四旬節第四主日―悲しみのただ中の喜び(東京2024)
ワリエ神父 2024年3月10日
「喜べ、エルザレムよ、これを愛する者よ、すべて集まれ。悲しみにしずめる者よ、ともに喜びおどれ。みな喜び、慰めの乳(ちち)に満たされよ」(イザヤ66章10-11節)「『主の家に行こう』と言われて、私は喜んだ」(詩篇121篇1節)
喜べ? 本当に?!
私たちが周りを見渡せば、この世においても教会においても、多くの問題や無秩序を目にします。
旧約のユダヤ人たちは、バビロンで捕囚となり、こう歌っていたものでした。
バビロンの川岸に座(ざ)し、シオンを思いつつ、われらは泣き、
そのあたりのポプラに、竪琴(たてごと)をかけた。
われらを捕(つか)まえた者たちが、…「シオンの歌を歌え」と言った。
どうして主の歌を歌えよう、異国の地にあって。
エルザレムよ、もし私があなたを忘れたら、私の右手がきかなくなり、
私の舌があごについてよい。
あなたを思い出さず、まず初めの歌として、エルザレムを私がたたえなかったら。(詩篇138篇1-6節)
私たちはどうすれば喜べるというのでしょうか? 悲しみのただ中で、喜びを感じることができるのでしょうか?
それは、聖パウロがテサロニケ人にこう語ったようにです。「希望のないほかの人のように、悲しみにおぼれてはならない」(テサロニケ前書4章13節)。
「私たちの国籍は天にあり、そこから来られる救い主、主イエズス・キリストを待っている」(フィリッピ3章20節)。
天主のお優しい心を見てください。
天主は、(女性や子供を除いて)五千人にも達する群衆に食事を与えられました。
キリストは、ご自分に従い、ご自分に耳を傾ける者を養(やしな)ってくださいます。
• 飢饉(ききん)の時、天主は太祖(たいそ)ヤコブの子ヨゼフを、前もってエジプトに遣(つか)わされました。
• 天主は40年間、砂漠でイスラエルの子らを、天からのパンで養われました。
• 預言者エリアを、カラスによって養われました。
• 天主は、ライオンの穴の中のダニエルを見捨てられませんでした。
• 私たちの主の40日40夜にわたる断食ののちには、天使たちが主に仕(つか)えました。
「天主は正しい人を見捨てられない。私はかつて若かったが、今は老いた。だが、正しい人が見捨てられ、その子孫がパンを乞(こ)うのを見たことはない」(詩篇36篇25節)。
この四旬節の間、私たちの救い主である天主に、慰めと喜び、安楽と力を見いだしましょう。