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【参考情報】ジェームズ・モーズリー神父(元聖ペトロ司祭兄弟会司祭):なぜ教皇フランシスコに公に反対するのか?

2022年02月11日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ジェームズ・モーズリー神父(元聖ペトロ司祭兄弟会司祭):なぜ教皇フランシスコに公に反対するのか?

【編集者注】ジェームズ・モーズリー神父は、元聖ペトロ司祭兄弟会の司祭です。海外での聖伝の動きについての参考情報としてご紹介いたします。

Why withstand Pope Francis publicly?
by Father James Mawdsley

昨年7月、自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditiones Custodes)付きの書簡で、教皇フランシスコは、聖伝の典礼を根絶する意向を宣言しました。教皇は、ありえないことに、ノブス・オルド【新しいミサ】がローマ典礼の「祈りの法」(Lex Orandi)の唯一の表現を構成すると主張しました。このことについて、公に教皇に反対することが重要です。

その理由の一つは、教皇の霊魂を救うためです。ヘロデ王はキリスト信者ではありませんでしたが、幼子イエズスを死刑にしようとしました。ところが今は、教皇が、キリストを死刑にしようとしています。カヤファはイエズスの処刑を手配したとき、旧約の大司祭でした。今、キリストの代理者は、キリストを記念するものを破壊させようとしています。

枢機卿たちは、公式には教皇の友人です。その内の何人かは、イエズスの教えられた通りに【マテオ18章】静かに教皇に抗議しただろうと私たちは期待します。「その人とだけ相対して、いさめにいくがよい。聞きいれてくれたなら、あなたは兄弟をえたことになる」と。しかし、フランシスコはこの冒涜を捨てないため、主の御言葉の続きはこうです。「ききいれてくれなかったら、一人か二人をつれていき、二人か三人の証人のことばをかりて、すべてのことを片づけよ。その人たちのいうこともきかないなら、教会にいえ」と。

なぜイエズスは、人は公に教会に行かなければならないと言われるのでしょうか。無数のカトリック信者が、この教皇からの殴打によって傷ついています。その殴打によって打ちのめされた司祭や信者がいます。また、位階階級による長きにわたる聖伝への攻撃 --- なぜなら、これはフランシスコに始まったことではないからです --- について、多くのカトリック信者は闇の中に取り残されています。多分、このことから得られる一つの善は、人々が実際に聖伝に目覚めていることでしょう。マテオ18章のこれらの文章の直前に、イエズスは、こう言われました。「私を信じているこれらの小さな者を一人でもつまずかせたら、その人はろばの挽き臼を首にかけて海の深みに沈められる方が良い。この小さな者の一人でさえ、あなどらないように気をつけよ」。一人ではなく、何万人もの人が、のけ者にされているのならば、一体どんな罰が待っているでしょうか。つまずきを起こさないようにとイエズスに警告されました。

公に告発するもう一つの理由は、聖伝に対するこの攻撃について知っている人々、そしてそれを気にかけている人々のためです。自分がおかしいと思わないでください。自分が正気でないとは思わないでください。起こっていることは言い表わせないほど邪悪です。ゆっくり落ち着いて考えてみてください。地上の最高の権威者が、まさに地上で最も偉大な善を攻撃しているのです。しかも、聖伝を守り、維持し、次の世代に伝えることが自らの仕事であるのに。ロシュ大司教がインタビューの中で話したほとんど全ての言葉は、真実でないか、誤解を招くものでした。大司教は、「『トラディティオーニス・クストーデス』に対する否定的な反応は、ほとんどなかった」と言っておられるのです。

しかし、大司教様、恐怖政治の時代が来たとき、何を期待すべきでしょうか。もちろん、人々は【罰せられないように批判せずに】頭を低くします。多くの聖職者は、悪質な報復を恐れて、自分の考えていることを公表しないのです。聖職者は、古い典礼での堅振や洗礼を禁止されることを恐れているのです。私たちは、もう古いミサを捧げることはできない、と言われています。殺戮が始まったのですから。真理は、霊的な健康のために必要です。真理がなければ、私たちは飢えてしまいます。心して知るに足らず。私たちは、司教や枢機卿ら権威にある人々から、誰にも聖伝を攻撃する権利はない、と聞く必要があります。私たちだけでなく、ここで何が起こっているのか知らないカトリック信者もそうです。なぜなら、彼らは気にしておらず、もうミサに来ていないのですから。

とにかく、70年間、彼らは強盗に襲われたかのように盗まれてきました。もしも私たちが教皇は古いミサを攻撃していると単純に考えるのならば、理解できないかもしれません。事実は、教皇が、誰にとっても重要であるはずの天主の啓示を攻撃しているのです。聖伝を拒否することは、キリストを拒否することです。私たちは、聖書を変更することが悪いことだと知っています。聖ヨハネは、この書の言葉を省く者があれば、天主は命の書からその人の報いを取り除かれる【黙示録22章19節】と警告し、聖パウロは、私たち自身であるにせよ天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとは異なる福音を告げる者にはのろいあれ【ガラツィア1章8節】と警告しています。キリストの真理は、聖書と聖伝の両方を通してもたらされます。聖書に手を加えたり、損なったりすることが悪であるように、聖伝を妨害することもまた悪です。受けた典礼様式は断罪されることがありえません。その典礼様式は、これを保護し、守り、捧げ、次の世代に引き継ぐために受けたのです。

預言者イザヤは、私たちにこう語りました。「ああ、私の民よ、おまえを導く者はおまえの道を迷わせる。主は、さばきの場に人を、長老と民のかしらをひかれる。なぜ、私の民をいじめ、貧しい者の顔を打ちたたくのか。主、万軍の天主のみことば」【イザヤ3章12-15節】。

預言者は、ぶどう園を食い荒らし天主の民を踏みつぶしている指導者たちやかしらたちに立ち向かっているのです。預言者の言葉は、今日の位階階級に向けられています。イエズスもまた、次のように明瞭に語っておられます。「のろわれよ、偽善者の律法学士、ファリザイ人よ。あなたたちは人の前に天の国を閉ざし、自分も入らず、入ろうとする人が入るのも許さぬ」【マテオ23章13節】と。

教皇様は、個人的には古いミサが嫌いなのかもしれません。しかしキリスト信者たちはこのミサを愛していることがお分かりでしょう。キリスト信者は、このミサでキリストと出会うのを愛するのです。キリスト信者は何よりも深くミサで祈ります。なぜ教皇様はこれを奪われるのでしょうか。聖パウロは、さまざまな賜物について述べています。自分の下にいる人々に気を配りながら統治する者を意味する慈愛に満ちた統治者のことを。しかし、私たちは、聖伝を守る人々を打ちのめそうとする霊的な父の虐待を目の当たりにしているのです。

公に告発する三つ目の理由、私たちの世代の苦しみよりもさらに重要な理由は、未来のためです。フランシスコに続く別の破壊者を出さないようにするためです。次の教皇はパロリン枢機卿かタグレ枢機卿かもしれませんが、この二人のどちらかで事態は変わってくるのでしょうか? 変わらないでしょう。なぜなら、これは、聖伝に対する攻撃は、フランシスコに始まったことではなく、70年前から続いているからです。そして、この破壊を続ける人々が、バチカン(Curia)の中に、世界中の司教館にたくさんいるからです。もしも聖伝破壊に導く別の適任者を見つけるなら、たとえばスーピッチ枢機卿のような人々ですが、その男は真理を求めません。スーピッチ枢機卿はなんとクリスマスの日に、戦争と虐殺が一年中続くことを望んでいるのです。彼は、クリスマスの日を選んで斧を落としたのです。いったい誰がそんなことをしますか? 病気ではないでしょうか? 

すべてのブログは、この大いなる祝日には自制します。キリストに焦点を当てるか、沈黙を守るのです。でもスーピッチ枢機卿は違います。クリスマスにキリストの平和ではなく虐殺を望むのです。彼はもう一人のヘロデのようなものです。ロッシュ大司教は、世界の司教の大多数は、教皇の言われることを非常に支持していると述べました。世界の大多数の司教の反応からすると、それは信じられないことです。しかし、これはまさにその司教の声なのです。私たちは、真実が何であるかを公に聞く必要があります。そうでなければ、ロシュ大司教のプロパガンダがまかり通ってしまいます。ですから、牧者たちが、司教たちにおいて真理を -- キリストを守り、群れを守り、信者を守り、聖伝を守るために -- 見いだすことができないと思うと、とても憂鬱になるのです。

私たちは、なぜ公に告発するのでしょうか? ルカが書いているように、司祭長、律法学士、長老は、洗者ヨハネについての【ヨハネの権威は天からか人からかという】イエズスの質問に答えるのを恐れていましたが、嘘をつく勇気はありませんでした。彼らはこう言いました。「もし、人からだと言えば、民衆が私たちを石打ちにするだろう。民衆はヨハネが預言者だと信じているから」。民衆は、宗教指導者がこのようなことをする【真理を否定する】のを許しません。私たちもそうすべきではありません。何故なら、そんなことをすればどうなるかを知っていますから。最終的には、民衆は堕落した指導者たちに従うように操られ、キリストの死に至ったのです。キリストは復活されましたが、私たちはもう一度キリストを十字架につけたくはありません。

教会は、本来の教会でなければなりません。教会は聖伝に立ち戻る必要があります。私たちが御身に立ち戻ることができるように、ああ、主よ、御身を立ち戻らせてください。昔のように私たちの日々を新たにしてください。このことから生まれるかもしれない一つの良いことは、地上には、首相も大統領も司教も枢機卿も教皇も、教会をすべて閉鎖したり、聖伝のミサを禁止しようとしたりする権威を持つ者は誰もいないということを私たち全員が学んだことです。

なぜなら、反キリストは、そうしたいと思うでしょう。私たちが非常に愚かなため、さあ、この指導者がそう言ったのだから、私たちはそれをしなければならない、と言うなら一体何が起こるでしょうか。いいえ、私たちは今、この愚かさに対して免疫をつける必要があります。私たちには信仰の源泉である聖書と聖伝があります。教皇の仕事はそれを守ることであり、自分が啓示の源泉となることでもなく、自分が教会の新しい進むべき道を置くことでもありません。教会の進むべき道はイエズス・キリストによって示され、ペトロとパウロ、そして使徒たちがその進むべき道を示して以来、約二千年にわたって維持されてきたのです。今は、誰かが教会の新しい進むべき道を決めようとしている時ではありません。反キリストはその時代にそれを試みるでしょうが、私たちはそれが不可能であることを今、学ぶ必要があり、キリストに忠実でありたいと願う人々は、そうすることができるのです。皆さん全員に天主の祝福がありますように。

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Why withstand Pope Francis publicly?
by Father James Mawdsley

Last July in its letter accompanying Traditiones Custodes Pope Francis declared his intention to eradicate the Traditional liturgy. He impossibly claimed the Novus Ordo constitutes the unique expression of the Lex Orandi of the Roman Rite. It is important to withstand the Pope on this publicly.

One reason is to save his soul. King Herod was not a Christian when he wanted the infant Jesus put to death. And now shall the Pope put Christ to death. Caiaphas was high priest of the old covenant when he arranged for Jesus's execution. Now shall the Vicar of Christ try to have Christ's memorial destroyed.

The cardinals are officially friends of the Pope. We can hope some of them have demonstrated quietly with him as Jesus instructed. And "if he listens to you you will have regained your brother". But as Francis has not backed away from this sacrilege, the passage continues "if he will not listen to you, invite one or two more. And if he will not listen to them tell the Church".

Why does Jesus say one must go public to the Church ? Countless Catholics are wounded by this beating from the Pope, priests and faithful who are devastated by it. And also those many Catholics who have been kept in the dark about the hierarchy's long attack on Tradition because this didn't begin with Francis. Maybe one good, that can come from this, is people as they are in fact waking up to Tradition. Just before those verses from Matthew 18 Jesus said whoever will have led astray one of these little ones who trusts in me it would be better for him to have a great millstone hung around his neck and to be submerged in the depths of the sea. Do not despise even one of these little ones. What is it then not just one but when tens of thousands are being pushed out by the shepherds. Jesus warned against causing scandal.

So another reason to go public is for all those who know about this attack on Tradition and who care about it. Don't think that you are crazy. Don't be gaslighted. What is happening is evil beyond description. Sit back and consider it. The highest power on earth is attacking the greatest good on earth, precisely when it's his job to defend and preserve Tradition and to pass it on to the next generation. Archbishop Roche in his interview, where almost every sentence he spoke was untrue or misleading, says "the negative reaction to Traditionis Custodes has been very little."

Well Archbishop what to expect when a reign of terror is unleashed. Of course people are keeping their heads down. Many clerics do not say openly what they think because they're afraid of vicious reprisals. They're afraid of confirmations being banned or baptisms being banned in the old rightrite. We're told they can no longer celebrate the old Mass as it's happening the carnage has begun. Truth is needed for spiritual health. Without truth we starve. It's not enough to know it in our hearts. We need to hear it said by men in authority from bishops and cardinals that nobody has the right to attack Tradition, but also for those Catholics who don't know what's happening here, because they don't care, because they don't come to Mass anymore.

Anyway, for 70 years they've been robbed. We might not understand if we simply think the Pope is attacking the old Mass. The fact is the Pope is attacking God's revelation that should matter to everybody. To reject Tradition is to reject Christ. We know that it would be evil to change the Scriptures Saint John warns if any man shall take away from the words of the book God shall take away his part out of the book of life and Saint Paul warns against that we are an angel from heaven preach a gospel to you beside that which we have preached to you let him be anathema. The truth of Christ comes through both Scripture and Tradition. and just as it's evil to detour or corrupt the Scriptures so it is to obstruct Tradition. The received rites may not be condemned. They are received in order to be guarded, defended, celebrated and passed on to the next generation all through to the end of time.

The prophet Isaiah spoke to us. "All my people, your leaders mislead you. The Lord enters into judgment with the elders and princes of his people what you mean by crushing my people by grinding the face of the poor, says the lord God of hosts."

The prophet is confronting the leaders and princes who have devoured the vineyard who are crushing God's people. He's speaking to the hierarchy of today. And Jesus as well with such clarity. "Woe to you scribes and pharisees you hypocrites for you close the kingdom of heaven before men for you yourselves do not enter and those who are entering you would not permit to enter."

You may personally hate the old Mass but you can see that Christians love it. They love to encounter Christ there. They pray there more deeply than anywhere. Why would you take this away? Saint Paul says about the various gifts. He who governs in solicitude that means he who rules in carefulness for those under him. And yet we see this abuse of a spiritual father trying to devastate those who hold on to Tradition.


And the third reason for going public more important than for the suffering of our own generation is for the future so that we do not have another destroyer following Francis in recent years it's been suggested however unrealistic it seems now that the next Pope might be Cardinal Parolin or Tagle would things be different under any of them because this didn't begin with Francis it's been going on for 70 years this attack on Tradition. And there are plenty in the Curia, in the chancelleries of the world, who will keep this destruction going. If they find another to lead them there, men like Cardinal Cupich, he wants no truths. On Christmas day he is willing for the war and the slaughter to continue on all the days of the year. He chose Christmas day to drop the axe. Who does that? Is that not sick?

All the blogs restrain themselves on the great feasts. They put the focus wholly on Christ or they go silent. But not Cardinal Cupich who wants no peace of Christ at Christmas but slaughter. He is like another Herod. Archbishop Roche said the vast majority of bishops of the world are very much behind what the Holy Father is saying. That's unbelievable from the reactions of the vast majority of bishops in the world. But this is precisely the bishop's voice. We need to hear in public what the truth is. Otherwise the propaganda from Archbishop Roche will stand. And it's so depressing to think that the shepherds can't find it in them to defend Christ and to defend the flock and defend the faithful and to defend Tradition.

Why do we go public? Luke described how the chief priests and the scribes and the ancients were afraid to answer Jesus' question about Saint John the Baptist but they didn't dare to tell the lie they said if we say of men the whole people will stone us for they are persuaded that John was a prophet. The people then would not tolerate this from their religious leaders. Neither should we because we know where it leads. When eventually they were manipulated into following their corrupt leaders to the death of Christ. Christ rises but we don't want to crucify him again.

The Church must be herself, needs to return to Tradition. Restore to thyself oh Lord that we may be restored. Renew our days as of old. One good thing that might come from all this is that, all of us learn that there is nobody on earth no prime minister no president no bishop no cardinal no Pope no one has the authority to close all the Churches or to try to ban the Traditional Mass because the anti-Christ will want to do that. And what's going to happen if we're so stupid that we say oh well this leader has said it, so we have to do it. No, we need to be immunized now against this folly. We have the sources of our faith, Scripture and Tradition. The Pope's job is to preserve that, not to be a source of revelation himself, not to set a new direction for the Church. The direction for the Church has been given by Jesus Christ and since Peter and Paul and the apostles took it in that direction and so for nearly 2 000 years it's been held. This is no time for anybody to try to set a new direction for the Church. The anti-Christ will try that in his time but we need to learn now that it's impossible so those who wish to be faithful who wish to cleave to Christ may do so. God bless you all.


2月13日(主日)から、大阪での主日のミサは、以前の通りの午前10時30分からになる予定です。

2022年02月11日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
2月13日(主日)から、大阪での主日のミサは、以前の通りの午前10時30分からになる予定です。ご注意ください。
大阪でのミサの予定です。
02月11日(金) 18:00 ミサ聖祭
02月12日(土) 10:30 ミサ聖祭
02月13日(日) 09:45 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭







ヴィガノ大司教:自由を保証できるのは真理、すなわち主イエズス・キリストだけである。「真理は汝らを自由にする」。

2022年02月11日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教、カナダのトラック運転手を励まし、「地獄の」グレート・リセットを打ち負かすための祈りを呼びかける

Abp. Viganò endorses Canadian truck drivers, calls for prayers to defeat ‘infernal’ Great Reset

「親愛なるカナダのトラック運転手の友人の皆さん、皆さんの抗議は、国民国家の瓦礫の上に新世界秩序を確立することに反対しようとする世界中の合唱団に加わるものです」。

2022年2月7日

(LifeSiteNews) - 親愛なるカナダのトラック運転手の兄弟姉妹の皆さん。

この2年間のサイコ・パンデミックの茶番劇で、グローバリストのエリートが実行した世界規模のクーデターは、一つ一つの国で起こったことを考えることに限定せず、あらゆる場所で起こったことに視点を広げれば、最もはっきりと見えてくるものです。

親愛なるカナダのトラック運転手の友人の皆さん、皆さんの抗議は、世界経済フォーラム(World Economic Forum)と国連が「アジェンダ2030」という名前の下に望むグレート・リセット(Great Reset)を通じて、国民国家の瓦礫の上に新世界秩序(New World Order)を確立することに反対しようとする世界中の合唱団に加わるものです。そして、クラウス・シュワブの「若い指導者のための学校」(School for Young Leaders)、いわゆる「明日のグローバル・リーダー」(Global Leaders for Tomorrow)に多くの政府首脳が参加していることも、私たちは知っています。彼らは、ジャスティン・トルドー、エマニュエル・マクロン、ジャシンタ・アーダーン、ボリス・ジョンソン、それ以前にはアンゲラ・メルケル、ニコラ・サルコジ、トニー・ブレアなどです。

カナダは、オーストラリア、イタリア、オーストリア、フランスと並んで、グローバリストが最も浸透している国の一つであるように思われます。この地獄のプロジェクトで私たちが考慮しなければならないのは、サイコ・パンデミックの茶番劇だけでなく、これらの国々の伝統と、キリスト教のアイデンティティー、実際にはより正確にはカトリックのアイデンティティーに対する攻撃です。

皆さんはこのことを本能的に理解し、自由への憧れを、首都オタワに向かって移動しながら、そのすべての協調的調和をもって示されました。親愛なるトラック運転手の皆さん、皆さんは大きな困難に直面しています。それは、デモを行うために仕事を放棄しているだけでなく、悪天候、寒い中での長い夜、撤収させられる試みに直面しているためです。しかし、このような困難とともに、皆さんと同じように迫り来る脅威を理解し、政権に抗議する皆さんを支援しようとする多くの仲間たちの親密さも体験しています。私もまた、皆さんを支持し、霊的に皆さんの近くにいることを表明するのをお許しください。そして、皆さんのイベントが成功を収め、他の国々にも広がっていくことを祈ります。

この時代、私たちは世界中の暴君の仮面が落ちるのを見ていますし、残念ながら、昨日まで友人だと思っていた人々、家族の中でさえも、多くの順応主義、多くの恐怖心、多くの臆病を目にします。しかし、このような極限状態だからこそ、私たちは、見知らぬ人たちの人道的な行動、共通の戦いの中で私たちを身近に感じている人々の連帯感や兄弟愛を、驚きとともに発見するのです。私たちは、この茫然自失の状態から私たちを揺り起こそうとする多くの寛容や多くの願望を発見するのです。私たちは、権力と金に飢えた無節操な犯罪者たちの陰謀団(cabal)によって押しつけられた私たちの世界の破壊を、もはや受け身で見過ごすわけにはいかないことを発見するのです。

伝統的な世界に対するこの容赦ない攻撃では、皆さんの生き方やアイデンティティーだけでなく、皆さんの財産や活動、仕事にも影響を受けています。これが「グレート・リセット」であり、これが「より良い復興」(Build Back Better)などのスローガンが約束する未来であり、これが何十億もの人々が、すべての動き、すべての取引、すべての購入、すべての官僚的行為、すべての活動においてコントロールされるという未来なのです。霊魂や意志を持たない自動人形のようになるのです。つまり、アイデンティティーを奪われ、ただ生きながらえるためにベーシックインカム(国民支給金)を受けることや、他人が売りに出すとすでに決めたものだけを買うことが許されるだけになり、遺伝子血清によって慢性疾患のある人間に変えられるです。

今日では、もはや受け身で支援することは不可能であることを認識することが、これまで以上に重要です。立場を取り、自由のために戦い、自然な自由の尊重を要求することが必要です。しかしそれ以上に、親愛なるカナダの兄弟の皆さん、このディストピアは、新世界秩序の独裁を確立し、社会から、歴史から、そして民族の伝統から、私たちの主イエズス・キリストの痕跡を完全に消し去るためにあることを理解することが必要です。

カナダの友人の皆さん、自分たちの権利のためにデモをしてください。しかし、その権利が、スーパーマーケットに入る自由や予防接種を受けない自由といった単純な主張だけにとどまらず、自由人としての神聖な権利に対する誇りある勇敢な主張となりますように。しかし、皆さんのデモは真の自由の一つであり、皆さんに自由を保証できるのは真理、すなわち私たちの主イエズス・キリストだけであることを思い起こさせるものでなければなりません。「真理は汝らを自由にする」。

キリストが社会に、心に、家族に君臨するために戻って来られるように祈りましょう。聖なるロザリオという霊的な武器を手に取り、祝されし童貞、聖アンナ、聖ジェルジオ、そして聖なるカナダの殉教者たちに、皆さんの祖国を守ってくださるように祈りましょう。

最後に、私たちの主が私たちに教えてくださった言葉で、皆さんと一緒に祈ることをお願いして、私の訴えを終わりたいと思います。私たちの祈りが天に届くように、また、この広場、この通り、権力者の宮殿に至るまで、力強く響きわたるように、声を出して共に祈りましょう。

天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日我らに与え給え。我らが人に赦すごとく、我らの罪を赦し給え。我らを試みに引き給わざれ。我らを悪より救い給え。アーメン。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2022年2月7日

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