アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、2023年2月5日は七旬節の主日です。
「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「七旬節の主日の説教」の動画をご紹介いたします。
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天主様の祝福が豊にありますように!
トマス小野田圭志神父
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殉教についての説教
ドモルネ神父
はじめに
今日は七旬節の主日ですが、私たちの東京の聖堂の保護の聖人である、長崎の二十六殉教者の祝日でもあります。そこで、今日は殉教についてお話しします。殉教とは何か、殉教者の称号に値する条件、そして殉教に対して与えられる報いについてです。
1.殉教とは何か
カトリック教会では、殉教とは、肉体の死を受けることによって、キリスト教の真理を証しすることを意味します。私たちの主イエズス・キリストの、み言葉を思い出してください。「体を殺しても、そののち、それ以上何もできぬ人々を恐れるな。あなたたちの恐れねばならぬのは誰か教えよう。殺したのちゲヘンナに投げ入れる権威あるお方を畏れよ。…人々の前で私の味方だと宣言する人を、人の子もまた、天主の天使たちの前で彼の味方だと宣言する。しかし、人々の前で私を否む者は、天主の天使たちの前で否まれるだろう」。(ルカ12章4-5、8-9節)。殉教者は、このイエズスのみ言葉を成就させるのです。殉教者は、天主への愛を守り、永遠の命を得るために、地上のすべての財物を、自分の肉体の命までも、捨てることを選ぶのです。では、殉教者になるための条件を見てみましょう。
2.殉教者の称号を得る条件
第一の条件は、実際に死ぬことです。私たちの肉体の命は、私たちの物質的財物の中で、最も重要で大切なものです。したがって、天主に対して罪を犯すよりも、むしろ死ぬことを選ぶということは、天主への愛の最も強い証しとなります。私たちの主イエズス・キリストは、こう言われました。「友人のために命を与える以上の大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)。長崎の二十六殉教者は、1597年2月5日、十字架に縛り付けられ、槍で刺されて、肉体的に亡くなりました。キリスト教の真理のために迫害されても、実際に死なない人は、殉教者ではありません。このため、煮えたぎる油の中に投げ込まれても、奇跡的に助かった福音史家聖ヨハネは、厳密に言えば、殉教者ではありません。
殉教者の称号を得るための第二の条件は、キリスト教の真理に対する憎しみから殺されることです。私たちが、私たちの主イエズス・キリストの教えを信じ、それを実践するとき、私たちは、言葉と行いによって、キリスト教の真理を告白します。もし誰かが、私たちにその告白をやめさせるために私たちを殺すとすれば、その人は、キリスト教の真理に対する憎しみから、私たちを殺すのです。たとえば、洗者聖ヨハネは、婚姻の神聖さを擁護し、ヘロデ王とヘロディアを、姦通を行っているとして非難したため、ヘロデ王らは、聖ヨハネを黙らせるために、死刑に処しました。洗者聖ヨハネは、キリスト教の真理への憎しみから殺されたのです。長崎の二十六殉教者は、キリスト教徒であるというだけの理由で、太閤秀吉の命令で殺されました。彼らは、キリスト教の真理への憎しみから殺されました。
逆に、キリスト教の真理の敵によって殺されたのではない人々は、殉教者ではありません。たとえば、ハワイでハンセン病患者の世話に専念し、そのためにハンセン病で亡くなったダミアン・ド・ブーステル神父は、愛徳の英雄ですが、殉教者ではないのです。
殉教者の称号を得るための第三の条件は、私たちに与えられる死を、自ら進んで受け入れることです。私たちは、自分が何をしているかを自覚し、キリスト教の真理を捨てるよりも、自ら進んで死ぬことを、選ばなければなりません。ですから、寝ている間に殺された人は、殉教者の称号を受けません。しかし、幼い子どもたちは例外です。もし、幼い子どもたちが、キリスト教の真理に対する憎しみから殺されるなら、たとえ理性を用いることがないとしても、殉教の称号と栄光を受けるのです。なぜ、幼い子どもたちは、それを受けるのでしょうか。イエズス・キリストのために血を流すことは、洗礼の秘跡と同じ効果を、霊魂に生み出すからです。これが、「血の洗礼」と呼ばれる理由です。幼い子どもたちが、理性を用いることがなくても、洗礼を受け、成聖の恩寵を受けるように、イエズス・キリストのために血を流す幼い子どもたちは、殉教の栄光を受けるのです。この理由で、ヘロデ王に殺された聖なる幼子たちは、本当に幼かったにもかかわらず、殉教者なのです。
長崎の二十六殉教者は、自ら進んで、勇気をもって、そして喜びさえもって、自分たちに与えられた死を受け入れました。捕らえられた時から死ぬ時まで、1カ月以上ありました。もし、彼らがそうしようと思えば、私たちの主イエズス・キリストを否む時間がありました。しかし、彼らはそうしませんでした。それどころか、1月の大阪から長崎までの旅の苦しみを耐え抜き、キリスト教の真理を捨てる誘いを一切拒否し、自分たちの周りの異教徒たちにキリスト教の真理を説き、他のキリスト教徒たちに、キリスト教の真理を捨てるよりもむしろ死ぬよう勧め、槍で刺されるのを待つ間にも、喜びから聖歌を歌ったのです。
3.殉教の報酬
では、天主が殉教者に与えてくださる報いを見てみましょう。
殉教の第一の効果は、霊魂を義の状態にすることです。このことは、殉教者が、原罪、大罪、小罪というすべての罪から清められる、ということを意味します。洗礼を受けているかどうか、子どもであるか大人であるかは、関係ありません。しかし、大人の場合は、心の中で、自分の人生の罪を、心から悔いることが必要です。
殉教の第二の効果は、過去の罪による罰をすべて赦されることです。このことは、殉教者が死んだ後、煉獄に行かずに、直接天国に行くということを意味します。
殉教の第三の効果は、成聖の恩寵と、その結果としての天国での栄光を大きく増やすという功徳を、天主から得られることです。
最後に、殉教者は、「殉教者の栄冠」と呼ばれるものを受けます。「栄冠」とは、ある特定の善業に対応した、天国での非常に特別な報いのことです。童貞、博士、殉教者の、三つの栄冠があります。童貞は、肉の欲に対する抜きん出た勝利を得たことにより、栄冠に値します。博士は、真理を宣べ伝えることによって悪魔とその嘘に対する抜きん出た勝利を得たことにより、栄冠に値します。殉教者は、この世と信仰の敵に対する偉大かつ非常に困難な勝利を得たことにより、栄冠に値します。これらの栄冠のうち、最も偉大なものは、殉教者の栄冠です。
結論
親愛なる信者の皆さん、長崎の二十六殉教者は、死んだ後、すぐに天国に行きました。殉教によって、彼らは、天国で抜きん出た栄光と幸福を得ました。彼らは、殉教者の栄冠を受けたのです。彼らの模範は、たとえ私たちがキリスト教の信仰のために苦しんで死ぬことがあっても、恐れずにその信仰を生き、告白するよう、私たちを鼓舞するものに間違いありません。
天国にいる長崎の二十六殉教者は、私たちの模範であるだけではありません。彼らはまた、私たちの友人であり、協力者でもあります。彼らは、私たちが真摯なキリスト教徒になるよう助けたいと願っています。私たちの主イエズス・キリストと童貞聖マリアが、日本で知られ、愛されるようにするために、私たちと一緒に働きたいと願っています。そして、そのため、私たちが彼らに願うならば、彼らは私たちのために多くの恩寵を取りなしてくれることができるのです。ですから、今日は特に、彼らにこれらの恩寵を願いましょう。そして、願いすぎることを恐れないようにしましょう。彼らの寛大さは、私たちの寛大さよりも、はるかに大きいのですから。