ヘルマン・コーエン(Hermann Cohen, 1820 - 1871)について
今日のミサ中の説教では、カトリック教会が真実を教えているという明白なしるしを、天主が私たちに与えてくださっている、ということをお話ししました。
これらのしるしというのは、たとえば、あらゆる反対の中でのカトリック教会の優れた継続性や世界中への拡大、教会の教えの聖性や、教会によって育まれた数多くの聖人たち、教会によってなされた偉大な文化的、芸術的、科学的業績などです。これらのしるしが示しているのは、カトリック教会の教えを信じることは合理的であるということです。
しかし、信仰を持つ、言い換えれば、教会によって伝えられてきた私たちの主イエズス・キリストの教えを本当に信じるには、これらのしるしを見ることだけでは十分ではありません。信仰を持つためには、超自然的な助けが必要です。天主からの特別の御恵みが必要なのです。
ヘルマン・コーエンという音楽家に起こったことを見ると、カトリック信仰を持つことが天主からの贈り物であることがわかります。
ヘルマン・コーエンはユダヤ人で、1820年に生まれました。ヘルマンはピアノの神童で、7才の時に初のコンサートを開きました。
ヘルマンは著名なピアニストであったフランツ・リストの弟子でした。ヘルマンは非常に有名になりました。しかし、罪深い生活を送っていました。後に、彼はこの世の楽しみの虚栄を悟り、キリスト教に興味を持つようになりました。
1847年、ヘルマンはパリの大きな教会のミサでオルガンを弾いていました。ところが聖変化の時、言い表しようのない感情に襲われたのです。その翌週も同じ経験をしました。またある日には、3つのミサに続けて参列しましたが、退屈も疲れも全く感じませんでした。
またある日のミサでは、御聖体奉挙のとき、ヘルマンは自分の人生のすべての罪への悲しみのため、大声で泣きだしてしまいました。この時、天主の御恵みがヘルマンの心を貫いたのです。ヘルマンはカトリック教会のことを尊敬していただけではなく、カトリック教会が教えるイエズス・キリストのすべての教えを堅く信じました。ヘルマンは洗礼を受け、数年後にはカルメル会の司祭になりました。
ヘルマンの母は、ロザリーという名前で、ユダヤ教徒でした。ヘルマンは、母の回心のため、童貞聖マリアに沢山祈りました。しかしロザリーは、死ぬまでカトリック教徒にはなろうとしませんでした。自分の母親がこのような状態で亡くなるのを見ることは、ヘルマンにとって大きな苦しみでした。
ところが数年後、私たちの主がヘルマンに次のことを明らかにされました。ヘルマンの母ロザリーがまさに亡くなろうとする時、童貞聖マリアがイエズスに対して、ロザリーを許して、憐れむよう執拗にお願いされたのです。そこでイエズスは、ロザリーに大きな力のある御恵みを与えられました。ロザリーは亡くなる数秒前に、イエズス・キリストを信じ、イエズス・キリストを救い主として愛したのです。主はこうおっしゃいました。「この知らせをヘルマン神父に伝えたいのは、それが彼の慰めとなり、私の母の御心の素晴らしさと、私の母が私の心に持つ力とを、ヘルマン神父がこれまであらゆるところで祝福してきたように、これからも祝福し続けるようにするためである。」
カトリック信仰を持つという御恵みを、私たちの主と、聖母マリアに感謝することを忘れないようにしましょう。また、私たちの家族、友人、そして私たちが会うすべての人もこの同じ信仰の御恵みを頂くことができるよう、熱心に、そして我慢強く、聖母マリアにお祈りいたしましょう。
ヘルマン・コーヘン神父様のことは、写真にもある聖母文庫の『神の恵みの演奏者』を読んで知っていましたが、ご母堂様の奇跡的な受洗の恵みのことは知りませんでした。紹介してくださり、ありがとうございます。