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茨の冠を被せられたもうイエズス・キリスト、苦しみの第三玄義の黙想

2023年01月30日 | お説教・霊的講話

2022年10月29日(土)大阪での説教

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。

今日は土曜日の聖母のミサを行っています。10月のロザリオの最後の土曜日です。また明日は王たるキリストの祝日です。ですから今日は王たるキリストの祝日に関係のあるロザリオの玄義を一緒に黙想いたしましょう。

特に茨の冠を被せられ給(たも)うイエズス・キリスト、苦しみの玄義の真中の玄義、第三玄義を一緒に黙想いたしましょう。

イエズス様は、私たちの罪を償うために人となられました。罪を償うために、苦しみの十字架の道をお歩みになりました。第二のアダムとして私たちの罪を贖おうとされました。アダムが最初の罪を犯した時から、全宇宙は人間に逆らい始め、大地さえも逆らいました。大地からは茨が生え出て、そして額に汗をして、労苦して、糧を得なければならなくなりました。その茨をイエズス様は自分の頭(かしら)に、額に受けました。

旧約聖書では最初にアブラハムが、ヤーヴェからイサアクを生贄に捧げるようにと命じられた時に、その通りにしました。アブラハムがイサアクを屠(ほふ)ろうとしたその瞬間、ヤーヴェからストップの声が掛かります。その代わりに茨に頭が絡まっていた子羊がみつかり、これを代りに捧げろと、言われました。

私たちの代わりに捧げられる子羊には茨の冠が被せられなければなりませんでした。天主の小羊である主が茨の冠を被るべきことは、すでに予告されていたのです。イエズス・キリストはまことの天主、まことの王です。しかしローマ兵はこれを喜劇・嘲笑(あざわら)い・冗談の、王の戴冠式と替えてしまいました。ローマ兵にとってはこの戴冠式は嘲(あざけ)りの戴冠式でした。しかし、イエズス・キリストはまさに茨の冠を被ることによって、私たちの本当の王となるべきでした。贖いの王となるための本当の戴冠式でした。

この戴冠式の前には準備がありました。

戴冠式の準備のために、ゲッセマネの園で弟子たちから捨てられて、たった一人で主に祈らなければなりませんでした。

戴冠式の準備のために、体全体は鞭で打たれなければなりませんでした。血で赤く染まらなければなりませんでした。

戴冠式が終わった後は、王としてポンシオ・ピラトによって宣言されました。ナザレトのイエズス、ユダヤ人の王、と十字架の上に捨て札が書かれて、ラテン語とヘブライ語とギリシャ語と三つの言語で宣言されました。つまりローマ当局によって世界を代表する言語で普遍的に王と宣言されました。

この茨の冠という王冠を被った主は十字架の道を歩まれます。私たちの御母マリア様は主に従いました。そして十字架のもとにたたずみ、決してその王のもとを離れようとしませんでした。

私たちの主は茨の王冠を被ったまま、贖いの王として、十字架のベッドで死の眠りにつきます。もしも私たちの本当の王が贖い主が茨の冠を被ったのならば、ご自分の王冠とされたのならば、私たちはなぜそれ以外のオリーヴ冠、月桂冠、あるいは宝石の王冠を選ぶことができるでしょうか。

ぜひマリア様にお祈りいたしましょう。私たちの王に倣うことができますように。私たちの王の良き臣下として僕(しもべ)として、主の御国にいるものとして、同じ十字架の御旗のもとに主と共にいることができますようにお祈りしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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