Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ドイツで購入した新しい燭台です。聖ピオ十世会の大阪の聖母の汚れなき御心聖堂に設置しました。

2018年08月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんばんは!

 聖ピオ十世会の大阪での聖堂のために新しい燭台をドイツで購入してきました。写真をご紹介いたします。





次の大阪でのミサは、8月11日(土)山の日 から 8月18日(土)までです。




天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖霊降臨後第十一の主日(二級祝日 典礼色:緑)の固有分をご紹介します

2018年08月08日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨後第十一の主日(二級祝日 典礼色:緑)の固有分をご紹介いたします。
ミサ聖祭
<入祭文>は、天主の唯一なる教会の偉大さを歌う。天主が唯一にて在すように、天主の民も一つであり、教会も一つである。神秘的なこの事実の原因は、キリストの神秘、すなわち、聖パウロが明らかに語っているその奥義である<書簡>。

Dominica Undecima post Pentecosten 聖霊降臨後第十一の主日
II Classis 二級祝日
Ant. ad Introitum. Ps. 67, 6-7 et 36. 入祭文 詩篇 67ノ6-7,36
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖所に君臨し給う。かれは(捕らわれ人を)平和の家庭に集め、御民に力と勇気とを与え給う。
Ps. ibid., 2. 詩篇67ノ2
Exsúrgat Deus, et dissipéntur inimíci eius : et fúgiant, qui odérunt eum, a fácie eius. 天主は、起ち給い、その敵は散り、天主を憎む者は御顔の前より逃れ去らんことを。
V/.Glória Patri. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖所に君臨し給う。かれは(捕らわれ人を)平和の家庭に集め、御民に力と勇気とを与え給う。
Oratio. 集祷文
Omnípotens sempitérne Deus, qui, abundántia pietátis tuæ, et merita súpplicum excédis et vota : effúnde super nos misericórdiam tuam ; ut dimíttas quæ consciéntia metuit, et adícias quod orátio non præsúmit. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、御身は、御身に祈り奉る人々の、功徳と望みとにいやまさる無限の慈悲を下し給う。願わくは、われらの良心を恐れさせる罪を赦し給い、われらが敢えてこい願い奉る聖寵を下し、御あわれみをわれらの上に注ぎ給わんことを。天主として・・・。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。
1. Cor. 15, 1-10. コリント前書 15ノ1-10
Fratres : Notum vobis fácio Evangélium, quod prædicávi vobis, quod et accepístis, in quo et statis, per quod et salvámini : qua ratione prædicáverim vobis, si tenétis, nisi frustra credidístis. Trádidi enim vobis in primis, quod et accépi : quóniam Christus mortuus est pro peccátis nostris secúndum Scriptúras : et quia sepúltus est, et quia resurréxit tértia die secúndum Scriptúras : et quia visus est Cephæ, et post hoc úndecim. Deinde visus est plus quam quingéntis frátribus simul, ex quibus multi manent usque adhuc, quidam autem dormiérunt. Deinde visus est Iacóbo, deinde Apóstolis ómnibus : novíssime autem ómnium tamquam abortívo, visus est et mihi. Ego enim sum mínimus Apostolórum, qui non sum dignus vocári Apóstolus, quóniam persecútus sum Ecclésiam Dei. Grátia autem Dei sum id quod sum, et grátia eius in me vácua non fuit. 兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれに踏み止まった福音を、私は再びあなたたちに示そう。あなたたちが空しく信じないで、私が伝えたままを守るならば、それによって救われるであろう。私が第一にあなたたちに伝えたことは、私自身受けたことであって、すなわち、キリストが、聖書の録すとおりわれわれの罪のために死に、葬られ、聖書に記す通りに三日目によみがえり、ケファにあらわれ、また十二人にあらわれ給うたことである。次に、五百人以上の兄弟に同時にあらわれ給うた。その中には、死んだ者もあるが、ほとんどは今なお生きている。次にヤコボにあらわれ、それからすべての使徒に、最後には、月足らずのような私にもあらわれ給うた。私は天主の教会を迫害した者であって、使徒と呼ばれる値打ちのない、使徒のうちでもっとも小さい者である。しかし、天主の恩寵によって、私は今の私になった。そして私が受けた恩寵は空しくならなかった。
Graduale. Ps. 27, 7 et 1. 昇階誦 詩篇 27ノ7,1
In Deo sperávit cor meum, et adiútus sum : et reflóruit caro mea, et ex voluntáte mea confitébor illi. 私の心は天主に希望をかけ、こうして私は助けを得る。私の肉は若返った。故に主よ、私は心を尽くして御身をたたえ奉る。
V/. Ad te, Dómine, clamávi : Deus meus, ne síleas, ne discédas a me. V/. 主よ、わが天主よ、御身に叫び奉る。黙し給うな、遠ざかり給うな。
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 80, 2-3. Exsultáte Deo, adiutóri nostro, iubiláte Deo Iacob : súmite psalmum iucúndum cum cíthara. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ。詩篇 80ノ2-3  われらの力なる天主をたたえ奉れ。喜びの中に、ヤコブの天主をほめよ。竪琴をとって喜びの讃美を歌え、アレルヤ。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Marcum. マルコによる聖福音の続誦。
Marc. 7, 31-37. マルコ 7ノ31-37
In illo témpore : Exiens Iesus de fínibus Tyri, venit per Sidónem ad mare Galilǽæ, inter médios fines Decapóleos. Et addúcunt ei surdum et mutum, et deprecabántur eum, ut impónat illi manum. Et apprehéndens eum de turba seórsum, misit dígitos suos in aurículas eius : et éxspuens, tétigit linguam eius : et suspíciens in cælum, ingémuit, et ait illi : Ephphetha, quod est adaperíre. Et statim apértæ sunt aures eius, et solútum est vínculum linguæ eius, et loquebátur recte. Et præcépit illis, ne cui dícerent. Quanto autem eis præcipiébat, tanto magis plus prædicábant : et eo ámplius admirabántur, dicéntes : Bene ómnia fecit : et surdos fecit audíre et mutos loqui. それからイエズスは、ティロの地方を去って、シドンを通り、デカポリ地方の中央を経て、ガリレアの海辺においでになった。人々は、どもりで耳の聞こえない人を連れて来て、按手してくださいと願った。イエズスは、その人ひとりを群衆の中から連れ出し、その耳に指を入れ、またつばをしてその舌にさわり、天を仰いで吐息をつき、その人に「エッファダ!」とおっしゃると・・・それは開けよという意味である・・・その耳はひらけ、すぐ舌のもつれはとけ、正しく話せるようになった。そこでイエズスは、だれにもいうなと人々をいましめられたけれど、いましめられればいましめられるほど、なおさらますます言い広めた。人びとは大いに感嘆して、「あの方はすべてをよくなさった。聞こえない耳を聞こえさせ、啞の口をひらかれた」といった。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps. 29, 2-3. 奉献文 詩篇  29ノ2-3
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me, nec delectásti inimícos meos super me : Dómine, clamávi ad te, et sanásti me. 主よ、私は主をあがめ奉る。主は私を迎えとり、私を、敵の喜びに委ね給わなかった。主よ、私は主に向かって叫び、主は私を癒し給うた。
Secreta. 密誦
Réspice, Dómine, quǽsumus, nostram propítius servitútem : ut, quod offérimus, sit tibi munus accéptum, et sit nostræ fragilitátis subsidium. Per Dóminum. 主よ、願わくは、慈しみの御目を、下僕(しもべ)らの奉仕に下し給え。われらの供え物が嘉せられ、われらの弱さの支えとならんことを。天主として、・・・。
Præfatio 序誦
Præfatio de sanctissima Trinitate 三位一体の序誦
Ant. ad Communionem. Prov. 3, 9-10. 聖体拝領誦 箴言  3ノ9-10
Hónora Dóminum de tua substántia, et de prímitus frugum tuárum : et implebúntur hórrea tua saturitáte, et vino torculária redundábunt. 汝の持ち物によって、主をあがめよ。汝の収穫の初穂を捧げよ。そうすれば、汝の倉は満たされ、汝の酒ぶねは、ぶどう酒であふれるであろう。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈
Sentiámus, quǽsumus, Dómine, tui perceptióne sacraménti, subsídium mentis et córporis : ut, in utróque salváti, cæléstis remédii plenitúdine gloriémur. Per Dóminum nostrum. 主よ、秘蹟を拝領し奉るわれらに、霊肉の慰めを知らせ、われらの霊肉を共に救い、天のこの良薬の完き効果によって喜ばせ給え。天主として、・・・。

2018年5月20日(主) 聖霊降臨大祝日 「教会は聖霊降臨をどのように祝うことを望んでいるか?」

2018年08月08日 | お説教・霊的講話
2018年5月20日(主日)聖霊降臨の大祝日
小野田神父 説教


日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2018年5月20日、聖霊降臨の主日の大祝日を祝っています。

今日のこのミサの後には、14時頃からいつもの通り公教要理をしたいと思っています。
今回は、今度のイエズス様の聖心のミサの歌の練習をする事を提案します。16時からは聖霊降臨の晩歌があります。明日は朝の7時からミサがあります。

6月は次のミサは、3日と17日です。そして先ほど信徒会長から、とても心の温まる非常に嬉しいご提案があり、6月17日には皆さんでお祝いをして下さるという事を、大変非常に感謝しております。どうぞ多くの方々とご家族の方々や、お友達の方々をお招きされて、これを機会に、初めて聖伝のミサに与る機会となってくれればと願っております。感謝しています。

7月には聖ピオ十世会の総会がありますので、ぜひその総会の成功の為にもお祈り下さい。



“Veni Sancte Spiritus.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨の大祝日です。教会は霊的に私たちを、聖ペトロ大聖堂に、バチカンにある聖ペトロ大聖堂に呼び寄せて、そこでこの聖霊降臨の祝日を祝う事を望んでいます。

⑴ ではこの聖霊降臨の日に、歴史的に一体何があったのでしょうか?

⑵ 次に、では教会は私たちに、この日をどのように祝う事を、何を私たちがする事を望んでいるのでしょうか?

⑶ そして第3に、その為には私たちは何をするか、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

⑴ 愛する兄弟の皆さん、今日このカトリック教会で、聖霊降臨が最も、復活祭の次に、クリスマスよりも更に盛大に祝われる理由は、これは教会が誕生した、公に生まれて出た、誕生した日だからであります。この日に、イエズス様が約束された通り、聖霊が降臨されました。その事情については、今日の使徒行録に詳しく書かれています。

イエズス様が昇天されたその日、「天と地の全ての権威は、私に与えられている。全世界に行って、諸国に教えよ。私の弟子を作れ。聖父と聖子と聖霊の御名によって洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるなら救われ、そうでなければ滅ぼされる」と言われました。そして「エルサレムに残って、聖霊の来るのを待ち望め」と言われました。その時に弟子たちは非常に喜び勇んで帰ってきました。

マリア様を中心に、使徒たちは聖霊の降臨し給うのを祈って、祈って、祈って、あたかも黙想会を開いたかのように、おそらく聖ペトロの指導のもとに、そしてマリア様のお祈りを中心に、聖霊の降臨を求めていました。最後の晩餐の高間で、使徒たちは心を1つにして熱烈に祈っていました。

天地が創造されたその最初の日、イエズス様が御復活されたその週の最初の日、つまり今日、聖霊は、イエズス様が昇天されて10日の後に、五旬祭のこの日に、弟子たちの上に降臨されました。その時に強い風の音がして、家を満たしました。すると火の玉のようなものが落ちてきて、それがマリア様の上に舌の形をとって、それから弟子たちの上に使徒たちの上に来ました。

弟子たちは聖霊に満たされて、全く人が変わったようになりました。今まで無知であった、あるいは何も理解ができなかった、あるいは恐れていた、あるいは世間体を気にしていた、あるいは迫害を恐れていた、あるいは何があるか分からなかった不安だったものが、いきなりイエズス様への信仰に満ち溢れて、生き生きとしてそして燃え立って、イエズス・キリストへの愛の為にならば、この地上のものは全てを失っても構わないであるかのように、公に出て、「よく聞き給え!あなたたちが50日前に十字架に付けたイエズス・キリスト、ナザレトのイエズス、彼は、天主の力によって復活した!私たちはそれの生き証人である、目撃証人である。これはこの同じイエズス様が、私たちの主イエズス・キリストである、という事を証している!」と、「さぁ、回心して洗礼を受けなさい!」と勇敢に、大胆に宣教をしました。

それを聞いていた人たちは、「何だこの人たちは?ガリレア人ではないか。ナザレトから来た者ではないか。しかし私たちの祖国の言葉で聞いてる。彼らが話すと、私たちは自分の国の言葉で聞いているので理解できる。」

その光景に、奇跡的な光景に打たれた人々は、3000人、3000人その日に洗礼を受けました。カトリック教会が公に誕生し、公にユダヤ人たちの中に確立しました。

⑵ では今日この日に、私たちに教会は何を求めているのでしょうか?

聖ペトロ大聖堂に私たちを呼び寄せたという事はつまり、これは諸国の色んな国々からの巡礼者を集める、聖ペトロのお墓に集めていたこの教会に私たちを呼び寄せるという事で、それは信仰の土台である聖ペトロのもとに、諸国の言葉を話す色々な民が1つに集まって、そして同じイエズス・キリストの信仰を語る、天国の話をする、超自然の命に燃えて、天国への望みによって生きる、という事を表しています。

今日、昔からこれは聖書の言葉なのですけれども、教会がいつも唱えてきた祈りを、ミサの中でも唱えました、“Veni Sancte Spiritus.”「聖霊来たり給え。」

初代キリスト教信者は、イエズス様の再臨を求めていた為、“マラナ・タ”「主よ、来たり給え」と言いましたが、それと同時に、「聖霊来たり給え」とも祈っていました。この非常に古来からの由緒ある祈りは、私たちは教会の聖伝に従って、跪かせて祈らせました。

ですから私たちはこの歌を歌っている間、教会の伝統に従って、跪いて、「聖霊来たり給え。信者の心に満ち給え。主の愛熱の火を我らに燃えしめ給え」と祈ったのです。なぜかというと、教会は今日この日に、私たちが聖霊の愛の火を、天主の愛の賜物を全て受ける事を望んでいるからです。

この日に、全く生まれ変わったかのように、見違えたかのように、生き生きとしたイエズス・キリストへの信仰と、イエズス様への愛に満ちて生活を始めるように、「さぁ、聖霊に満たされよ。そしてこの聖霊に満たされて、愛の命を歩め」と望んでいます。まさにこれこそ、イエズス様が私たちに望んでいた贈り物でした。

天主聖父は、永遠の昔から、御自分の最高の善を完璧に、余す事なく理解しました。その理解は御自分の中に御言葉として宿され、そのそれは天主聖子でした。

天主の御言葉、天主の聖子。そしてこの聖父の完全な理解である、生き写しである天主の聖父の実体、生ける聖子は、聖父を完全に理解します。最高の善、無限の善である事を理解し、そしてこの聖父から生まれたという事を理解し、そしてその聖父の善を愛します。

聖父は聖子を、自分の生き写しである最高の善、無限の善である事を理解して、聖子を愛します。

この聖父と聖子の愛の交流が、これが実体である天主の愛、聖霊です。

天主聖父、聖子、聖霊は、三つで唯一の天主。唯一の天主は愛の構造を永遠の昔から取っています。

そしてこのイエズス様は私たちに、天主聖霊を、この天主の愛を、全て贈り物として聖父と聖子から与えようと、全て与えようと、完全に与えようと思っております、「もしも私を愛するなら、私の言葉を守るだろう。そうすれば私は聖霊と共に、お前たちの所に住処を定める」と。

私たちはこの聖霊を全て、宝物として受ける事ができる事となりました。このこれこそ、この世の他のいかなる宝にも勝る贈り物です。なぜかというと、天主御自身が与えられるからです。

しかし残念な事に私たちは、この宝物を受けるのを拒んできました。天主聖霊が私たちに、贈り物を持ってせっかくやって来たにもかかわらず、私たちはそれを、「嫌だ!それよりも自分のやりたい事をする。」自分のコンピューターゲームや、インターネットや、あるいは罪を、あるいは肉欲を、あるいは嘘を、あるいはその他を自分の都合を優先してきました。

その為に聖霊は、私たちの心にせっかくの贈り物を、天主への愛と最高のプレゼントを持って来たにもかかわらず、もらってもらう事ができずに、非常に悲しい思いをしてきました。

私たちは毎年聖霊降臨の祝日を祝ってきましたが、しかし聖霊降臨の祝日には、「聖霊来たり給え」と祈る代わりに、自分のやりたい事をやりたいと思い、聖霊を今まで受ける事ができませんでした、思うように受ける事ができないできました。イエズス様を思うように愛する事ができないできました。

⑶ ですから今日こそ、今日この2018年の聖霊降臨の大祝日こそ、「どうぞ、聖霊来て下さい。私の心を浄めて下さい。今まで私の祈りの足りなさをどうぞ補って下さい。」「マリア様、マリア様どうぞ私を助けて下さい。マリア様は聖霊を一度も拒んだ事がありませんでした。どうぞマリア様の御取次ぎによって、私たちの心に聖霊の賜物を充満を与えて下さい。どうぞ取次いで下さい。聖霊の花嫁であるマリア様、お祈り下さい」とお祈りする事に致しましょう。

ぜひ今日の御聖体拝領は、マリア様と共に、イエズス・キリストの御体を受ける時に聖霊をも全て受ける事ができるように、お祈り致しましょう。

“Veni Sancte Spiritus.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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