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家族についての説教(3)没薬:結婚の第三の善、すなわち子どもを生むという義務と名誉

2022年01月26日 | お説教・霊的講話

家族についての説教(3)没薬

ドモルネ神父さま 2022年1月23日

はじめに

教皇ピオ十二世は、三人の博士たちの三つの贈り物を、キリスト教の結婚の三つの善に、例えました。前々回の主日に、私は、黄金について、お話ししました。黄金は、結婚の第一の善、すなわち夫婦の貞節を表します。夫婦の貞節は、夫婦の結びつきの堅固さと美しさを、保証するものです。前回の主日には、香について、お話ししました。香は、結婚の第二の善、すなわち婚姻の秘跡を表します。婚姻の秘跡は、家庭生活を、絶え間のない祈りに変える、恩寵の源です。今日は、没薬について、お話しします。没薬は、結婚の第三の善、すなわち子どもを生むという義務と名誉を表します。

1.没薬は子どもを象徴する

まず、次の質問をしてみましょう。教皇ピオ十二世が、家族の子どもたちを没薬に例えたのは、なぜでしょうか? 没薬とは、昔、特に死者の遺体を保存するために使われた樹脂です。没薬のおかげで、エジプトのミイラに見られるように、遺体を何世紀にもわたって保存することができたのです。

家族の没薬は、子どもたちです。家族は、子どもたちを通して、自らを保存し、永続させ、新たにしていくのです。子どもたちは、両親やその先祖から続く存在です。子どもたちは、身体的特徴や、道徳的特徴など、両親やその祖先の一部を、自分たち自身の中に持っているのです。教皇ピオ十二世は、こう述べています。「子どもたちは、先祖の生ける鏡であり、先祖がよみがえったかのようなものです。(中略)皆さんが、皆さんの子どもたちの中に見ることができるのは、しばしば、夫婦それぞれの先祖と同じ身体的や、道徳的特徴をもって、よみがえり、活動している、ということです。特に、皆さんの先祖の信仰、名誉、聖徳の伝統がよみがえるのを、見ることができるのです」。

2.没薬の苦さ

没薬は、苦い物質です。この点でも、没薬は、子どもを象徴しています。皆さん全員、子どもの世話や教育が、時に困難で、過酷で、苦いものであることを、ご存じでしょう。親は、子どもに食べさせ、服を着せ、住まいを与え、その世話をしなければなりません。両親は、子どもを教育しなければなりません。教育というのは、文学や歴史、数学などの学問を、子どもに学ばせることではありません。教育とは、まことのもの、善きもの、高貴なもの、美しいものを選び、偽りのもの、罪深いもの、ゆがんだもの、醜いものを拒むように、子どもに教え、子どもを訓練することです。子どもを教育するということは、子どもが、聖徳を実践し、天主から与えられた良い資質を伸ばすのを、助けることです。子どもを教育するということは、子どもが自分の欠点や弱点を正す手助けをするということです。この教育という仕事には、たくさんの分別や、忍耐力や、粘り強さが必要です。そして、これが、より一層必要であるのは、子どもというのは、しばしば、両親が自分のためにしてくれることのすべてに気づかず、それほど感謝の気持ちを示さないからです。大家族について、教皇ピオ十二世は、こう述べています。「子どもたちという美しい冠から生じる、避けられない心配事に立ち向かうには、勇気や犠牲、時には英雄的資質さえ、求められます。特に、生活費が高く、家庭が裕福でない場合は、なおさらです」。

3.没薬は保存する力をもつ

しかし、教皇ピオ十二世は、すぐに、こう付け加えました。「没薬のもつ、保存する力は、その苦味から来るものです。子どもの世話や教育の仕事は、夫婦、家族、そして国家の団結を、保存するのです」。

 子どもを育てるという仕事は、夫婦の結びつきを守ります。子どもの数が多ければ多いほど、離婚の危険性が低くなることは、よく知られています。

 子どもを教育するという仕事は、家族を、内側からの崩壊の危険から守ります。教皇ピオ十二世は、こう述べています。「教育という仕事は、家族を毒し、崩壊させる要素、たとえば、自分勝手さ、絶え間のない快適さの追求、意図的に数を制限した子どもの、誤った、堕落した教育などから、家族をまもるのです」。しかしまた、教育という仕事は、喜びの源となることで、家族を守ります。ピオ十二世は、こう述べています。「健康で、たくさんの子どもを持つための両親の努力は、天主の見守るなか、家庭で花開き、喜びと、相互の励ましあいの源となるのです」。詩篇125篇第5節で、聖霊はこう言われます。「涙のうちに種をまく人は、喜びのうちに刈り取る」。

 子どもを教育するという仕事は、国を保存するのです。これはあたりまえです。特に避妊や中絶をすることで、子どもを欲しがらない国は、消滅する運命にあります。まず、人口が減るからです。次に、今いる人々の道徳的な質が、自分勝手さや、肉欲や、残虐さへと、沈んでしまうからです。最後には、国の維持と発展に、大きく貢献できたはずの人々が、生まれなかったり、殺されたりしてしまうからです。例えば、1948年以来、日本では、公表された数字で、約三千万人の赤ん坊たちが中絶されました。その中には、偉大な宗教的指導者や、政治的指導者になる資質を持った人が、どれだけいたことでしょうか? 科学や文学、農業、工芸、技術の分野で、素晴らしい才能を与えられた人たちが、どれだけいたことでしょうか? 天主のみが、ご存じです…。公式の数字によると、この2年間で、およそ2万人が、新型コロナウイルス感染症のために死亡し、29万人の赤ん坊たちが、中絶されました。日本の存立にとってより危険なのは、新型コロナウイルス感染症でしょうか、それとも、妊娠中絶でしょうか?

結論

親愛なるカトリックのご夫婦の皆さん、締めくくりにもう一度、教皇ピオ十二世の言葉を、引用させてください。「キリスト信者の家族においては、子どもは、天主からの贈り物として、細心の注意を払って守るべき宝として、望まれ、歓迎されるのです」。



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