ヴィガノ大司教の聖家族の主日の説教:聖家族は、天主の王権が社会で実現されるために必要不可欠な前提である、キリスト信者の家庭のモデルを示している
2023年1月12日(木曜日)
Archbishop Viganò’s homily for the Sunday of the Sacred Family
カルロ・マリア・ヴィガノ
ET ERAT SUBDITUS ILLIS
イエズスは二人に従われた
イエズスは二人に従われた。
その母はこれらの記憶をみな心におさめておいた。
そしてイエズスは、天主と人の前に、
その知恵も背丈も寵愛もますます増していかれるのだった。(ルカ2章51-52節)
イエズス・キリストに讃美。
御公現の八日間に、聖なる教会は、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族をお祝いし、この祝日を私たちの主の神性の表明の直後に置いています。しかし、羊飼いたちや東方の博士たちが礼拝した幼子なる王の天主の王権が明らかにされるまさにそのときに、家族生活の周りで守られるべき親密さと愛情という神秘、聖家族の記念をお祝いしなければならないのは、なぜなのでしょうか。
その理由は、家族――自然な家族であるのは確かですが、それ以上に、婚姻の秘跡によって聖化され、また、両親が聖母と家長ヨゼフであり、御子がご托身のみ言葉であるという最高度に聖化された家族――は、私たちの主イエズス・キリストの社会的王権に必要な前提となる秩序が、愛徳のうちに実現される場所であるからです。家族は、教会のかしらとその神秘体の間の愛をモデルとする上下関係にある夫婦を一つにするものです。家族は、「社会の細胞」として正しく認識されているこの「小宇宙」(microcosm)において、子どもたちを、善きキリスト信者、勇敢なキリストの兵士、誠実な市民、賢明で思慮深い支配者となるように準備させるものなのです。
家族なくして秩序ある社会はありえず、キリスト信者の家族なくして、キリストの主権が認められるキリスト教社会はありえません。家族の中で、両親は天主の御名において自分の子どもたちに対して権威を行使します。それゆえ、この権威が正当化され、子どもたちの中に従順を見いだすために身分に応じた恩寵を利用することができるのは、天主の法の枠組み内においてなのです。そして、この家長権(potestas、自然法によって認められる)は、御父が御子を愛し、御子が御父を愛する無限の愛、ペルソナとしての力を有する天主の愛、すなわち天主なる聖霊に動かされるとき、超自然の次元を獲得するのです。人間がその能力(記憶、知性、意志)において創造主の三位一体の刻印を見せるように、家族もある意味で至聖なる三位一体の鏡です。なぜなら、家族には御父の創造の力、御子の贖いの従順、聖霊の聖化する愛が見られるからです。しかし、私たちは、自分自身のアイデンティティーと伝統に対する認識(記憶)、それらを心にとどめて現在の試練に立ち向かう能力(知性)、夫婦間や親子間の愛の絆(意志)をも見いだすのです。
主祷文で「御国の来らんことを、御旨の行われんことを」と祈るとき、私たちはこの言葉に注意を払わないで祈ることがよくあります。私たちは、キリストの国家に対する主権が肯定されるように願っているのです。なぜなら、キリストが支配されるところでのみ、平和と正義が支配するからです。〈Oportet autem illum regnare donec ponat omnes inimicos sub pedibus ejus〉(コリント前書15章25節)――彼は、すべての敵をその足の下に置くまで支配せねばならぬ【私は敵をあなたの足台としよう】(詩篇109篇1節)。しかし、キリストが社会において支配されるためには、支配者と臣民が善きキリスト信者でなければなりません。また、そのためには、世俗の共同体の中に、「家族教会」、つまり人生の学校である家族が必要なのです。子どもたちが受胎し、生まれ、聖化され、教育され、善きキリスト信者、誠実な市民、そして子どもたちに将来の親になるための準備をさせるのは、カトリックの家族の中においてです。そして、誤って導かれた家族の中では、すなわちLGBTQのイデオロギーによって作られた悪魔による家族のパロディーの中では、子どもたちは心身ともに殺され、変質者とされ、堕落させられ、その悪徳が社会と教会をも堕落させてしまいます。
私たちがグローバリストのレヴィアタンに対して戦っている歴史的な戦いは、その目的として、私たちがよく知っているように、その支持者自身が認めているように、霊魂、家族、社会からキリストの存在のあらゆる痕跡を組織的に破壊し、それをサタンの支配と反キリストの支配という暗黒の恐怖に置き換えます。この戦いにおいて、私たちは、強力で解き放たれた敵軍によって包囲されているだけでなく、教会の内部や政府の各地位にさえ、私利私欲、脅迫、臆病から新世界秩序(New World Order)の地獄の計画を支持する第五列【敵、裏切者】によっても包囲されているのです。中絶、離婚、安楽死、ジェンダー・イデオロギー、同性愛、新マルサス主義は、社会を破壊する道具にほかなりませんが、それ以前に、それらは家族を破壊しようと意図されているのです。なぜなら、家族の中にこそ、足並みをそろえた思想による独裁に対する抵抗の形が実現し、そのおかげで、人は勇気を持って自分の信仰とアイデンティティーを守る決意を保つことができるからです。
最近のパンデミックの茶番劇を通じて行われたグレート・リセットの大衆操作において、彼らが高齢者を愛する者から、両親を子どもから、祖父母を孫から引き離そうとしたのは偶然ではありません。こうした家族関係や上下関係の喪失は、こうした関係に伴うあらゆるものを含めて、人々を孤立させ、心理的に弱め、精神的に弱め、それによって従わざるを得なくさせることができるようにするために必要な段階だったのです。よく観察してみると、この腐敗した野蛮なこの世が人々に押し付けるものはすべて、常に支配と服従に向けられています。そして、天主の法の優しいくびきを振り払うことによって自由が高められるはずのちょうどそのときに、サタンの専制政治の鎖が私たちの手首を締め付けているのです。
一方、私たちを命と恩寵に導く永遠の天の御父と、天主なる御子の玉座で私たちの代願者となられる母を指し示す父と母からなる制度を、つまり家族を、いかに敵が愛することができるというのでしょうか? 天主の敵どももまた、天主の御名を消し去り、「親1号」「親2号」に置き換えようとしているのは、まさに、天主を「アッバ、父よ」と呼びかけ、天の天主の御母を「母よ」と呼びかける以外にはできないこれらの祝福された名を排除するためであっても、驚くには当たりません。また、教会および世俗の長上たちも父と呼ばれ、父としての振る舞いをする義務があるように、天主の権威の原型である父親像に対する憎悪が存在することも驚くことではありません。
この黙想の冒頭で、教会はなぜ御公現の八日間の主日に聖家族の祝日を設けようとしたのか、と問いかけました。その答えは、聖家族が、私たちの主の天主の王権が社会で実現されるために必要不可欠な前提である、キリスト信者の家庭のモデルを示しているからです。そして、御公現のミサで聞いた次の詩篇作者の預言が成就するものであるからです。〈Et adorabunt eum omnes reges terræ; omnes gentes servient ei〉(王たちはみな、彼を拝み、異邦の民はみな、彼に仕える)(詩篇71篇11節)。
ですから、私たちの主、聖母、聖ヨゼフに祈り、私たちの家族を守ってくださるよう、家族を天主の恩寵のうちに保ってくださるよう、御摂理の計画において家族が信仰と愛徳をもって協力することができるようにしてくださるよう、お願いしましょう。キリストが家族において支配されるならば、キリストは世俗社会においても支配されることでしょう。〈Adveniat regnum tuum; fiat voluntas tua.〉(御国の来らんことを、御旨の行われんことを)。
アーメン。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2023年1月8日
イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族の祝日
Sanctæ Familiæ Jesu Mariæ Joseph
英語版 Archbishop Viganò’s homily for the Sunday of the Sacred Family
イタリア語版 Mons. Viganò. Omelia per la Sacra Famiglia. Battaglia Epocale contro il Globalismo.