Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考情報】ミュラー枢機卿、シノダリティーについて「イエズス・キリストの教会に対する敵対的乗っ取りである…私たちは抵抗しなければならない」

2022年10月20日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ミュラー枢機卿、シノダリティーについて「イエズス・キリストの教会に対する敵対的乗っ取りである…私たちは抵抗しなければならない」

Cardinal Müller on Synod on Synodality: ‘A Hostile Takeover of the Church of Jesus Christ … We Must Resist’

ゲルハルト・ミュラー枢機卿は、ヨゼフ陳枢機卿の逮捕とシノダリティーに関するシノドスをめぐる教皇の沈黙について、カトリック教会は、「教理を」投票によって変更できる「政党の綱領のように考えている」人々による「敵対的乗っ取り」に直面している、と述べた。

レイモンド・アロヨ インタビュー 2022年10月7日

【編集者注】ゲルハルト・ミュラー枢機卿は10月6日、EWTNの「The World Over with Raymond Arroyo」に出演しました。長いため、また分かりやすくするために、編集したインタビューの書き起こしを以下に掲載します。

【問い】枢機卿猊下、お越しいただきありがとうございます。この2年間、教会は世界中のカトリック信者と、カトリック信者以外で可能な人に、教会で望むこと、教会から望むことを調査してきました。そして今、そういった国々の報告書がローマに送られました。国際的には、洗礼を受けたカトリック信者の平均1%から10%が、このような小さな代表集団のために、これらのシノドス討議グループに実際に参加したのです。これらの国別調査は非常に大きな意味を持つのでしょうか。カトリック信者が最も懸念していることを実際に反映しているのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】私は、このアプローチは間違っていると思います。…私たちは天主のみ言葉にこそ耳を傾けなければなりません。そして、その後、それを実践しなければなりません。…

【問い】これらの報告書の懸念は奇妙なものです。イングランド、アイルランド、フランスなどでは、もっと歓迎される教会の必要性を挙げています、猊下。特に、全体では、「LGBTQ」コミュニティー、離婚したカトリック信者、教会における女性などが挙げられています。「LGBTQ」コミュニティーについて、米国の報告書は次のように述べています。「歓迎される教会への希望は、真正性をもって、LGBTQ+の人々がその家族の中で寄り添っていたいという望みを明確に表現した。さらに歓迎される教会となるためには、LGBTQ+の兄弟姉妹にどのように寄り添うのが最善なのか、教会全体で継続的に見極めていくことが深く求められている」とあります。この「LGBTQ」コミュニティーに注目していることについて、猊下はどう思われますか。また、進化しつつあるシノドスが、それらの懸念をどのように取り上げるとお考えでしょうか。

【ミュラー枢機卿】このイデオロギーの目的は…表向きはカトリック教会を道具としながら、自分たちの思想を広めることでした。しかし、実際には、誰でも教会に歓迎されています。しかし、まず、人は自分の罪を悔い改め、天主の掟に従って自分の生き方を変えなければなりません。私たち人間にとって最善なのは、イエズス・キリストの道に倣い、その掟とイエズス・キリストの福音に従って、自分の生き方を変えることです。


【問い】これらの報告書は、いずれも女性の指導的役割を強化し、意思決定の際の存在感を高める方向にあるようです。オーストラリア人は特に、女性の叙階や助祭について継続的に議論するよう要請しています。さて、この女性の叙階の問題は、教皇フランシスコを含む過去数人の教皇たちによって決着がついているのではないでしょうか。

【ミュラー枢機卿】…教会においては、私たちは政治権力や自己実現とは何の関係もなく、天主のみ旨に従い、全人類の救いに責任を持ち、天主のみ旨に協力しなければなりません。私たちにはイエズス・キリストの使命があります。それはすべての人を救いへと、唯一の贖い主であるイエズス・キリストへと導くことであって、自己創造や自己救済へと導くことではありません。それはすべて、イデオロギーによる操作されたもの(そういった思想)であり、福音やカトリック教会の教理とは何の関係もないのです。


【問い】猊下はバチカンの教理省のトップでいらっしゃいました。一つのシステムが作られていて、そこでは、そういったあらゆる教理を誰でも手に入れられるように思える状況をご覧になりながら、猊下はどうお考えになるのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】教会の基本は、啓示としての天主のみ言葉です…私たちの風変わりな考えではありません。…これ(このやり方)は、【天主の啓示ではない人間による】自己啓示の一つのシステムです。このようにカトリック教会を占拠することは、イエズス・キリストの教会の敵対的乗っ取りです。…そして、福音の一ページだけでも見れば、つまり福音書の一ページを読めば、そういったものはイエズス・キリストとは何の関係もないことがお分かりでしょう…そして、(この議題において)彼らは教理を、自分たちの投票によって変更することができる政党の綱領のようにしか考えていないのです。


【問い】猊下、司教シノドスの事務局長であるマリオ・グレック枢機卿は先月、ローマで米国のカトリック指導者200人の前で話をしました。彼は、離婚して再婚した者がご聖体を受けること、同性カップルを祝福することなど、「複雑な問題」――それを彼はこう呼びました――について話し、次のように述べました。「これらは教理の観点からだけで理解されるのではなく、天主と人間との継続的な出会いの観点から理解されるべきものだ。もし、信者の中のこの二つのグループが、彼らが経験する霊的現実の親密な感覚を表現する機会を与えられるとしたら、教会は何を恐れなければならないのか。これは教会にとって、彼らを通して語られる聖霊に耳を傾ける機会となるのではないか」。それを聞かれて、猊下はどう思われますか。天主と人類の継続的な経験に反する教理を設定する、とのことですが。

【ミュラー枢機卿】それは古い文化的プロテスタンティズムの解釈論であり、近代主義【の異端】を固守することでもあります。それは、客観的な天主の啓示と同じレベルにされた、個人の経験です。そして、天主は、皆さんにとって壁にすぎず、その壁に皆さんが自分に固有の思想を投影することができ、その結果、教会におけるある種のポピュリズムを作り出すのです。間違いなく、カトリック教会を、その土台を破壊したいという教会の外にいる全員は、彼らはこれらの宣言について非常に喜んでいます。しかし、この宣言が、カトリックの教理に絶対的に反していることは明らかです。私たちには、イエズス・キリストにおける天主の啓示があります。さらに、その啓示は、イエズス・キリストにおいて間違いなく閉じられ、終了しているのです。…このことは絶対的に明らかであり、イエズスは婚姻の不解消性について話されました。ですから、グレック枢機卿がイエズス・キリストよりも知性があり、そのためグレックがキリストの権威を奪って天主を相対化し、転覆するなどということが、どうしてあり得るでしょうか。


【問い】本当に、私は、私は猊下の言葉をお聞きして震えました。猊下はちょうど枢機卿会議に出席しておられましたが、それについては後ほどお話ししましょう。猊下は、シノドスの過程が…教会の敵対的乗っ取り、つまり教会を破壊しようという試みだとお考えなのですね。そう思われますか。

【ミュラー枢機卿】彼らが成功すれば、それはカトリック教会の終わりとなるでしょう。ですから、私たちは、アリウス派の古い異端者たちのようなそういったものに、抵抗しなければなりません。アリウスの思想によれば、彼が、天主は何ができ、何ができないのか、と考えたとき。そして、それは非合理主義です。人間、何が正しくて何が間違っているかを決定するための知性です。


【問い】これらすべての国別報告書は、ローマでは「討議要綱」(instrumentum laborious)と呼ばれる作業文書にまとめられます。この文書は引き続き改良されますが、最終的には、ローマでのシノドスのために、これらすべての議論の指針となります。この文書は、シノドスの指導者たちや諮問委員会、そして約20人のいわゆる専門家のグループによって起草されています。この人たちは、信者たち、修道女たち、カトリック司祭たち、一人の大司教です。この人たちは何者で、なぜこの作業文書をまとめるために選ばれたのでしょうか。なぜ枢機卿のグループではないのに、このようなことをするのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】彼らは、カトリックの信仰とは全く関係のない別の教会を夢見ているのです…そして彼らは、カトリック教会を変化させるために、この過程を悪用しようとしているのです…そして、他の方向だけではなく、カトリック教会の破壊のために…絶対的な変化を起こしたり、啓示された教会の教理を置き換えたりすることは誰にもできませんが、彼らは、数人の神学者たちによる一つの理論だけを教理とする、こういった風変わりな思想を持っているのです。

使徒たちの教理は、天主のみ言葉の啓示を反映したものであり、それをはっきりと表したものです。私たちは、聖書、使徒的伝承、教導権にある、天主のみ言葉に耳を傾けなければなりません。そして、公会議が以前に述べたことといえば、イエズス・キリストにおいて一度かつ永遠に与えられた啓示を、別の啓示によって置き換えることは不可能であるということです。


【問い】なぜ教皇は、これを許していると思われますか。

【ミュラー枢機卿】それは難しい質問です。でも、私には理解できません。私はそのことを公に言わなければなりません。なぜなら、教皇の定義は、バチカン公会議とカトリック神学の歴史に基づいて、教皇は、福音の真理とすべての司教の一致を保証し、また教会において、啓示された真理において、保証しなければならないからです。そしてペトロが尋ねられ、すべての使徒が尋ねました。「イエズス・キリストは何者ですか。預言者ですか、それとも新しいエリアですか、別の宗教家ですか」と。するとペトロはこう言いました、「あなたはキリスト、生ける天主の子です」。この告白の中に、カトリックの、あるいはキリスト教の信仰の神秘の他の真理がすべて含まれています。三位一体、ご托身、恩寵、秘跡。すべてがここに含まれているのです。


【問い】猊下、私は毎日、プロテスタントの牧師たちやユダヤ教のラビたちから、カトリック教会の重要性について聞かされています。また、彼らはこう言っています。「私たちは教会のために祈らなければなりません。教会が維持されるように。なぜなら、教会が崩壊すれば、私たち全員が、ある意味で崩壊してしまうからです」。猊下にお見せしたいものがあります。今週、バチカン・シノドスの公式ツイッターアカウントが、シノドスと第二バチカン公会議についてのグレック枢機卿の次の言葉をツイートしています。彼はこう言っています。「公会議の教会論を正しく受け入れることで、公会議でさえ想像しなかったシナリオが開かれ、教会を導く聖霊の働きが明らかにされるような実りある過程が活発になっています」。猊下にとって、それはどのような意味なのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】それはグレック枢機卿の権威、彼自身の、彼のための啓示から来るものです。そしてこれだけではありません。それは、いわゆる過程に関する理論です。この過程は啓示を克服しつつあるとされます。そして、社会学の最初の学期を勉強した人なら誰もが知っていますが、教会と教会の権威は、啓示を変更することはできません … いろいろなことに従って新しい教会を創立するために、そして創立しようとして、すべての役職を使って聖霊について話しても、啓示は変更できません。

聖霊は、長老派主義や、あるいはカトリック教会の外にあるこれらすべて聖霊運動のようなやり方はなさいません … イエズス・キリストを代替をするのではありません。聖霊は、御父と御子の霊との霊です。聖霊こそが、私たちを完全な真理へと導き、ただ一度だけ永遠に語り給い、イエズス・キリストにおいて啓示し給うたのです。したがって、【聖霊とは】私たちをついに啓示に反して導く一つの過程、単なる衝動ではありません。ですから、また、私たちには明確な使徒信経があるのです。

私は不思議に思うのですが、ここでグレック枢機卿は自らを超権威として提示しているものの、彼は認められた神学者ではなく、彼には学術神学において何の重要性もありません。カトリック信仰の新しい解釈論をどのどのように提示しているのかといえば、ただシノドスの事務局長だからという理由だけです。しかしシノドス事務局長は、教会の教理に関しては何の権威も持っていません。また、こういった司教らのシノドスとその過程にはすべて、何の権威もなく、教導上の権威も全く何もありません。


【問い】お見せしたいと思っているものがありますが、先週、バチカン・シノドスのフェイスブックのページに、シノダリティーに関するシノドスをイラストにした写真がいろいろとアップロードされました。その中に、女性司祭が大きく描かれ、「プライド」のシャツを着た若者と一緒に写っているものがあり、ソーシャルメディア上で話題になりました。イラストにはこう書かれています。「私たちは未来の若者です。そして、未来は今、私たちの誰よりも大きなこの花開く使命に活気を与えています。私たちは、諮問委員会に参加し、意思決定を行うことを望みます」。さて、このイラストの上隅には、司教シノドスの透かしが入っていました。これはどういうメッセージなのでしょうか、猊下。ローマではどう見られているのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】これは乗っ取りの願望であり、存在しない権力であり、天主ご自身よりも知的であろういう望みです。それはまるで、自らの力を提示することで、真理を創造するというマルクス主義的な形態です。…彼らは、カトリック教会の破壊(への道)となるように、イエズス・キリストの啓示された現実を、自分の主観的な思想で置き換えるという意図を持っているのです。


【問い】これは第三バチカン公会議のための芝居なのでしょうか。ポップカルチャーの第三バチカン公会議を作ろうと試みているのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】はい、その通りです。バチカンの権威のもとで、この文脈で、このようなことが許されているのは、非常に驚くべきことです。そして、教会が(変わることできるのが)本当に可能であるかのような印象を与えています。…(シノドス主催者は)聖霊の聴衆となることを承認され、聖霊は彼らのために機能するだけであると。…それは、御父と御子と聖霊としてご自身を啓示される聖霊とは何の関係もありません…これは、カトリック信仰とカトリック教会を弱体化させる方法です。


【問い】猊下は、今回の枢機卿会で、中国共産党によって冤罪で逮捕され、現在裁判中のヨゼフ陳枢機卿について何も言及がなかったことを憂慮しておられました。枢機卿のお名前が、枢機卿会で呼ばれることはありませでした。祈りを求めることもありませんでした。実際、教皇は、陳枢機卿を逮捕することは信教の自由の侵害だと思うかと問われ、次のように述べました。「中国を反民主的と評するのは、私はそのように感じません。なぜなら、独自のリズムを持った複雑な国だからです。確かに、私たちには民主的でないと思われることがあるのはその通りです。それはそうです。陳枢機卿は高齢ですが、あと数日で裁判になると思います。彼は感じたことをそのまま口にします。そこに限界があると、人は感じるものです」。猊下のお答えはいかがですか。バチカンは、なぜそこまでむきになっているのでしょうか。

【ミュラー枢機卿】中国は民主主義体制ではなく、生命と自由という基本的人権を尊重しません。そして反対側では、中国を、この文化を理解するのに誰も100年も必要とはしません。なぜなら、中国人も、私たちと同じ人間だからです。そして私たちは、すべての人間は尊厳において平等であると確信しています。すべての人が、天主によって、天主の息子、娘となるために召されているのです。…教会は世界のどこでも普遍的な教会です。私たちは、基本的人権と、すべての人に福音を宣べ伝える絶対的権利を守らなければなりません。したがって、私たちは、すべての人が兄弟姉妹であり、イエズス・キリストにおいて、特にキリストにおいて私たち自身の兄弟姉妹、特に教会の高位の代表者も守らなければならないと考えています。陳枢機卿は教会の代表者の一人であるだけでなく、中国人民の自由と解放、人間の尊厳の代表者の一人でもあります。…そして、北京からモスクワ、ブリュッセル、ワシントンまで、こういった政治家たちに世界を贖う(事態を改善する)ことを期待することはできません。この政治家たちは、私たちが今置かれている状況…核戦争になるかもしれない状況について責任を負っています。したがって、私たちの贖い主、私たちの助け手は天主であり、この政治家たちは私たちが置かれている混沌に責任があるのです。


レイモンド・アロヨ(Raymond Arroyo) EWTNの「The World Over with Raymond Arroyo」の司会者。国際的に知られた受賞歴のあるジャーナリスト、プロデューサー、ベストセラー作家であり、これまでにブッシュ大統領やトランプ大統領、教皇ベネディクト十六世、マザー・テレサ、メル・ギブソン、有名テノール歌手プラシド・ドミンゴ、コミック界の伝説的人物ジェリー・ルイスらにインタビューを行っています。


【参考資料】フレデリック・ヘンリー司教(カルガリー名誉司教)のジャスティン・トルドー首相への手紙

2022年10月20日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】フレデリック・ヘンリー司教(カルガリー名誉司教)のジャスティン・トルドー首相への手紙

【解説】カルガリー司教区の名誉司教であるフレデリック・ヘンリー司教は、カナダの首相に手紙を書いた。ヘンリー司教がこの手紙の中で、指摘していることは、カナダ首相ジャスティン・トルドー自身が受け入れて認めたカナダ政府に責任があったことを無視しているばかりか、政府の責任を教会になすりつけていることである。教会は政府からの経済的な援助がほとんどなかったにもかかわらず、最善を尽くしていた。
カナダ真実和解委員会(the Truth and Reconciliation Commission of Canada)が2015年にカナダ政府に提出した最終報告書(final report)には、第一義的な責任は、連邦政府が負うべきものが明らかにしている。

カトリック・カルガリー教区司教事務局

2021年6月7日

K1A 0A6オンタリオ州オタワ市
下院
カナダ首相
ジャスティン・トルドー閣下(枢密顧問官、文学士、教育学士)

首相閣下

先週、閣下は記者会見で、カトリック教徒として、教会が寄宿学校の悲劇にどのように対応したかについて、「深く失望した」と述べられました。閣下は、カトリック教会が、寄宿学校の運営に果たした役割について正式に謝罪していないこと、また、寄宿学校に関する文書化や情報公開の取り組みに協力するよう求める声に抵抗していることを挙げられました。

カトリック教徒として、またカナダ人として、私は、恐ろしいカムループス寄宿学校の子どもたちの遺骨発見に対して閣下が対応なさった方法について失望しております。

閣下のコメントは無益であるだけでなく、政治的目的のための姿勢とみなさねばならず、さらにまた、2014年にアルバータ州・ノースウエスト準州の司教たちが先住民の兄弟姉妹に対して行った謝罪と遺憾の意という、継続中の偽善に加える、別のあからさまな企てとみなさねばなりません。

2014年、アルバータ州の司教たちは先住民の兄弟姉妹に謝罪しましたが、それには次のような文言が含まれていました。「私たちも、子どもたちを家族から引き離し、カトリックが、寄宿学校でアボリジニの文化や言語をしばしば抑圧する結果となった政府の政策に関与したことについて謝罪と遺憾の意を表します」。

私たち自身の悲しみと、罪の責任を認め、寄宿学校への関与における私たちの罪深さを自認していますが、私たちの声明の文言、特に「政府の政策に関与」(participation in government policies)という言葉に注目することが重要です。第一義的な責任は、連邦政府が負うべきものです。

このことは、「カナダ真実和解委員会最終報告書 第4巻 行方不明の子どもたちと墓標のない埋葬者」でも強調されています。

この報告書の内容に関連した部分を引用して、閣下の記憶を呼び起こさせるのを許してださい。

1.概要
「『誰が死んだのか』『なぜ死んだのか』『彼らはどこに埋葬されているのか』という、行方不明の子どもたちに関する最も基本的な質問について、カナダ政府は、これまで取り組んだことも、包括的に記録したこともない。」(4ページ)

2.統計分析
「これらの割合が、他の場所で報告されているほど高くないかもしれないということは、連邦政府が、寄宿学校とアボリジニ・コミュニティー全般における国家的な健康管理の危機に対処するための適切な行動を取らなかったという事実を軽くするものではない。」(33ページ)

3.運用方針と保護型ケア
「四つの主要な結論がある(中略)第一に、連邦政府は寄宿学校の生徒の健康と安全を保証するための適切な基準と規制を設けなかったことである。この不作為は、政府がその基準を設定する権限を持っていたにもかかわらず起こったものである。第二に、連邦政府は、最低限設定した基準や規制を適切に施行することがなかった。第三に、このような規制を設けず、実施しなかったのは、寄宿学校の費用を最小限に抑えようとする政府の決定が大きく作用していた。第四に、適切な基準の設定・実施をしなかったことと、学校に十分な資金を提供しなかったことが、不必要に高い死亡率という結果をもたらした。

生徒たちは、粗末な建物、粗末な暖房、手入れが粗末で、混雑した、しばしば不衛生な施設に収容された。多くの学校には隔離室も診療所もなかった。多くの学校は、訓練を受けた医療スタッフの世話を受けることができなかった。連邦政府が、生徒の食事が栄養的に足りることを保証する十分な資金を提供しようとしたのは、1950年代後半になってからだった。このように、粗末な住環境、不十分な医療ケア、粗末な食事が重なった結果、生徒たちは感染症にかかりやすくなり、感染症を克服する能力も低下してしまった。インディアン問題省が、住居、食生活、収入、医療受診を改善することによって、より広いアボリジニ・コミュニティーの結核の危機に対処することを怠ってしまい、さらに、寄宿学校への入学前に感染した子どもを選別しなかったため、生徒が感染にさらされることが確実になってしまった。カナダの総人口における結核死亡率は、有効な薬物治療が開発される以前の20世紀初頭に低下したことを、再度強調しておかなければならない。この低下は、一般的に、衛生、住居、食事の改善、感染者の療養所への隔離など、さまざまな要因によるものであるとされる。このような同じ有益な効果が期待できる政策が寄宿学校に勧められましたが、採用されなかった。その結果、薬物治療が導入されるまで、結核は寄宿学校の根強い問題として残り、死亡率も高いままだった。

建物の建設・維持管理で火災安全基準を採用して施行し、さらに、安全で利用しやすい非常階段を建設・維持管理するといったことを怠ったため、生徒の安全はさらに危うくなった。

システム全体の規律方針を定めて実施することを怠ったため、生徒たちは例外的に厳しく、しばしば虐待的な処罰を受けることになった。このことで、ストレスレベルを上げてしまい、病気に対する抵抗力を弱めることになったのだろう。…」(122-123ページ)

4.子どもたちはどこに埋葬されているか。墓地と墓標のない埋葬
「結核は、死因が報告されているケースの48.7%(名前のある名簿と名前のない名簿を合わせたもの)の死因だった。子どもの結核に対する脆弱性と感染からの回復能力は、食事、衛生状態、換気、衣類の質、体力に大きく影響を受ける。政府の資金提供が限られていたため、ほとんどの学校の生徒は栄養失調に陥り、混雑した不衛生な施設に隔離され、衣服も不十分で、過労状態だった。政府が、感染した生徒を学校から排除しておく選別の仕組みを導入・維持することができなかったという事実のため、学校が、アボリジニのコミュニティーに既に存在する結核の危機を増幅させることになった。学校で死亡した生徒が家に帰されることは、親に輸送費を払う余裕がない限り、ほとんどなかった。学校の近くに住んでいない限り、ほとんどの親はそのような費用を負担することはできなかった。その結果として、寄宿学校で亡くなった生徒のほとんどは、近くのミッション墓地か寄宿学校墓地のどちらかに埋葬されたと思われる。これらの墓地の中には、現在も運営されているものもあるが、学校やミッションが閉鎖された後は、多くの墓地が放棄されている。近年、アボリジニのコミュニティー、教会、元生徒たちが、墓地を修復し、そこに埋葬されている人々を記念するための措置を取っている重要な例が数多くある。」(138ページ)

最後に、真実和解委員会の「行方不明の子どもたちと埋葬に関する行動への呼びかけ」の72、73、74、75を再読されることをお勧め申し上げます。私たちは、連邦政府の側に対して、それほど大げさな姿勢ではないものの、もっと率直な行動を取る権利を持っております。

首相のご健勝を祈っております。

敬具

フレデリック・バーナード・ヘンリー
カルガリー名誉司教

ccキャロライン・ベネット閣下(メンタルヘルス・依存症担当大臣兼保健准相)
マーク・ミラー閣下(先住民関係大臣)

【参考】
「カナダ真実和解委員会最終報告書 第4巻 カナダの寄宿学校 行方不明の子どもたちと墓標のない埋葬者」

Calls to Action 71 to 76: Missing Children and Burial Information
72.私たちは連邦政府に対し、カナダ真実和解委員会によって設立された「国立寄宿学校生徒死亡簿」を開発・維持することを可能にするために、国立真実和解センターに十分な資源を割り当てるよう要請します。

73.私たちは連邦政府に対し、教会、アボリジニ・コミュニティー、元寄宿学校生徒と協力し、寄宿学校墓地のオンライン登録を、可能であれば死亡した寄宿学校生徒の位置を示す区画図を含んで確立・維持するよう要請します。

74.私たちは連邦政府に対し、教会やアボリジニ・コミュニティーの指導者と協力して、寄宿学校で亡くなった子どもたちの家族に、その子どもの埋葬場所を知らせ、適切な記念式典や墓識、希望があれば故郷のコミュニティーでの再埋葬を望む家族の願いに応えるよう要請します。

75.私たちは連邦政府に対し、州、準州、自治体、教会、アボリジニ・コミュニティー、元寄宿学校生徒、現在の土地所有者と協力し、寄宿学校の子どもたちが埋葬された墓地あるいは他の跡地を継続的に特定、記録、維持、記念、保護する戦略と手順を開発・実施するよう要請します。これには、亡くなった子どもたちをたたえる適切な記念式典や記念標示を提供することが含まれます。


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