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「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」第五章 ドイツの「Synodaler Weg」【シノドスの道】

2024年01月29日 | カトリックとは

「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」

The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers

ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著

第五章 ドイツの「Synodaler Weg」【シノドスの道】
A ドイツのためだけではない道

53.「Synodaler Weg」とは何ですか。
54.「Synodaler Weg」は世界的シノドスとは違いますか。
55.ドイツの司教たちはどこでその考えを得たのですか。
56.「Synodaler Weg」で発言するのは誰ですか。
57.「Synodaler Weg」はどれほど重要なのでしょうか。
58.「Synodaler Weg」はなぜ招集されたのでしょうか。
59.「Synodaler Weg」の背後には下心があるのでしょうか。
60.「Weg」は教会の文化的パラダイム・シフトでしょうか。
61.Weg推進派によれば、聖職者の性的虐待を引き起こすものは何でしょうか。
62.Synodaler Wegはどのような解決策を提案しているのでしょうか。
63.これは教会の破壊につながるのでしょうか。

第五章 ドイツの「Synodaler Weg」【シノドスの道】

A ドイツのためだけではない道

53.「Synodaler Weg」とは何ですか。

「Synodaler Weg」とは、シノドスの道という意味です。それは、ドイツのカトリック教会が、世界的シノドスとは独立して、ローマの方向性を先取りし、さらにはそれを凌駕して、シノドスに適応することを選んだ特別な道です。この新造語は、教会法にも教会の聖伝にも根拠がありません。

「Synodaler Weg」は、すべての信者が教会について発言できる恒久的な議論の場として、2019年にリンゲンで開催されたドイツ司教協議会の総会で承認されました。この準備段階あるいは協議段階は2023年3月に終了しました。提案は司教団に提出され、司教団は2023年10月にローマで開催される世界的シノドスに提出するため、現在議論を進めています。

「Weg」推進派はまた、聖職者と信者で構成される常設のシノドス評議会を設置し、ドイツの教会を完全に民主的な組織に変えようと考えています。シノドス評議会は、「教会と社会についての本質的な変化に関する協議・意思決定機関」として、また「司牧計画や予算の問題に関する教区を超えた機関」として機能することになります(94)。

バチカンはこの提案に拒否権を行使しましたが、ドイツ司教団はこの路線を継続する意思があるように見えました。

「Synodaler Weg」には定義された形式はありませんが、途中で変化する「過程」として提示されています。このシノドスの道のウェブサイトはこう述べています。「シノドスの旅は、教会法によって定義された形式を持たず、独自のものです。それは、道を旅する過程として定義することができます」(95)。

この「道」は完全に開かれていなければなりません。リンゲンの総会で、ミュンヘン大司教で当時ドイツ司教協議会会長だったラインハルト・マルクス枢機卿はこう述べました。「信仰は、思考の閉塞感から解放され、自由で開かれた議論に直面し、新しい立場を取って新しい道を切り開く能力を発展させることによってのみ、成長し、深化することができます」(96)。

54.「Synodaler Weg」は世界的シノドスとは違いますか。

形式的にはそうですが、それはドイツの教会の過程であり、世界的シノドスの過程と並行して自律しているという意味です。現実には、後に見るように、「Weg」は、その主要な主人公たちの宣言された意向において、2015年に発足した世界的シノドスの過程の他の車両を牽引する機関車のように考えられています。メディアはこのように報道していますが、さまざまな大陸から集まるシノドス総会の最も進歩的な参加者たちは、ドイツの「Weg」の行動計画(アジェンダ)に含まれる問題を主張したいと考える可能性が高いのです。このように、最善の仮説を立てれば、「Weg」は、新近代主義の最も急進的な大義名分のための宣伝の場を獲得するという世界的な過程を助けることになります。

両者の提案を単純に読めば、ドイツの道の言い方の方がさらに鋭いものの、その深い類似性が分かります。

55.ドイツの司教たちはどこでその考えを得たのですか。

「Synodaler Weg」の推進派は、2015年の司教シノドス組織設立50周年に関する教皇フランシスコの演説に触発されたと主張しています。その時教皇はこう述べました。

シノダリティの道は、天主が第三千年期の教会に期待する道です。…
教会を構成する次元としてのシノダリティ(97)。

これに2019年6月29日、教皇がシノドスの道を奨励した「ドイツ巡礼中の天主の民への手紙」を加えます。

皆さんの司牧者たちは、シノドスの道を提案しています。これが具体的な言葉で何を意味し、どのように発展していくかは、まだ検討中です。私としては、司教シノドス50周年を祝う機会に、教会のシノダリティについて考察を述べました。要するに、それは聖霊の導きの下で、聖霊の光、導き、注ぎの下で、教会全体と一緒になって、共に歩み、聖霊が私たちに与えようと望んでおられる常に新しい地平に耳を傾けて識別することを学ぶシノドスに関することなのです。なぜなら、シノダリティとは、聖霊のご出現を前提とし、それを必要とするからです(98)。

ラインハルト・マルクス枢機卿とドイツ・カトリック中央委員会会長のトーマス・シュテルンベルク教授はこう宣言しました。「教皇フランシスコは、私たちがシノドスの教会となり、共に歩むよう招いています。これがドイツの教会の『Synodaler Weg』の目的です。私たち司教協議会の司教とドイツ・カトリック中央委員会の信者は、すべてのカトリック信者、修道者、司祭、そして特に若者たちとともに歩んでいきたいと願っています」(99)。

もっと広く言えば、「Weg」の推進派は、たとえば2013年の使徒的勧告「エヴァンジェリイ・ガウディウム」で表明された、シノダリティに関する教皇フランシスコの教導権に従っていると言っています。同勧告はこう述べています。「司教協議会を真の教理上の権威を含む具体的な帰属の主体とみなすような、司教協議会の法的地位は、まだ十分に練られていません。過度な中央集権化は、役に立つことが証明されているどころか、教会の生活と宣教の活動を複雑にします」(100)。

56.「Synodaler Weg」で発言するのは誰ですか。

原則的には、ドイツのすべてのカトリック信者はもちろん、参加を希望する非カトリック信者でさえも、「Synodaler Weg」で発言権を持つことになります。しかし、「Weg」の最も重要な機関であるシノドス総会(Synodalversammlung)は、ドイツ・カトリシズムの最も進歩的な派閥によって独占されています。彼らは不調和な声をすべて沈黙させ、自分たちの行動計画(アジェンダ)を実施するために、たとえそれが離教につながるとしても、ローマと対立することを恐れはしません。これらの個人や団体は、何十年もの間、ドイツの教会を破壊転覆しようと努力してきました。その中でも代表的なものが、ドイツ・カトリック教会中央委員会(Zentralkomitee der deutschen Katholiken, ZdK)です。

「Synodaler Weg」の内部で行動計画(アジェンダ)を押し付けるこの進歩的な分派は、かつてのリンクスカトリスムス(Linkskatholizismus、カトリック左派)です。ヴュルツブルクのシノドス(1971-1975年)の行動計画(アジェンダ)には、すでにいくつかの「Weg」ポイントがありました。例えば、女性の助祭職、説教への信者の参加、小教区・教区評議会制度の拡大などです。

1990年代には、「私たちは教会である」(Wir sind Kirche)のようないくつかのイニシアチブが、性道徳の緩和、避妊具の承認、司祭の独身制の廃止、教会の権威構造の民主化などを求めました。

リンクスカトリスムス全体が今、「Synodaler Weg」に集中しています。

この分派は、司教たちをより急進的な立場へと向かわせています。例えば、カトリック農村青年運動会長のダニエラ・オルドウスキーは、「(ローマとの関係において)ドイツ司教協議会は、もっと勇気をもって、もっと怒りをもって、もっと騒々しく反応しなければならないでしょう。最終的には、不従順を選択せざるを得ないかもしれません。一方では社会的価値観、男女平等、権力分立、他方ではカトリックの家父長制的君主制というギャップに、いつまで我慢するでしょうか(101)」と書いています。

57.「Synodaler Weg」はどれほど重要なのでしょうか。

「Synodaler Weg」は、ドイツの教会にとって特別な道であり、ローマで招集されたシノドス総会のモデルとして、極端ではあるものの非常に影響力のあるものとして提示されています。多くのオブザーバーは、その結論が、有名な表現によれば「ライン川がテヴェレ川に流れ込んだ」(102)第二バチカン公会議が設定した先例に倣い、普遍教会におけるシノドス全体の過程の展開にどのような影響を与え得るかを指摘しています。

例えば、著名なバチカン専門家であるサンドロ・マジステルは次のような危惧を表明しています。「教皇によってチェックされていないドイツの『シノドスの道』の伝染は、今や国境を越え、『シノダリティに関するシノドス』の総会自体に影響を及ぼす恐れがあります」(103)。

ドイツの提案にマリオ・グレック枢機卿が明らかに共感しているのを糾弾し、バチカン専門家のエド・コンドンは、ドイツの司教団が「バチカン・ウォッチャーたちの間で、世界的なシノドスの過程全体がドイツ人に対する一種の『優先的選択肢』を持っているという印象を与えた」と書いています(104)。

ドイツ司教協議会会長であり、「Weg」推進派の中心人物だったゲオルク・ベッツィング司教は、「Weg」が提示した多くの提案を含むシノドスの準備文書「あなたのテントの場所を広く取りなさい」に言及し、陶酔的にこう宣言しました。「(ドイツの)シノドスの過程はすでに教会を変えました」(105)。

58.「Synodaler Weg」はなぜ招集されたのでしょうか。

「Weg」は、理論的には、2010年に発覚したドイツの教会における性的虐待問題の解決策を見いだすために招集されました。そのとき以来、具体的な結論に達することなく、会議、委員会、作業部会が増殖してきました。この惰性に直面した一部の司教とドイツ・カトリック中央委員会は、この問題を手に取り、恒久的な議論の場を設けるという考えを打ち出しました。

前述のように、「性的虐待の問題に積極的に立ち向かい、その防止を強化する」ために、2019年12月のドイツ司教協議会総会で「Weg」が承認されました(106)。

59.「Synodaler Weg」の背後には下心があるのでしょうか。

「Weg」が述べた目標の背後には、教会改革のプロジェクトが潜んでいると指摘する声は多くあります。例えば、ウィーン大司教であるクリストフ・シェーンボルン枢機卿は、「コムニオ」誌のインタビューで次のように語っています。「虐待の道具化があります。…「虐待行為」は、それを口実に、教会改革の要求について、議論して決定するために利用されています」(107)。

「Weg」の先駆者であるラインハルト・マルクス枢機卿自身も、このことを認識しています。彼は、性的虐待事件が教会の公衆への信頼を失墜させ、司祭職に叙階された人々が教会を指導できるという考えを捨てるべきだ、と主張しています。彼はこの問題やその他の問題で聖職者を監視する新しいリーダーを、特に信者の中から見つける必要がある、とします。進歩的な「ナショナル・カトリック・レポーター」によれば、「マルクス【枢機卿】は、位階構造の性質のゆえに、説明責任の必要性に対する教会の理解は『初歩的なものでしかない』と述べた」とあります。したがって、教会に「根本的で体系的な変化」をもたらすことが急務であり、シノドスの過程が必要だとされるのです(108)。

教皇に宛てたドイツ司教協議会会長職辞任の手紙の中で、このバイエルン人の【マルクス】枢機卿は「教会における変化と改革を求める制度的失敗」について明確に語っています。彼はこう付け加えます。「この危機を脱するための転機は、私の考えでは、あなたが強調され、ドイツの教会に宛てた手紙に書かれているように、『霊の識別』を可能にする道である『シノドスの道』しかありません」(109)と。

60.「Weg」は教会の文化的パラダイム・シフトでしょうか。

はい。「Weg」推進派は、それが教会の文化的パラダイムに大きな変化をもたらすものでなければならないと認識しています。「シノドスは文化的パラダイム・シフト(Kulturwandel)と教会の実践の変化をもたらさなければなりません」とゲオルク・ベッツィング司教は言います(110)。言い換えれば、「Weg」は教会の偶発的な要素だけでなく、その基盤そのものを変えなければならないのです。

ドイツ・カトリック青年連盟の会長であり、「Weg」の中心人物であるグレゴール・ポッドシュンはこう書いています。

今必要なのは、カトリック教会とその(間違った)教理を根底から変えることです。…新しい教会を建設するために、この教会は自ら滅びなければなりません。…
過激に聞こえますが、結局はそうなのです(111)。

61.Weg推進派によれば、聖職者の性的虐待を引き起こすものは何でしょうか。

Synodaler Wegの推進者たちは、聖職者の性的虐待の主な原因は、教会に蔓延する聖職者主義にあると主張します。Weg基本文書によれば、性的虐待の原因は「教会の現在の構造と教理」であり、そのため改革が必要と主張するのです(112)。

フルダで開かれた2018年の全体会議で、ドイツ司教協議会は「司祭の独身生活やカトリックの性道徳の諸側面に関する疑問など、カトリック教会に特有の課題は、透明性のある議論の過程で、さまざまな分野の専門家の参加を得て議論される」と述べました(113)。

一方、ラインハルト・マルクス枢機卿は、「少なからず、子どもや若者への性的虐待は、(教会)運営における権力の濫用の実である」と述べています(114)。

62.Synodaler Wegはどのような解決策を提案しているのでしょうか。

Weg推進派は、教会の位階構造と道徳を変えることによって、教会に蔓延する聖職者主義を克服する、と以下のように提案しています。

a.司教の任命に平信徒が参加し、教会機構を広く民主化すること。
b.司祭の独身制を廃止すること。
c.同性愛者の聖なる品級を認めること。
d.女性に秘跡的役務を開放すること。
e.同性愛を再評価し、同性婚を受け入れること。
f.教会の伝統的な性道徳を非難すること。

Synodaler Wegのアジェンダは、カトリック道徳と教会の位階階級の解体という2点に要約できます。

63.これは教会の破壊につながるのでしょうか。

少なくとも、それが一部の人々の意図するところであると思われます。元教理省長官ゲルハルト・ミュラー枢機卿はこう述べています。「彼らはカトリックの信仰とは何の関係もない別の教会を夢見ています…そして、このプロセスを悪用して、カトリック教会を転換させようとしているのです」(115)と。

しかし、この著名な神学者【ミュラー枢機卿】自身の言葉を借りれば、これは「カトリックの信仰とは何の関係もない」ことであり、また、教会とも何の関係もないことであることに注意してください。なぜなら、前述のように、天主の約束によって強められ、教会は不可崩壊性(indefectibility)を、すなわち、その特権によって、教会は時の終わりまで耐え忍び(マテオ28章20節参照)、地獄の門も教会に打ち勝つことはない(マテオ16章18節参照)という特性を確実に持っているからです。


「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」第四章 教会改革

2024年01月29日 | 聖伝のミサの予定

「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」

The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers

ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著

第四章 教会改革

41.どのようなレベルで教会の構造を変えるべきなのでしょうか。
42.これらの変更は典礼にも影響を与えますか。
43.シノドス推進派によれば、教会の主な問題は何でしょうか。
44.聖職者主義をどのように治療するのでしょうか。
45.教会の現在の構造に対してどのような適応がなされるべきでしょうか。
46.この団体主義は緊張や意見の相違を生じさせませんか。
47.この過程は現代の民主主義とどう違うのでしょうか。
48.「共同体的な識別」とは何ですか。
49.教会の統治とはどのようなものになりますか。
50.信者の意見と教皇の意見が食い違う場合、どちらが優先されるのでしょうか。
51.シノドス推進派は、教会生活における共同体的共同責任を正当化するために、どのような神学的根拠を提示しているのですか。
52.「カリスマ」と信者の「役務」をどこまで認めるつもりなのでしょうか。

第四章 教会改革

41.どのようなレベルで教会の構造を変えるべきなのでしょうか。

シノドスのための準備文書によると、教会の構造は、以下の三つのレベルで変更されるべきとされています。

1.教会が普通に生活し活動するスタイルのレベル。
2.教会の構造と過程のレベル。
3.シノドスの過程と行事のレベル(78)。

「大陸ステージのための作業文書」は、司祭とそれ以外の天主の民との間の隔たりをなくさなければならないことを確認し(19番)、叙階された役務を中心に築かれた教会像(67番)や、独裁的傾向を助長したり司祭と信者の関係を分断したりする位階的構造(33番)を克服することを確認しています。同文書は、シノドス的な制度モデルを提案しており、それは、現在存在しているピラミッド型の権力を解体し(57番)、教会生活が、特に制度と統治機構に関して(71番)、聖霊が信者に授け給う賜物(66番)に応じて、すべての人の共同責任を真に実践することを本当に可能にするようなものです。同文書はまた、さまざまな評議会(小教区評議会、司祭評議会、司教評議会)が単なる協議の場ではなく、共同体的な識別過程に基づいて決定される場であることを望んでいます(78番)。

42.これらの変更は典礼にも影響を与えますか。

はい。典礼に関して、準備文書は、すべての信者の積極的な参加を可能にするシノドス方式の典礼祭儀の実施を提案し(91番)、司式司祭が過度に強調される現在の典礼を再考しています(93番)。

43.シノドス推進派によれば、教会の主な問題は何でしょうか。

シノドス推進派は、教会の主な問題は聖職者主義、すなわち、教会を聖職者と信者の間で、すなわち教導教会(Ecclesia docens)と聴従教会(Ecclesia discens)の間で分断する位階構造にあると主張しています。

準備文書は、「耳を傾けることと識別することの共同過程が欠如していること」を訴え、「独裁的傾向を助長する位階構造、個人を孤立させ、司祭と信者との関係を分断する聖職者的かつ個人主義的な文化などの構造的障害の持続」を指摘しています。同文書は結論として、「聖職者を孤立させ、信者に害を与える文化である…聖職者主義を、教会から取り除くことの重要性」(79)を強調しています。

44.聖職者主義をどのように治療するのでしょうか。

シノドス推進派にとって、聖職者主義の治療法は、洗礼を受けたすべての人の平等な尊厳と、信者のカリスマおよび役務の価値を認めることによって、「共同責任」を実行することです。なぜなら、「現在の司牧構造の指導者たちと多くの司祭のメンタリティーは、この共同責任を育んでいない」(80)からです。彼らは、「異なるカリスマと異なる役務の交わりである『すべてが役務的』である教会へと向かうために、叙階された役務を中心に構築された教会についてのビジョンを克服する」必要があると見ています(81)。

45.教会の現在の構造に対してどのような適応がなされるべきでしょうか。

シノドス推進派は、共同責任のダイナミズムが「教会生活のあらゆるレベル」に浸透すべきであると主張しています。

バチカン国務省はこう例を挙げています。「司教協議会は、団体主義を維持し、いかなる圧力も受けない意思決定の自由を維持しながら、さまざまな教区の聖職者および信者の代表を含むべき」(82)であるとされます。

教区レベルでは、司牧評議会は、「包摂、対話、透明性、識別、評価、そしてすべての人のエンパワーメントの場として、ますます制度化されるよう求められる」(83)とします。

小教区レベルでは、「教会はまた、特に統治に関して、自らの制度や機構にシノドス的な形や進め方を与える必要がある」(84)と言います。国務省はパプアニューギニアとソロモン諸島の提案を紹介します。「小教区で何かをしたいとき、私たちは一緒に集まり、共同体の皆の提案を受け、一緒に決定し、一緒に実行します」(85)と。

46.この団体主義は緊張や意見の相違を生じさせませんか。

緊張は自然に生じるものですが、「私たちはそれを恐れるのではなく、絶え間ない共同体的な識別の過程の中でそれを明確にし、破壊的なものにならないように、エネルギー源として活用するようにすべきです」(86)と説明します。

47.この過程は現代の民主主義とどう違うのでしょうか。

「シノダリティに関する強調が、教会を民主主義的な多数決原理に依存した機構や手続きの採用へと向かわせるのではないかという…懸念」を和らげるために、大陸ステージのための作業文書では、「決定は、民主主義体制で用いられる多数決原理ではなく、共同体的な識別の過程に基づいて行われます」と述べて【現代の民主主義とは違うとして】います(87)。

48.「共同体的な識別」とは何ですか。

準備文書では、「天主の民の感覚と司牧者の司牧的機能との間の実りある結びつき」(88)を通して、「相反する利害の代表ではなく、福音化という共通の使命に対する相共にする情熱」の実りである「全会一致のコンセンサス」に達するまで、耳を傾ける努力をすることが必要であるとしています。

この意味で、位階階級は、論争に独断的に決着をつけるために教える権威を行使することはありません。それでも、コンセンサスのある統合に達するまで、テーゼとアンチテーゼの間の緊張が高まるのを許します。【こうして到達した同意が「共同体的な識別」と言われます。】

49.教会の統治とはどのようなものになりますか。

シノドス推進派にとって、どのような統治の施策も、共同体内での協議と推敲、それに続くそれぞれの権威による検証という二つの段階を経なければなりません。

国際神学委員会は次のように書いています。「シノドス、集会、評議会は、その正当な司牧者なしに決定を下すことはできません。シノドスの過程は、位階的に構造化された共同体の中心で行われなければなりません。例えば、教区では、識別、協議、協力の共同行使を通じた意思決定の過程と、使徒性とカトリック性の保証人である司教の権限内での意思決定の過程とを区別する必要があります。物事を解決することはシノドスの仕事であり、決定は司教の役務的責任です」(89)。

50.信者の意見と教皇の意見が食い違う場合、どちらが優先されるのでしょうか。

教皇庁立法評議会名誉会長フランチェスコ・コッコパルメリオ枢機卿は、シノドス的な解決策をこう提案しています。「教皇は、特に重要な教導権行為や特に重要な統治行為を、個人としては決して行わないことを約束することができだろうし、その結果、共同体の主体としてそのような行為を行うよう常に司教団に要請することができるかもしれません」(90)。

従って、信者の意見と教皇の意見の間に乖離がある場合、教皇は自らの不可謬権を行使しないことを、また同時に、共同体との対話を継続することを約束することでしょう。教皇フランシスコがアマゾン・シノドスについて以下のように語るとき、そのことを示唆しているように思われます。

シノドスの教育学の豊かさと独創性の一つは、聖霊が教会に語られることに共同体で耳を傾ける方法を教えるために、まさに議会用の論理の使用を避けることです。…
私はある意味で、シノドスは終わっていないと思いたいのです。私たちが目撃した過程全体を受け入れるこの時間は、私たちが共に歩み続け、この経験を実践に移すための挑戦なのです(91)。

51.シノドス推進派は、教会生活における共同体的共同責任を正当化するために、どのような神学的根拠を提示しているのですか。

前述したように、シノドス推進派にとって共同責任とは、すべての受洗者の平等な尊厳と、信者のカリスマおよび役務の承認に基づいているとされます。

国際神学委員会が用意したシノダリティに関する文書によると、信仰の感覚(sensus fidei)と、一致と統治という司牧の役務を行使する人々の権威との間の循環性が、「すべての人の洗礼の尊厳と共同責任を促進し、聖霊によって派遣されたカリスマが天主の民の中に存在することを最大限に生かし、ローマの司教と団体主義的かつ位階的な交わりを持つ司牧者の具体的な役務を認めます」(92)とされています。

52.「カリスマ」と信者の「役務」をどこまで認めるつもりなのでしょうか。

今回の「シノダリティに関するシノドス」におけるすべてのことと同様に、信者のカリスマと役務もまたオープンな議論の対象で、これは常に進化しています。

いくつかの提案は非常に急進的に見えます。例えば、ラテンアメリカとカリブ海の大陸統合は、解放の神学と2019年のアマゾン・シノドスの結論に強く影響され、アマゾンの部族におけるものも含め、あらゆる「自発的な役務」を認めることをこう提案しています。「合法的に、自発的な役務やその他の認められた役務を含め、洗礼の召命から生じる多くの役務があり、それらは制度化されていないものであり、また、その訓練、使命、安定性をもって制度化されているものもあります。先住民の中には、自分たちは役務を持っていて、すでにその役務を生きているものの、教会制度では認められていないと指摘する人さえいます」(93)。

アマゾン・シノドス文書が、特に、魔術師やシャーマンの働きを教会の役務として認めることを暗黙のうちに要求していたことを思い起こしましょう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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