2023年10月9日、上野の藝大アートプラザでの冒涜の償いのための御聖体降福式
【LIVE】イエズス・キリストへの冒涜の償い_御聖体降福式_2023年10月9日
Benediction of the Blessed Sacrament for the Reparation of Blasphemy in Tokyo on 9th October 2023 SSPX
愛する兄弟姉妹の皆様
この御聖体降福式は、特にイエズス様に対してなされる侮辱を償うために行いたいと思います。
上野の藝大アートプラザというところで、イエズス様の愛の行いである十字架の犠牲を冒涜する物が展示されています。9月30日から11月27日まで展示されるとのことです。
私たちを愛する主が、こうやって侮辱されて、人々が殴ったり嘲弄したり馬鹿にするのを私たちはそのまま見ることはできません。ベロニカのように、イエズス様に少なくとも慰めのタオルを、慰めの祈りをお捧げしたいと思います。償いの祈りを捧げたいと思います。
そこで今日の御聖体降福式は、特に償いの意向で行います。
このいわゆるアートと呼ばれるものを主催者が早く撤回するように、私たちイエズス・キリストを愛する人々がどれほどそれによって悲しむか傷つけられるかということを理解してくれることができるように祈りましょう。
それにもましてイエズス様がどれほどお悲しみになっているか、どれほど苦しまれるかということも考えて、この御聖体降福式をお捧げいたしましょう。マリア様の御取り次ぎを願いましょう。そこで、皆さんの、特に御一緒に御聖体の前でロザリオを唱えることができればと思っています。
罪の償いのために特に藝大アートプラザに展示されているイエズス様に対する冒とくを償うためにこのロザリオをお捧げいたします。
イエズス様の傷ついた聖心をお慰めいたしましょう。イエズス様が私たちを憐れんでくださいますように。聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
(使徒信経)(主禱文)(天使祝詞三回)(栄誦)
苦しみの玄義
第一玄義 この一連を捧げて主がゲッセマニの園にて、死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、罪を痛悔する恵みを請い願わん。
特にイエズス様が、未信者あるいは信者、イエズス・キリストから愛を受けるべき聖職者から受ける罪とその侮辱を償う恵みを請い求めましょう。
第二玄義 この一連を捧げて主が鞭打たれたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、罪を償う恵みを請い願わん。
イエズス様は特に私たちが肉体で犯す貞潔に反する罪の償いのためにこのむち打ちを打たれました。それと同時に今回その私たちを私たちの代わりに罪を償おうとされたイエズス様にボクシングで殴らせようとする招いている人々のためにこの罪を償うためにもこれをお捧げいたしましょう。
第三玄義 この一連を捧げて主がいばらの冠を被せられたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、侮辱を恐れざる御恵みを請い願わん。
イエズス・キリストは王であるにもかかわらず、ローマ人たちはそれを信ぜようとせず、いばらの冠という即興の戴冠式を行いました。イエズス様に嘲弄と屈辱を与え、葦の王笏を与え、ユダヤ人の王、挨拶しますと馬鹿にしました。イエズス様はどれほどの屈辱をお受けになったことでしょう、しかしこれは私たちの傲慢を償うために、あえて愛に満ちてお受けになりました。いばらの冠から流れる血潮は眼に溢れて眼は血潮でいっぱいになり、眼は見ることができなかったかもしれません。いばらは、一つは眼にも刺さったと伝えられています。それにもかかわらず愛のまなざしをもって私たちを憐れんでくださいます。私たちがイエズス様に、謙遜になります、とそのお恵みを請い求めましょう。特にこの犠牲を捧げてイエズス様に屈辱を与えようとする作家あるいは藝大アートプラザの人たちの回心を請い願いましょう。
第四玄義 この一連を捧げて主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みを請い願わん。
特にこの十字架の道行きの時に、あるかよわい女性が一人立ち上がって、イエズス様のもとに近寄り、きれいなタオルを渡してイエズス様をお慰めしようとしました。聖女ベロニカです。イエズス様をお慰めするには、罪を償うためには、私たちは当局の許可は要りません。あまりにも当然であって、あまりにもしなければならないことであるからです。イエズス様はこの女性の聖ベロニカの勇気ある償いの業を見て、この非常に感動され、特別のお恵みを与えました。それはご自分の似姿、御顔をそのタオルにお写しになって、お返しになったことです。ベロニカはイエズス様のその聖なるお顔を決して一生忘れることがなかったでしょう。今では、天国で、その御顔を永遠に観て、幸福になっておられることでしょう。私たちも聖ベロニカに倣って、ぜひイエズス様をお慰めしたいと思います。
第五玄義 この一連を捧げて主が十字架につけられ、死し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて救霊の賜物を請い願わん。
イエズス・キリストが十字架につけられたのは、私たちが地獄に陥らないために、私たちの永遠の滅びを免がせるために、愛のいけにえでした。友人のために命を捨てるほど大きな愛はない。私たちを友として、ご自分の命を打ち投げてくださいました。最初におっしゃったことは「父よ、赦し給え、彼らはそのなすところを知らざればなり。」私たちの赦しをのみ、求めた行為でした。
主の十字架を見て、二つの態度があります。
一つは冒涜です。左にいた盗賊は、「もしもお前がキリストならお前が救われて十字架から降りて俺も救え」。そして冒涜の言葉を投げかけました。
右にいた盗賊聖ディディマスは、この左の盗賊をたしなめてこう言います。「私たちは当然の苦しみを受けている。しかし一体この方はどんな悪いことをしたのか。主よ、御国に至らん時、わたしのことを思い出してください」。この言葉によって右の盗賊は、永遠の福楽を約束されました。
私たちも聖母の御取り次ぎによって、イエズス様の近くに居りたいと思います。使徒たちが皆逃げて逃亡してしまってもマリア様と聖使徒ヨハネそしてマグダレナ・マリア、サロメ、その他少数の弟子たちとともにイエズス様をお慰めしたいと思います。そして私たちのことを思い出してくださいとお祈りいたしましょう。