Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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愛徳についての短い説教 五旬節の主日 ドモルネ神父

2021年02月14日 | お説教・霊的講話
愛徳についての短い説教 五旬節の主日

ドモルネ神父

はじめに

今日の書簡で、聖パウロは、愛徳が最も偉大な賜物かつ聖徳であると言っています。これについて少し話させてください。

1.愛徳とは天主に対する友情の愛を意味する

「愛徳」(ラテン語ではCaritas(カリタス))という言葉は、語源的には、「非常に価値のある」という意味と、「気遣いあるいは慈愛」という意味を持っています。私たちは「愛徳」という言葉を、人間の天主に対する超自然的な友情の愛を意味するために使っています。

私たちの主イエズスが弟子たちに「これからもう私はあなたたちをしもべとは言わない。…私はあなたたちを友人と呼ぶ」(ヨハネ 15章15節)と言われたとき、主は「愛徳」のことを友情の愛として述べられました。

2.友情の愛とは何か

友情の愛とは、友人間の相互の愛情のこもった慈愛です。友人は似たような目標や理想を持ち、真・善・美への似たような望みを持ち、肉体的にも、知的にも、道徳的にも、霊的にも、自分をより善くしてくれるものへの似たような関心を持っています。この類似性は、相互の愛情と気遣いを生み出します。友人は、自分のために善いものを望んでいるように、相手のためにも善いものを望んでいます。友人は、相手がされていることを自分にされていると考えます。友情の愛は、友人が一つになるほどに友人を一致させます。

愛徳とは、天主と私たちの間の相互の慈愛であるという意味で、人間を天主に一致させる超自然的な友情の愛です。しかし、私たちに対する天主の愛と私たちの天主への愛は同じようには働きません。

3.人間に対する天主の愛

まず、天主の愛が私たちのために何をするのかを見てみましょう。天主は創造主であり、すべての存在と善の源です。天主は何か善いものに引き寄せられるのではなく、物事を善いものにしてくださるのです。ですから、天主が私たちを愛しておられると私たちが言うとき、私たちが素晴らしいため天主が私たちに引き寄せられるという意味ではなく、天主が私たちの中に善をつくり出してくださるという意味なのです。私たちの生まれながらの善は、私たちの知性と意志によって天主のかたどりになるということです。「天主はご自分にかたどって、人間をつくり出された」(創世記 1章27節)。私たちの超自然的な善とは、天主のいのちを分けていただくことです。「父よ、あなたの与え給うた人々が、私のいる所に、私とともにいることを望みます。それは、あなたが私に与え給うた栄光を、彼らに見せるためであります」(ヨハネ17章24節)。天主が私たちを愛されれば愛されるほど、私たちが成聖の恩寵と呼ぶものによって、天主はご自分のいのちをさらに私たちに伝達してくださいます。ですから、私たちの主イエズスに次いで、天主は誰よりも童貞聖マリアを愛されました。これは、天主が聖母を誰よりもご自身と密接に一致させ、誰よりも優れた存在になさったという意味です。私たちに対する天主の愛は、善を生み出すものです。

4.天主に対する人間の愛

では、私たちの天主への愛が天主のために何をするのかを見てみましょう。私たちが天主を愛するのは、主祷文に「御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」とあるように、天主に善いことを望むときです。
天主に善いことを望むということは、天主の存在と行動が、私たち自身をはじめとするすべての人に、ますます認められ、讃美されることを私たちが望むということを意味します。ですから、天主を愛するとは、天主に呼びかけ、天主が望まれるすべてのことに全面的に協力するということを意味します。私たちの主イエズスは、「私の命じることを守れば私の友人である」(ヨハネ15章14節)と言われました。天主が私たちに自由意志を与えてくださったのは、私たちが自発的に天主に協力して功徳を得る可能性をお与えになるためです。ですから、私たちの天主への愛とは、本質的には、天主が望まれるすべてのことを受け入れ、それに従うことなのです。そうすることによって、私たちは天主に栄光を捧げ、完全な幸福を見いだすのです。「あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだ。私があなたたちを立てたのは、あなたたちが行って実を結び、その実を残すためである。私の名によってあなたたちが父に求めるものをすべて父は与えられる」(ヨハネ15章16節)。

結論

愛徳は、私たちを天主と一致させます。それは、詩篇81章6節に「『おまえたちは神々、みな、いと高き者の子ら』と私は言った」とあるように、私たちが天主と一つになり、天主とともにあたかも神の一員のようになるということです。愛徳の賜物は、私たちが受けることができる最も偉大にして最も貴重な賜物です。

ですから、実践において、私たちの霊魂のうちの愛徳を破壊する大罪を犯すなどという愚かなことを決してしないようにしましょう。天主が私たちのうちに愛徳を増やしてくださるよう、しばしば願いましょう。私たちの側で天主が私たちに望まれるすべてのことを寛大に行うのをご覧になれば、天主は確実にそうなさるでしょう。童貞聖マリアと聖ヨゼフが私たちの模範であり案内役でいてくださいますように。アーメン。






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1 コメント

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音の情報、とても大事 (ヨハネ)
2021-02-14 23:06:29
今日2月14日はいいよ、ということが2つありました。ひとつはドモルネ神父様が説教の始めと終わりに、日本語で話してくださったことです。これ、うれしいですね。私たちの神父様という感じがします。ドモルネ神父様の声はよく通り、ゆったりしていて、聞いていて安心感があります。もうひとつも声です。ミサの後の祈りの声も、今日はとてもよく聞こえました。ドモルネ神父様効果でしょうか。私のような老人のかすれた声ではなく、若い人たちの元気な声を聞くことは、とてもうれしいことです。教会の将来は明るいと感じますから。ミサに与る御子さんたちの元気な姿を見ることも楽しみのひとつです。親御さんたちは大変でしょうけど、来週も連れてきて、元気な姿を見せてくださいと祈っています。
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