり、カトリック教会の支柱は十二使徒たちであるということを意味している。)

(3)聖ペトロの司教座の入っている、倚子の形をしたブロンズの聖遺物入れは、二人のラテン教会博士と、二人のギリシア教会博士によって支えられている。聖アンブロジオと聖アウグスティノ(二人ともミトラ(司教帽)をかぶっている)、そして聖クリゾストモと聖アタナジオ(二人とも頭には何もかぶっていない)

(4)教皇祭壇を覆うバルダキノの柱には聖遺物が入っている。その周りの4つの巨大な柱には、4名の聖人たち(聖ヘレナ、聖ヴェロニカ、聖ロンジーノ、聖アンドレア)の巨大な像がある。その上にはそれぞれの聖人の聖遺物がある。(ただし聖アンドレアの聖遺物はパウロ六世がギリシア正教会に譲ってしまって無い)その上のモザイクには次の二つの文章が書かれている。Hinc una fides mundo refulgit. Hinc sacerdotii unitas exorditur. つまり「ここから唯一の信仰が世界を照らし出す。ここから司祭職の一致が由来する。」

 また、有名なマテオの一節がある。 Tu es Petrus et super hanc petram aedificabo ecclesiam mean et tibi dabo claves regni caelorum 「おまえはペトロである。そしてこのペトロの上に私は私の教会を建てよう。そしておまえに天の国の鍵を与えよう。」

(5)O Pastor Ecclesiae, tu omnes Christi pascis agnos et oves (おお、教会の牧者よ、おまえはキリストの全ての羊らと子羊らを牧す)は、ラテン語とギリシア語とで書かれており、普遍的な統治権を意味する。

 午後は、トランステベレ地域にある教会を訪問しました。聖マリア・イン・トランステベレ教会(聖母のモザイクが後陣にあり、正面には有名な幼きイエズスを養う聖母と十の童貞女が描かれているのですが、正面は修理中で見えませんでした)と聖チェチリア・イン・トランステベレ教会(聖チェチリアの生家に建てられた教会で、マデルノの彫った有名な聖女の像がある)です。


 8月25日金曜日、ローマでの第3日目は私たちのローマ滞在最後の日でした。午前中に、ラティスボンがカトリックに奇跡的に回心した教会であり聖マキシミリアノ・コルベ神父様が初ミサを立てられた「聖アンドレア・デッレ・フラッティ」に行きました。ラティスボンに現れた聖母の御像がある脇祭壇でロザリオを一環捧げ、無原罪の聖母の騎士の奉献の祈りを唱え、最後に100周年の聖歌を皆で歌いました。

 その後コロセウムに移動して見学し昼食を取りました。午後はローマの南にある聖セバスチアノのカタコンベの教会とローマの北にあるプリシッラのカタコンベを訪問しました。プリシッラのカタコンベは、アルスの聖司祭がその取り次ぎで奇跡を起こして有名な聖フィロメナのお墓があり、とても身近に感じました。プリシッラのカタコンベでは司祭は初代のキリスト者たちのようにミサを捧げることができました。


 8月26日はホテルの近くの聖ピオ十世会の教会で早朝6時にミサを捧げました。聖母の汚れなき御心の随意ミサをしました。すぐにホテルを発ち、ローマから帰国しました。帰国の直後は、出発点であった大阪の聖母の汚れなき御心聖堂で主日のミサを捧げ、これをもって私たちの巡礼の終わりとしました。しかし、天国への巡礼は続いています。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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