2021年5月21日(金)聖十字架の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は聖十字架の随意ミサを行なっています。5月3日は以前は聖十字架の発見の祝日でしたが、今では祝われていないので、今日は5月3日ではないのですが、随意ミサとして捧げています。
入祭誦は非常に美しいものです。
「私たちは、私たちの主イエズス・キリストの十字架において栄光を受けるべきである。なぜならここにこそ、私たちの救いと、命と、復活があって、私たちはこれによって解放されて、救われた。」
ここに全てが含まれています。十字架は、その受ける時には、私たちにとって辛いものです、「将来、あるいはこれでどうなってしまうのだろうか。もうお先真っ暗だ」と思われるからです。
聖イグナチオがそうでした。自分の人生が、負傷して大失敗に陥った事がありました。そのおかげで、回心しました。
私も思い出してみれば、新しいミサで、跪いて御聖体拝領をする事ができませんでした。かといって、立って手で聖体拝領する事はできなかったので、御聖体拝領をするのが拒否されました。
その時には辛かったと思いましたけれども、しかしよく考えてみれば、御恵みでした。そのおかげで、聖伝のミサを捧げる神学校に行くように決心が付きました。
十字架は、私たちにとって辛い、苦いけれども、実は祝福であって、復活と、命と、本当の平和と、本当の喜びが待っています。
ですから私たちも、この十字架の本当の価値を発見する事ができるように、今日お祈り致しましょう。十字架があったからこそ、聖霊降臨もあり得ました。もしもこれがなかったら、聖霊は私たちに降る事がありませんでした。復活もありませんでした。十字架の称讃を通して、聖霊を受ける準備を致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。