Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

来る金曜日、すなわち2020年6月19日は、イエズス・キリストの至聖なる聖心の祝日です。大坂では、聖母の汚れなき御心聖堂で聖伝のミサが午後6時から捧げられます。

2020年06月18日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

来る金曜日、すなわち2020年6月19日は、イエズス・キリストの至聖なる聖心の祝日です。
大坂では、聖母の汚れなき御心聖堂で聖伝のミサが午後6時から捧げられます。

【イエズスの聖心の大祝日(一級大祝日 白)】
聖心の祝日は、1765年、クレメンテ十三世教皇によって認可され、1856年、ピオ九世によって、全教会にひろめられた。また、1885年、レオ十三世によって一級の大祝日とされた。
 ピオ十一世は、1929年1月29日の規定によって、この祝日を一級大祝日、三級特権の「八日間」付と定め、聖務日課とミサ典礼文とを新しく規定した。
【ミサ聖祭】
人間に対するイエズスの愛は特に十字架のいけにえと聖体の秘蹟とによってあらわされる。しかし、この天主の愛にむくゆるには、キリストの住み給うキリスト信者の心をささげなければならない。徳を実行し、柔和・謙遜・従順をもって、われらは、御血をわれらのために流し給うた救主に倣わねばならない。

IN FESTO SACRATISSIMI CORDE IESU イエズスの聖心の大祝日 耶稣圣心
I Classis 一級大祝日 一等复式【白】
Ant. ad Introitum. Ps. 32, 11 et 19. 入祭文 詩篇、32ノ11, 19 进台咏(咏32:11,19)
Cogitatiónes Cordis eius in generatióne et generatiónem : ut éruat a morte ánimas eórum et alat eos in fame. 主の聖心の想いは、代々に:彼らの霊魂らを死から奪い取り、飢えに彼らを養うために。 祂心中的意念代代常存:祂要救我们的生命脱离夭亡,并且使我们在饥馑之日、得到滋养。
Ps. ibid., 1. 詩篇, 33ノ1 咏33:1
Exsultáte, iusti, in Dómino : rectos decet collaudátio. 義人らよ、主において喜びおどれ。[天主を]讃美することは、義人にふさわしい。 义人啊!您们应当凭上主喜悦;因为颂扬祂原是正直者的事。
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 光荣归于父……。
Cogitatiónes Cordis eius in generatióne et generatiónem : ut éruat a morte ánimas eórum et alat eos in fame. 主の聖心の想いは、代々に:彼らの霊魂らを死から奪い取り、飢えに彼らを養うために。 祂心中的意念代代常存:祂要救我们的生命脱离夭亡,并且使我们在饥馑之日、得到滋养。
Oratio. 集祷文 集祷经
Deus, qui nobis in Corde Fílii tui, nostris vulneráto peccátis, infinítos dilectiónis thesáuros misericórditer largíri dignáris : concéde, quǽsumus ; ut, illi devótum pietátis nostræ præstántes obséquium, dignæ quoque satisfactiónis exhibeámus offícium. Per eúndem Dóminum nostrum. 天主よ、御身はわれらの罪に傷つけられた御子の聖心において、愛の無限の宝を、憐れみ深くかたじけなくもわれらに与え給う。願わくは、聖心に対してわれらの敬虔の信心深いつとめを果たす我らが、ふさわしい償(つぐな)いの義務をも行わんことを。その同じわれらの主・・・。 天主,祢既在祢圣子由我们罪恶所受伤的圣心内,将无限爱情的宝藏仁慈地赐给我们,求祢开恩:使我们对于圣心不单虔诚地献出热心的敬礼,且能相称地尽到赔补的债务。因我们主……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロの、エフェソ人への書簡の朗読 书信
Ephes. 3, 8 19. エフェソ 3ノ8-12、14-19 (弗3:8-19)
Fratres: Mihi ómnium sanctórum mínimo data est grátia hæc, in géntibus evangelizáre investi- gábiles divítias Christi: et illumináre omnes, quæ sit dispensátio sacraménti abscónditi a sǽculis in Deo, qui ómnia creávit: ut innotéscat  principátibus et potestátibus in cœléstibus per Ecclésiam multifórmis sapiéntia Dei: secúndum præfinitiónem sæculórum, quam fecit in Christo Jesu Dómino nostro, in quo habémus fidúciam et accéssum in confidéntia per fidem ejus. Hujus rei grátia flecto génua mea ad Patrem Dómini nostri Jesu Christi, ex quo omnes patérnitas in cœlis et in terra nominátur: ut det vobis secúndum divítas glóriæ suæ, virtúte corroborári per Spíritum ejus in interiórem hóminem: Christum habitáre per fidem in córdibus vestris: in caritáte radicáti et fundáti: ut possítis comprehéndere cum ómnibus sanctis, quæ sit latitúdo, et longitúdo, et sublímitas et profúndum: scire étiam super- eminéntem sciéntiæ caritátem Christi, ut impleámini in omnem plenitúdinem Dei. 兄弟たちよ、私は、すべての聖徒のなかで、もっとも小さな者よりも小さなものであるが、キリストの底しれない富を異邦人に告げ、万物の創造主である天主のうちに、世々にかくされていた奥義の分配とはなにかをみなにあらわす恩寵を受けた。それは、天主の多種多様の知恵を、天の権勢と能力とに、教会によって、いま知らせるためである。それは、主キリスト・イエズスにおいて、天主が企てられた永遠の計画によるのである。私たちは、かれへの信仰によって、信頼してあえて天主に近づくことができる。さて私は、主イエズス・キリストの父のみまえに跪こう。父から、天と地とのすべての家族が起こったからである。かれが、その光栄の富にしたがって、その霊によって、あなたたちの内の人を力強く固め、また、愛に根ざし、愛に基をおくあなたたちの心に、信仰によってキリストが住まわれるようにとねがう。あなたたちは、すべての聖徒とともに、かの奥義の広さと長さと高さと深さとを理解する力をうけるであろう。あなたたちは計りしれないキリストの愛を知り、満ち満ちる天主によって満たされるであろう。 弟兄们:我本是圣徒中最卑小的,天主竟赐我特恩,使我向外邦人宣扬基督深不可测的富藏,并且把从永远隐藏在造生天地万物的天主内的奥秘计划,启示给众人。天主依照祂从永远所定、而在我们主基督耶稣内完成的计划,愿意藉着教会、向天上的统权者天神和异能者天神表示祂各式各样的智慧。我们信了基督,便因着祂坦然无畏地、满怀信心地、到天主台前来。为了这个原因、我在我们主耶稣基督的大父前屈膝。天上地下的一切父权、都是由祂而得名的。我求祂藉着祂光荣的富藏、赏赐你们赖着祂的圣神完全地坚强起来,使你们的内心、成长发展。愿基督藉着信德、居住在你们心中,愿你们在爱德中生根植基,和诸位圣徒一起明了基督的爱如何长、如何阔、如何高、如何深、得以明悉基督的爱远远超过人所意想的限度,而这样你们充满了天主完满无缺的美好。
Graduale. Ps. 24, 8-9. 昇階誦 詩篇、24ノ8、9 台阶咏(咏24:8,9)
Dulcis et rectus Dóminus : propter hoc legem dabit delinquéntibus in via. 主は、甘美で正しき御者、これ故に、[主は]道から外れた人々に、法を与え給うだろう。 主是良善公正的,因此、祂指导罪人走祂的道。
V/. Díriget mansúetos in iudício, docébit mites vias suas. V/. [主は]温和な人々を正義において導き、柔和の人々に主の道を教え給うだろう。 祂引谦虚人走公平的路,将自己的道指示给良善人。
Allelúia, allelúia. アレルヤ、アレルヤ、 阿肋路亚,阿肋路亚。
V/.Matth. 11, 29. Tóllite iugum meum super vos, et díscite a me, quia mitis sum et húmilis Corde, et inveniétis réquiem animábus vestris. Allelúia. V/.(マテオ、11ノ29)私のくびきをお前たちの上に取って、私にならえ、私は柔和で心の謙遜な者であるからだ。そうすればおまえたちの霊魂に安息を見出すであろう、アレルヤ。 (玛11:29)你们负我的轭吧!向我学习心中的温良和谦逊:你们将获得心中的安息。阿肋路亚。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦 福音
Ioann 19 ,31-37. 19ノ31-37 (若19:31-37)
In illo témpore: Judǽi (quóniam Parascéve erat), ut non remanérent in cruce córpora sábbato, (erat enim magnus dies ille sábbati), rogavérunt Pilátum ut frangeréntur eórum crura et tolleréntur. Venérunt ergo mílites, et primi quidem fregérunt crura et altérius qui crucifíxus est cum eo. Ad Jesum autem cum veníssent, ut vidérunt eum jam mórtuum, non fregérunt ejus crura: sed unus mílitum láncea latus ejus apéruit, et contínuo exívit sanguis et aqua. Et qui vidit testimónium perhíbuit: et verum est testimónium ejus. Et ille scit quia vera dicit, ut et vos credátis. Facta sunt enim hæc ut Scriptúra implerétur: Os non commninuétis ex eo. Et íterum ália Scriptúra dicit: Vidébunt in quem transfixérunt. そのとき、(その日は用意日だったので、)安息日に体を十字架の上に残しておかないように(この安息日は、大祭日であったから)ユダヤ人たちは、ピラトに、彼らのすねを折って取りのぞくようにと願ったので、兵隊たちが来て、まず一人、そして、ともに十字架につけられたもう一人の脛を折った。しかしイエズスのところにくると、もう死んでおられたので、その脛を折らなかった。そのとき、一人の兵士が、槍で、おん脇を突いたので、すぐ、血と水とが流れ出た。これを見た者が証明する。(この証明は真実である。自分のことばが真実であることをかれは知っている。)それは、あなたたちをも信じさせるためでる。こういうことが起ったのは、「その骨は一つも折られないであろう」という聖書のことばを実現するためであった。また「かれらは、自分たちが刺しつらぬいた人をあおぎ見るだろう」という聖書のほかのことばもある。 那天正是巴斯挂的预备日。犹太人为使尸体、在安息日、不留在十字架上——因为那安息日是个大节日——,请求比拉多折断他们的腿,把他们拿走。兵士们来了,折断了第一个人的腿,及与耶稣同钉的第二个的。来到耶稣那里,见祂已经死了,就不折断祂的腿;但有一个兵拿枪刺开了祂的肋旁,立刻流出了血和水。那个看见的就作了见证,他的作证是真的;他知道说真话,好使你们也相信。——这件事发生了,使圣经这句话应验:“祂的骨头、你们一根也不要折断。”经上另一处又说:“他们瞻望他们所刺透的人。”
Credo 信経 信经
Ant. ad Offertorium. Ps. 68, 21. 奉献文 詩篇、68-21 奉献咏(咏68:21)
Impropérium exspectávi Cor meum et misériam : et sustínui, qui simul mecum contristarétur, et non fuit : consolántem me quæsívi, et non invéni. 私の心は、とがめと悲惨を予期した。そして私と共に悲しんでくれる者を待ち望んだ。しかし誰もいなかった。私を慰めてくれる者を私は探し求めたが、見つけなかった。 耻辱和忧闷、折伤了我的心,我指望了有人体恤我,却没有一个;我渴望了有人安慰我,可是寻不着。
Secreta. 密誦 密祷经
Réspice, quǽsumus, Dómine, ad ineffábilem Cordis dilécti Fílii tui caritátem : ut quod offérimus sit tibi munus accéptum et nostrórum expiátio delictórum. Per eúndem Dóminum. 主よ、願わくは、愛し給う御子の聖心の、言い尽くせぬ愛をかえりみ、われらの捧げ物を嘉し、われらの罪のつぐないとならせ給え。その同じわれらの主・・・。 主,求祢顾及祢爱子心中不可名言的圣爱;望我们所献的、成为中悦祢的礼品,并成为补赎我们罪过的代价。因我们主……。
Præfatio de Ssmo Corde Iesu. 聖心の序誦 耶稣圣心的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui Unigénitum tuum, in Cruce pendéntem, láncea mílitis transfígi voluísti : ut apértum Cor, divínæ largitátis sacrárium, torréntes nobis fúnderet miseratiónis et grátiæ : et, quod amóre nostri flagráre numquam déstitit, piis esset réquies et poeniténtibus pateret salútis refúgium. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cæléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes… 主、聖なる父、全能の永遠の天主よ、われらが、いつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。御身は、御独り子が十字架にかかり給い、兵卒の槍に刺し貫かれることを意志し給うた。それは、開かれた聖心が、天主の寛大さの聖所として、われらに御あわれみと聖寵との激流が流れ出るため、また、われらに対する愛に燃え給うことを決して止めない聖心が、敬虔な者たちにとって憩いとなり、痛悔する者らにとって救いの避難所として開かれるためであった。故に、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共に、また、天の万軍と共に、われらは、きわまりなく、主の御光栄の讃歌を歌い続けよう。… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢曾欲祢的独子身悬苦架之时,受了兵丁长矛的刺透,为使此大开了的心即天主博施的圣所、给我们湧泄祢仁慈和恩宠的激流;也为使此无时或息燃烧着爱火的心,对热诚者成为安息之所,对忏悔者敞开获救之门。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说:圣、圣、圣……。
Ant. ad Communionem. Ioann. 19, 34. 聖体拝領誦 ヨハネ、19ノ34 领主咏(若19:34)
Unus mílitum láncea latus eius apéruit, et contínuo exívit sanguis et aqua. 兵士の一人が、槍で御脇腹を開いた、するとすぐ血と水とが出てきた。 有一个兵、拿枪刺开了祂的肋旁,立时流出了血和水。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Prǽbeant nobis, Dómine Iesu, divínum tua sancta fervórem : quo dulcíssimi Cordis tui suavitáte percépta ; discámus terréna despícere, et amáre cæléstia : Qui vivis et regnas. 主イエズスよ、御身の聖なる[秘蹟]が、われらに天主に対する熱意を与えんことを、それによっていとも甘美なる御身の聖心の優しさを味わい、地上のことを軽んじ、天を愛することを教え給え。聖父なる天主とともに・・・。 主、耶稣,祈望祢的圣事、赐给我们神圣的爱火;望我们尝到了祢圣心甘怡的挚爱,因而学得轻看世物、但爱天上之事。祢和天主父……。



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